そういった明日を乗り越えるために不安を取り除くには、「祈る」しかないと思っています。「神様は僕を見守ってくださっている」この言葉を信じるだけで、新しい一歩が非常に軽く感じます。
“聖地”に行ってみたい
photo by Kazuki Kiyosawa
そのうち僕は教会だけでなく、イスラム教徒のモスク、仏教徒やヒンドゥー教徒のお寺に足を運ぶようになり、その神様に対するそれぞれの祈り方を学び、「考え方」や「教え」も人に話せるくらいは、それぞれ勉強しました。そして、これほどまでに多くの人々の希望になっている「宗教」の“聖地”には、必ず訪れたい!と思いました。
“ヒンドゥー教徒”の聖地「インド・バラナシ」に流れるガンジス川。人々は、ここで沐浴することで罪を洗い流します。
photo by Kazuki Kiyosawa
僕たち日本人のルーツでもある“仏教”。その仏教発祥の地「インド・ブッダガヤ」。この菩提樹の下で、ガウタマ・シッタールタは「悟り」を開きました。
もともと全く興味のなかった「宗教」。これからもおそらく入る予定はないし、生涯無宗教だとは思いますが、それでも僕を魅了し続ける「宗教」。いつしか僕は、世界三大宗教(キリスト教・仏教・イスラム教)の聖地には必ず訪れたい。そう思うようになりました。そう思った日から、“聖地”と呼ばれるイスラエル・エルサレムを目指す僕の巡礼の旅は始まりました。
“聖地”エルサレムへ
photo by Kazuki Kiyosawa
「聖地へ行きたい」そう思い始めてから、2ヶ月ほど経った頃。僕は目的地エルサレムにいました。この場所は、キリスト教徒・ユダヤ教徒・イスラム教徒の聖地なのです。イエス・キリストが十字架に磔にされ、処刑された場所。その名を「ゴルゴダの丘」と呼び、その場所に建てられたキリスト教徒の聖地、“聖墳墓教会”です。
教会までのキリストの足跡を辿る巡礼を“ヴィア・ドロローサ”と呼び、今日でも多くのクリスチャンがイエスが十字架を背負い歩いた道を涙を流しながらすすり歩きます。
photo by Kazuki Kiyosawa
こちらは、イスラム教徒の聖地“岩のドーム”です。ムハンマドが昇天し、天への旅に出発し、全知全能の神アッラーの予言を受けた場所です。今まで、多くの「宗教」という価値観に触れてきましたが、イスラム教徒が1番厳格で、厳しいように思います。
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最後はユダヤ教徒の聖地“”嘆きの壁“。
ヤハウェーが全宇宙をここから創り上げました。世界一周出発前、「嘆きの壁」の存在は知っていましたが、その魅力には気付くことができませんでした。僕の旅は、どちらかというと“アクティビティメイン”だったからです。しかし他の宗教に触れるにつれ、この場所もどうしても行ってみたくなりました。今日も多くのユダヤ人が、この壁に向かって祈りを捧げています。
…この旅で、数え切れないほどの教会に足を運び祈ってきた僕にとって、この場所は紛れもなく“聖地”であり特別な場所でした。その偉大さに、聖墳墓教会内の実際にキリストが処刑された場所では、涙を流すほどでした。
「祈る」とは、つまり「希望を信じること」だと思います。旅をしていて、“奇跡”としか思えない要素によって、困難を乗り越えたり、新たな出会いがあったりします。果たしてこの“奇跡”とはどこからくるものなのでしょうか?
この旅の中で祈るにつれて、僕は、「どうしようもない状況に陥ったとき、日頃から行っている“祈り”から生まれるもの」=「“奇跡”によって道が開けるということ」だと感じました。
photo by Kazuki Kiyosawa
最初は「宗教が与える社会への影響」から入った興味も、気付けば「宗教」そのものへの敬意に変わっていました。ここまで語っていても、やはり「無宗教」で良かったと思える自分は変ですが、これからも「明日」を祈り、旅を続けます。
イスラエル・聖地エルサレム。僕と同じように日本を離れたときは、全く行く予定のなかった人でも、世界を旅し「宗教」に触れることで行ってみたくなるかと思います!そのときは、ぜひ「祈る」ことを忘れないでください。