伝統産業を残すべく里山再生に挑むデザイナー 〜島根県・温泉津町|小林新也さん〜
キャリアと人生 ・2022年8月16日(2022年11月17日 更新)
山口県萩市のゲストハウス「ruco」のスタッフである”しょうさん”の紹介でやってきたのが、島根県温泉津(ゆのつ)。
ここに里山をつくっているという、一見俗世離れした方がいらっしゃいます。その方がデザイナーの小林新也さんです。
photo by 合同会社シーラカンス食堂
小林 新也(Kobayashi Shinya)
合同会社シーラカンス食堂 / MUJUN 代表社員・クリエイティブディレクター・デザイナー。合同会社里山インストール代表。1987年兵庫県小野市生まれ。デザイン、海外流通、刃物職人の後継者育成、刃物製造を行っており、特に職人の後継者問題を通じて、日本社会が抱える深い問題に取り組む。本質的な解決を目指して、2021年に島根県に広大な土地を購入。兵庫県小野市と2拠点生活をしながら、22世紀に向けての「新しい里山暮らし」のデザインに挑戦中。
日本の伝統産業を海外へ輸出して、高い評価をもたらした小林さん。デザイナーとして活躍している小林さんが、温泉津に里山をつくる理由とは。かつて「風の人」であった小林さんが、温泉津の「土の人」になった今、感じることも、お伺いしてきました!
伝統産業に関心がある、拠点づくりをしてみたい、旅をしながら地域貢献がしてみたい、そんな方には必見のインタビューです。それではどうぞ。
デザイナーでありながら、里山をつくる人に
photo by Yuki Higuchi
今日はお忙しい中、ありがとうございます!里山をつくっているということは聞いているのですが、まずは小林さんの経歴について教えていただけますか?
もともとは”伝統がある地場産業の職人の後継者問題をなんとかしたい”とデザイナーになりました。職人の価値の再定義をするためにブランディングを兼ねて海外の販路を開拓したり、後継者が生まれるように資金繰り等の仕組みづくりなどを行ったり。しかし思ったより問題は深刻でした。
photo by 合同会社シーラカンス食堂
photo by 合同会社シーラカンス食堂
そうですね。伝統産業を継承していくことはずっと変わらずやっていることで。里山づくりはその延長にあります。
そこを不思議に思っていたんです。里山づくりと伝統産業の継承がいまいち自分の中で繋がらなくて……(笑)
ブランディングに携わって、海外に足を運ぶと、日本の伝統産業への期待が大きいことを感じます。そして、よく聞かれたのが「これは100%ハンドメイドか?」ということ。
産地で手作りをしているので「イ、イエス…」と答えるんですが(笑)
でも、100%その産地でつくられたものってじつは多くはないんです。
例えば刃物の生産。製造は日本の職人が行っています。だけども、その原料や資材、燃料など製造に関わるものが100%産地でつくられてるかというとそうとは限りません。鉄はどこから来たのか分からないし、生産に関わる資材や燃料は流通による仕入れに頼っているのが事実です。
資材や燃料の産地まで見ていくと、たしかに100%産地でつくられてるものって多くはなさそうですね。
それに加えて、日本でもいき過ぎた効率的なものづくりが増えてしまいました。これはひどい例ですが、「手打ち」と名乗ると売れるからといって、鍛造刃物風に見せることを目的に、後から金槌の槌目を入れる企業もあるほどです。完全にものづくりの本質を忘れています。そして最大の疑問は、1週間学べば習得できるような手打ち風の偽物の刃物を作っている人も、長い年月をかけて技術を習得しなければつくることができない本物の総火造鍛造の刃物を作っている人も、一括りに「職人」と呼ばれることです。職人とは何か、それを意識するようになりました。
photo by 合同会社シーラカンス食堂
総火造鍛造の技術でつくられた刃物photo by 合同会社シーラカンス食堂
職人の本質に近づくための里山づくり
そんな裏事情があったんですね……そこから里山にはどう繋がるのでしょうか?
