編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

今回は、TABIPPO立ち上げに関わった前田塁さんにインタビューしてきました。留学、世界一周、就活を同時に行い、留年せずに卒業した前田さん。

自らを割と心配性と語るにも関わらず、留学、世界一周、そしてTABIPPO立ち上げへと突き動かした原動力はどこから来ているのか。お話をうかがってきました。

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興味はずっと留学に向いていた

ニューヨーク留学、世界一周に行ったきっかけ

まず先に、ニューヨーク留学が決まっていたんです。大学2年生の夏に、大学の交換留学プログラムの試験を受けて、秋には結果が出て、留学が決まりました。その後、準備期間が一年あり、その間に留学が終わる大学4年生の5月から、日本の大学が始まる9月まで何をしようかなと考えていました。

大学4年生の5月ともなれば、同学年は就活が一段落している時期ですよね。自分はどうしようと考えたときに、就活のために日本に帰るとなると、時間的にも金銭的にもすごく勿体ない。

 

留年したとしても、次年度の就活までは相当時間があいてしまう。それなら、海外で就活をして、留年せずに卒業しようと決めました。

そして、日本の大学が始まる9月までに、ニューヨークから東回りでぐるりと世界一周しながら帰国することにしたわけです。

 

世界一周の本

中学三年生の頃、ちょうど進路に悩んでいた時に、たまたま本屋に行くと、世界一周の本が置いてありました。当時の僕にとってはものすごく高い買い物でしたが、どうしようもなく惹かれて買いました。それからそれをずっと家に置いておきました。

その後、高校、大学と国内の学校に進みましたが、それでもずっと世界一周のことが気になっていて、機会があれば行きたいと思っていました。

ただ、興味は留学に向いていたんです。留学が大学2年の頃に実現すると決まったところで、もう一歩先があるのではないかと思うようになりました。それが世界一周につながりました。

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やりたいことやらないと損するな、と思った

留学という夢

みなさん、留学ってどのようなイメージですか?英語ができないといけないのではないかと、少しハードルが高いイメージがあるのではないでしょうか。

僕も大学1,2年生の頃は留学の夢を諦めかけていました。それは、海外の大学はとにかく厳しいということを聞いていたし、帰国子女の方が改めて行くものというイメージがあったからです。

 

それが変化したのは、大学1年生の春にオーストラリアへ短期留学した時でした。これは半分留学半分遊び、というプランで、朝から昼過ぎまでは授業に行き、放課後はスキューバやバーベキューをしていました。

そこには自分よりも英語を話せない人もたくさんいて、良い意味で「なんとかなるな」と思えるようになったんです。夢が復活した瞬間です。

 

決断を後押しした本

留学、世界一周を決断した理由の1つに、ある本との出逢いがありました。それは、「はあちゅう」こと、伊藤春香さんの本です。

大学の生協にたくさん並んでいたその本を見つけて、いったい誰なんだろうと手に取りました。そこで、著者がホリエモンや孫正義さんのような遠い存在の人ではなくて、1つ上の大学の先輩だということを知りました。

当時テニサーかバイトしかしていなかった自分。その一方で、はあちゅうさんは本を出し、こんなにやりたいことをやっているんだと感動したんです。たった1つ上の先輩なのに、こんなにも違うのかと衝撃でしたね。そして、「自分もやりたいことをやらないと損するな」と思いました。

 

クレイジーな街、ニューヨーク

なぜニューヨークだったのか

僕は三重、大阪、北海道に住んだことがあって、どこも地方でした。地方にも中心都市はありますが、東京とは比にならないんです。人の多さを見ても、地方都市とは段違いです。だからこそ、僕は東京が大好きなのですが。

最初は刺激的だった大学生活も、授業、バイト、サークルをぐるぐる回っているうちに先が見えてきてしまったんですね。授業に行って、試験が近くなったら、試験問題を集めて、みんなでテスト勉強して、このまま4年間終わってしまっていいのかと疑問に思い始めました。

 

でも、環境を変えることもできなくて、どうしようかとオロオロしていました。そこで、「東京よりも大きい世界都市に行けば、今の状況を変えられるのではないか」と思ったんです。

東京よりも大きい世界都市の候補として、ニューヨーク、ロンドン、シンガポールがありました。ほぼノリで、ニューヨークならよそ者を受け入れてくれる感じがあるのかなと思い、ニューヨークに決めましたね。

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よそ者を受け入れてくれる街

ニューヨークはやはりよそ者を受け入れてくれるような印象がありますね。観光地としては他の都市よりは目立たないかもしれませんが、現地の人からしてみれば、ニューヨークはアメリカの中でも異常な街、段違いな街なのだと聞きました。160カ国以上の人が暮らしています。

本当に聞いたことのない国から来ている人もいるんです。ニューヨークに来ているのは、相当な上流階級か、成功者、もしくはものすごく野望を持った人のどれかだと思います。

それぞれの地元で負け知らずの人が、わざわざニューヨークに集まって戦っている。だから、誰と何を話しても話が大きくて、「俺が!俺が!」って人が多い。とてもエキサイティングでした。

 

勝負する者が集まる場

僕が通っていた大学は、2000人くらいのカレッジと呼ばれる小さい大学でした。それでも、外部講師として起業家の方が来たり、企業やNPOと連動したサークルも多くありました。企業とのカンファレンスや、ボランティアなどが人気でした。学生も躊躇なく学外の活動に飛びこんでいました。

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Mr.タイムズスクエア

ニューヨークで頑張る日本人

当時、僕は英語を全然話せなかったので、周りからもケチをつけられ、ニューヨークの起業家に会いに行くレベルではないと思っていました。

そんな中、ニューヨークで頑張っている日本の起業家チームがあることを知りました。そして、そこのボスの人と連絡を取ってみたんです。そのボスがMr.タイムズスクエア(以下Mr.)という名前で、変わった人がいるなあと思いましたね(笑)。

後に知ったのですが、彼はADKという有名な広告会社のアメリカ支社の副社長で、めちゃくちゃ偉い人だったんです。でも、ニューヨークが「偉い、偉くない」を全く気にしない文化のある街だったので、Mr.にはとてもお世話になったし、自分の価値観について考える機会をたくさんいただきました。

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ニューヨークに住む野心溢れる学生達のメンター

Mr.からは、色んなことを教わりました。日本に帰ってからの原動力になっていますね。ニューヨークの学生にとってはメンター、師匠のような人でした。

一度100ドル札を持ってこいと言われたことがありました。お札を持って行くと、Mr.がろうそくに火を付けて持ってきたんです。「この先の話を聞きたい人だけ、お札を燃やしてください」とMr.が全員に向かって言いました。そこで「塁どうする」、と聞かれるも、「絶対いやです」と答えました。

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