ライター

中学2年生の時、渋谷のファーストキッチンで外国人留学生と友達になったことを機に彼らの「心がオープンな在り方」に魅了され、漠然と「海外で暮らしてみたい!」と興味を持つ。その半年後、初めての海外ニュージーランドへ。大学卒業後は青年海外協力隊で念願の異文化の中で暮らしながら働く。中米グアテマラの小さな町の小学校教育の分野で活動する。市内ワーストだった僻地校が2年で市内トップに。帰国後は、さまざまな困難に直面する子どもやその保護者と関わる。好きなことは、お散歩。

中米にマヤ文明が特に色濃く残るグアテマラという国があります。面積は北海道より大きいくらいの国で、グアテマラにはマヤ系先住民が暮らしています。

マヤ文明が色濃く残るとはいえ、他の中米の国と同様に先住民が虐殺された背景があり、マヤ系先住民の割合はグアテマラ国民の約半数となっています。

国土の多くを山が占めているグアテマラ。標高2000mの町で、マヤの人たちと共に暮らすなか「環境にやさしい暮らし方」のヒントが多くあることに気が付きました。

コンビニが「ない」生活=不便なの?


マヤの人たちとの山の上の町での生活には、東京での生活と比べると「ない」ものがたくさんあります。

24時間のコンビニ、スーパー、レストラン、本屋、一息つけるカフェなど、挙げればきりがないほどの「ない」生活です。都会にあるようないろいろなお店が「ない」、不便な生活といえるかもしれません。

さまざまな野菜を買いたい時は週2回町の中心で開かれる市場を待つか、隣町に行く必要があります。夜中にアイスが食べたくなっても買いに行ける場所はありません。

しかし「ない」からこそ、自分たちで生み出し暮らしていく力が「ある」のが、マヤの人たちの暮らし方でした。

彼らと日常を重ねていく中で学んだ「環境にやさしく心地よい暮らし方」のためのシンプルな3つの習慣をご紹介します。

育てられるものは自給する


一緒に暮らしていた家族の庭と畑には、主食であるとうもろこしをはじめとして、アボカド、チリなどの香辛料系の食卓に欠かせないもの、びわなどのフルーツが植えられていました。

お昼ご飯の時になると、子ども達に「○○取ってきて~」と声をかけ、子ども達は庭から食材を取ってきます。

食卓には採れたてのフルーツや香辛料が並び、「これは自家製のチリだからとっても辛いよ!」「これはまだ採るには早かったんじゃない?」など会話をしながら囲み、じんわりと心があたためられるような穏やかな時間が流れます。

当時勤めていた職場内で、基本的な食糧(トウモロコシ、野菜、果物など)を自分たちで調達できる人の割合は100%で(といっても、職場の人数は4人でしたが…)、多くの家庭が最低限の食糧は自分たちで自給することができます。

そのため、市場が開かれる頻度が週2回であっても困ることはないのです。

なければ、自分でつくればいい。「なんでも屋のお父さん」


昔ながらの生活もほどよく維持されている彼らの暮らしでは、暖房器具やオーブンなど、高機能な機械を見かけることはありません。それらを手に入れる必要がないからです。

暖房器具はないけれど、自分たちで近くの山から木を切ってきて乾燥させた薪で暖をとることができます。その暖を利用して料理をすることもできます。高品質高機能ではないかもしれないけれど、ピザ窯やサウナまでも自分たちでつくる家庭もありました。

部屋の構造で困っていることがあれば、次の日にお家のお父さんがセメントをもって部屋の構造を好みの形にしてくれたことや、水道管が壊れた時も業者に頼むわけでもなく、やはりお父さんの出番で、修理していたこともありました。

家族のなかで、困ったことがあればお父さんがきっと何とかしてくれる。なければ、作ればいい。お父さんはかっこいい「なんでも屋さん」です。

便利さよりも自分の「心地よさ」


洗濯機がある家庭でも、家の人は昔ながらの手洗いで服を選択していました。各家庭にピラと呼ばれる手洗い用の洗濯場があり、とても万能です。

「洗濯機はあるのに使わないの?」と聞くと「手洗いのほうが好きなの。手作りの民族衣装もいたまないから」とのこと。他の家庭でも同様に、洗濯機を買う財力はあっても昔ながらの手洗いをしている家庭が少なくありませんでした。

私自身もたまに手洗いをしていたのですが、確かに大切な民族衣装を1着1着丁寧に手洗いする時間は格別で、洗濯機を使った時には得たことのない贅沢な時の流れを感じました。

便利だから「ない」こと、不便だから「ある」こと


彼らとの暮らしから、近代的な機械が生産されてもなお「環境にやさしい暮らし方」を続ける姿は、特に印象的でした。

なぜそのようになるのだろう、と彼らを観察しながら考えてみると、自分自身が好きだから、その生活スタイルを選んでいるという「自分で選んで決めている」心地よさが大きいと感じます。

だからこそいくら便利でも、洗濯機を使わない選択や都心に出ていかない選択をするのだろうと思います。日本でもレジ袋が有料になるなど、環境に対する取り組みが増えてきています。

取り組みのベースとして「しなきゃいけないから、する」から始まる行動であっても、「自分自身がそうするのが好き」という自分にとっての心地よさを見出していくことが「環境にやさしい暮らし方」がムーブメントとして終わらずに、暮らしの中に根付いていくヒントになるのではないでしょうか。

All photos by Natsuki Ishibashi

ライター

中学2年生の時、渋谷のファーストキッチンで外国人留学生と友達になったことを機に彼らの「心がオープンな在り方」に魅了され、漠然と「海外で暮らしてみたい!」と興味を持つ。その半年後、初めての海外ニュージーランドへ。大学卒業後は青年海外協力隊で念願の異文化の中で暮らしながら働く。中米グアテマラの小さな町の小学校教育の分野で活動する。市内ワーストだった僻地校が2年で市内トップに。帰国後は、さまざまな困難に直面する子どもやその保護者と関わる。好きなことは、お散歩。

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