海外での販路開拓をしていたとき、海外の人たちは良いと思ったものにはしっかりとお金を出すし、日本のものづくりにすごく大きな信頼を持っています。日本は職人の国だと。
しかし、今の産地では正直この期待に応えられる地域は少ないと思います。果たして本物の職人はあと何人いるのだろうか。本当の地場産業を名乗り、価値を再定義するときに、自然と付き合い暮らす中で、材料や資材、燃料を自給してものづくりができるようになると、そもそもの本当の「職人」というものに近づけるのではないかと思いました。
なるほど。小林さんにとって、職人とはどのような人のことを指すんでしょうか?
ものづくりを通じて自然を活かして自然に生かされる人がそもそもの職人という概念なのではないかと気づきました。気候や風土、その地域の自然と上手く付き合う中で生まれたその土地ならではのものづくりと暮らしができる人が職人なのだと思います。
photo by 合同会社シーラカンス食堂
だから里山をつくって、材料や資材などを自分たちで賄えるようにしようということなんですね。
日本の国土のほとんどが山林です。長い歴史の中で自然災害も多いこの大自然の中で日本文化は育まれました。僕が定義づけようとしている職人の概念は、神道という日本独自の宗教心にも表れていると思います。これらが生まれた背景には、人間の営みが自然循環の一部であることで上手くバランスを取って生きてきた里山の概念が影響していて、それが様々な文化を育んだといえます。
築き上げられた文化を残す
photo by Yuki Higuchi
なるほど。そこまで強いモチベーションで伝統産業を残したいと思うのはどうしてなんですか?
モチベーションは10代の頃に抱いた怒りですね。実家は代々表具屋で、襖や障子の張り替えなどを行う仕事なのですが、中学生時代の頃に急速に景気が悪くなる姿をみていました。最初は漠然となんでやろと思い、親に余計なことを言ってよく喧嘩をしていました。何かわからないものに怒っているような感じでした。
そうです。近頃は襖を張り替える機会が激減しました。昔はハレの日のような儀式ごとをする時に家族や親戚が実家に集まったり、人を家に招くという習慣が当たり前のようにあり、そういった日には襖や障子を張り替えて綺麗な空間を準備していました。襖を張り替えるという行為は、実に文化的だと思うのです。しかし今は核家族化が進んだこともあり、儀式ごとを便利によそでするようになったので、襖や障子を張り替える必要が無くなったのです。
そう。様々な伝統に同じことが言えるのですが、数千年数百年かけて受け継がれてきた文化は、たったここ数十年で急速に失われていっています。伝統文化は環境への配慮も含めて成り立っています。襖の張り替えは、ドアを交換するわけでも、塗るわけでもなく、紙を張り替えるだけ。襖の内側は木枠と紙で構成されているのですが、表面の紙を張り替えるだけで、部屋のインテリアを大規模に変えることができます。
昔の人たちは自然に合わせた暮らしの中で、いつの間にか環境への配慮がなされるような文化を築いていたんですね。
そうだと思います。コストもあまりかからないですし、ゴミもほとんど出ません。そもそも使っている素材もほぼ全て植物です。経済的な豊かさを追い求めたことによって、とんでもなく価値のあるものを忘れかけている日本だと僕の目にはうつるんです。それをなんとかしたい。
流通に頼らないためにものづくりに向けて
なるほど、そのひとつが里山をつくることなんですね。
そうです。正確にいうと、里山づくりというより、里山再生ですね。先人が作った里山を再生することに今は取り組んでいます。これにより持続可能なものづくりを目指したいですね。里山再生をすることは間違ってないんだという確信が、コロナで後押しされたようにも思います。
コロナになったときに、一時的に仕入れや販売に関係する流通が止まりました。そのとき、流通に頼ったものづくりが危ういことが明らかになりました。地場産業と言っていますが、じつは流通に依存していて、そう言った意味では基盤がぐらぐらなんです。だから、自給できるものづくりを今のうちからしておくために里山再生は改めて必要だと思いましたし、温泉津に決めたのも鉄分が多い土壌だったからです。将来鋼づくりにも挑戦したいと思っています。