こんにちは!今回のインタビューは笑顔写真家のかとうゆういちさんにお話を伺いました。人の笑顔であふれる“笑顔の旅”とは?
なぜ「笑顔写真家」に?
大学生の時、そのまま順調に大学生活を送り、大学4年生の時に企業の内定をもらいました。その後、大好きな“旅”で兵庫県へ。
そこで、散歩していた時に公園からきゃっきゃとかわいらしい子どもたちの声が聞こえたんです。ふと公園に寄り、一緒に遊んでいるうちに、心が潤っていきました。そして、子どもたちの満面の笑みを見た時、写真を撮りたくなったんです。
その写真を撮った時に僕の中で雷が落ちました。写真の中の笑顔を見ると僕は、「この笑顔見た人がみんな笑顔になっちゃうんじゃないかな」と、思ってしまいました。
その時から、笑顔の架け橋になれる写真家になりたいと思うようになりました。
友達、両親、先生、周りの人は賛同はしてくれなかった
卒業前に「笑顔で笑顔になっちゃう笑顔展」という写真展を開催しました。2日間で300人の人々が来てくれて、自分の撮った写真を見てくれて、感じてくれる人を見て、泣きたいぐらい嬉しくなりましたね。
その時笑顔写真家になりたいという気持ちと、企業内定も戴いているという気持ちで揺れ動いていました。両親、友達、相談する人みんな賛同はしてくれなかったです。
しかし、自分自身の溢れ出てくる気持ちは抑えられなくて、卒業一ヶ月前に「笑顔写真家として生きていく」と、決意しました。勇気は要りました。
旅というのはその時の決意ですが、仕事となれば、一生付き合っていかないといけないですよね。だからこそ、きちんと決意を決めたいと思っていました。ここできちんと自分の気持ちを固めないと、くじけた時に他のせいにしてしまうと思ったから。
メディアに違和感。
心が痛むニュースがすごく多い。日常の中にこんなにも素晴らしく愛おしいものがあるのに、メディアには取り上げられない。人が幸せになるようなニュースを取り上げたい。
そして、自分が旅をしてきたものを、ひとつの「集大成」として一冊の本にしようと決めました。写真で撮らせてもらった笑顔をまた違う人に「ハッピーニュース」として届け、笑顔の架け橋になりたかったのです。
旅の資金などは?
旅に出発するのを決めたのが卒業一ヶ月前だったため、お金は全然無かったですね。当時、現金7万円。でも行こう!今だ!と思い、出発しました。そして、その土地に入って暮らす、日本各地を巡る旅をしていました。
住み込みで働かせてもらいながら、その土地に溶け込み、旅をしていました。残金が8円になっちゃったこともありましたよ。宿だけは“出会い”のお陰で野宿をしたことも無かったですが、ご飯も食べられなくて、お風呂にも入れなくなって…。
そしたら悲しくて涙が出てきて、自分自身が折れてしまわないかが一番不安でした。その時、初めて母親に連絡し、段ボールいっぱいの食べ物が届いた時は、やっぱり両親って偉大だな。って改めて実感しました。
金銭的にもしんどかった旅。でも最初からひとりではなかった
旅に出る前に一眼レフもなかった。買うお金もなかった。しかし、新潟のNPOの方で一人だけすごく応援してくれる人がいました。
その人が「応援金でカメラを買ってあげるよプロジェクト」を立ち上げてくれて、9名の方が応援をしてくれ、1週間で一眼レフをいただくことができて…。
振り返ると最初から一人ではなかったな、って思います。背筋伸びますよね、頑張らないといけないなって。そして旅を始めて一年後、新潟で写真展を開きました。そこに両親も来てくれて、お前はこういうことをしていたのかって。その時から認めてもらえるようになりました。
やっぱり、ちゃんと伝えることを止めちゃいけないなって、伝えようって努力することを止めちゃいけないんだなって思いました。