今回インタビューさせていただいたのは、福澤唯さんです。とても可愛らしくて素敵な唯さんは、他の人とは違った珍しい旅をされた方です。
家族を巻き込んでの弾丸世界一周旅行の全貌をお聞きしてきました!
新しいことがしたい!
長野の田舎から上京して、大学に通うも、どこか満たされない毎日を過ごしていました。自分自身に自信がなかったせいか、なんかおもしろいことしなきゃ!ちょっと人とは違う道を選んでいかないと!って焦っているところがあったのかもしれません。
大学入学後は、ダブルスクールをして建築の勉強したり、ベンチャー企業で働いたりと自分の好きなことをしてきましたが、また、そろそろ次の新しいことしたいなと思って。
それで「旅でもするかっ!」みたいな感じで世界一周を決めました。短期留学で海外にも住んだことがあったので海外に対する怖さや抵抗はなかったし、もともと旅行も好きだったので。
世界一周に行くって決めて、二ヶ月間準備の期間を経て、世界一周に出ました。自分の性格柄、即決、即実行っていうような感じでした。
「世界一周に妹も連れて行きなさい」
そうやって準備を進めていって、親にも世界一周することを打ち明けました。そうしたら「妹も連れて行くなら世界一周してもいい」という交換条件を突きつけられました。
出発も迫っているし、妹はまだ小学生だし、と正直なところ不安要素はたくさんありました。でも、小学生の妹と世界一周している人はなかなかいないので、他の人とは一味違った世界一周をできるいい機会だと思ったんです。
姉としての子育て
実は、妹との世界一周を決めた理由はもう一つありました。私と妹は10歳も年が離れているので、姉妹というよりは親子のような関係だったんです。
だから、妹を教育するのは自分だっていう意識が昔からあって、日本から飛び出して世界を見せることは教育の一環としていいなと思ったんです。
しかも妹はかなりインドア派なので、もっといろいろな世界を見せてあげたかった。10年先に生きてきた身として、チャレンジするきっかけを与えてあげるのは私の責任だと思っていたし、この旅を通して自信をつけさせてあげれたら、彼女にとってもっといい人生になるんじゃないかなって思ったんです。
いざ姉妹で世界一周
そうしてバタバタと準備をして、小学校の休みに合わせて8月に世界一周をスタートさせました。妹は、見たこともないような世界に追いやられて、不安やら恐怖やらでいっぱいだったと思います。
旅の途中に何度も帰りたいと言っていました(笑)だけど、一人で帰るなんてことはできないし、前をゆく姉の背中を追いかけるしか術はないので、結局最後まで二人で旅を続けました。
滞在中の寝床に関しては、全てホテルを前もって予約しておいて、安心して泊まれるような場所を選んでいました。小学生を連れていくということになると、食事もちゃんと気を使いましたね。おかげで体調を崩すことはあまりなかったです。
旅の中でいろんなことにチャレンジして欲しかった
8月と9月の二ヶ月で世界一周をしたので、妹は一ヶ月学校を休みました。その一ヶ月は、本来ならば日本の学校で義務教育を受けなくてはいけなかったわけです。
その大事な期間が私に託されていると考えたら、色々なことを学ばせてあげなくてはという気持ちになりました。 例えばペルーに行ったときは、一人で市場に行かせました。
迷子にならないように、最初に三日間ぐらいかけてその町を回りながら道順を確認して、私が値引き交渉をするのを隣で見せて勉強させました。
あと、メディアに対する興味も持って欲しかったので、次に行く国にどんなものがあるのか、どんな所に行きたいのかは自分で調べさせていましたね。
でも、小学生の妹にとって、世界という場所は、ちんぷんかんぷんなところだったと思います(笑)。世界史を勉強してるわけでもないし、知識も浅いから目の前の歴史的な建造物の価値もいまいちピンときてないみたいで。
例えばイタリアに行ってコロッセオとか見ても、何のことやら分かってないんです。でも、このままじゃ妹にこの景色を理解してもらえないと思って必死に説明しました。小学生に分かる言葉で伝えるのは、なかなか難しかったですね。
トルコで妹が行方不明に!
何事もなく順調に旅していたんだけど、途中で妹とはぐれてしまったこともありました。その日はトルコ滞在の最終日で、エジプトに出発するために空港まで向かってたんです。
路面電車で移動してたんだけど、降りなきゃいけない駅で妹が電車内に取り残されちゃったんですよ。必死にドアを開けるボタンを押してたんだけど開かなくて、そのまま電車が行っちゃったんです。
あ、やばい!っと思って、かなり焦りました。とりあえず近くにいた人に話しかけるけど英語も通じないし、駅員さんにも通じなかったんです。