編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

この記事では、TABIPPOがつくりあげた3冊目の旅の本、『女子が旅に出る理由』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している一人旅体験記を厳選して連載しています。

今回の主人公は、新婚旅行で世界一周をした吉田葵さん(当時33歳)です。

世界には、様々な理由やきっかけによってを一人旅を決意して、自分の心と体で世界を感じてきた女の子たちがいます。

手に入れたのは、どんなに高価なアクセサリーよりも魅力的な自分らしさ。

そんな女の子たちが、初めての一人旅のときに「なぜ旅に出て、どう変わっていったのか」。

すべての女性に読んでほしい、女の子一人旅ストーリーをまとめました。

 

\こちらの記事は、書籍化もされています/

書店POP_01

 

世界地図を広げて描いた新婚旅行

私にとって、初めての旅は新婚旅行だった。夫婦で行く、期間未定の世界一周。

25歳。

一生のうちに実現させたかった夢には、ものすごいワクワクと同時に不安もあった。そういうわけで、私が最初にしたことは、彼氏を世界一周の旅に勧誘することだった。

勧誘は成功。一緒に世界地図を広げ、旅の道筋を話し合う時間は楽しかった。

旅に出る人間は、「旅の一歩先にある可能性を信じている」。私たちも旅を通して何が自分にできるのかを考えた。

テレビで見る途上国の子どもたちは、貧しい中でも瞳をキラキラ輝かせて笑っている。笑顔の理由が知りたい。あの笑顔に混じりたい。

子どもたちと関わるために、旅の途中でボランティアに参加することに決めた。

それから、オリジナルのTシャツをHPで 販売し、その売上を現地で出会った人たちのために使い、世界の笑顔につなげていこうというアイデアが生まれた。

私たちはそれを「SMILE EARTH PROJECT」と呼ぶことにした。

資金や荷物、企画の準備に1年をかけ、26歳になった私たちは、籍を入れ、夫婦になったその日に世界一周に旅立った。

 

50ヵ国を旅した。旅は、最高だった。

日毎に変わる景色、活気にあふれた市場、日本では味わったことのない美味しいごはん、日本人とはまったく違う生き方をする人々、度肝を抜くような世界遺産の数々。

刺激的で、ワクワクドキドキの連続。同時に、朝夕に空を見上げ、太陽の昇る様を沈む様を見る余裕があった。

その時間が、どれだけ心を豊かにしてくれたことだろう。カンボジアやインド、タンザニアやウガンダなどでは ボランティアとして長期滞在した。

そこで私たちは、瞳を輝かせて笑いながら生きるために必要な条件を知った。

 

 幸せのおすそ分けをもらえた村

4591205399_93f637b435_b

photo by Ellen Munro

カンボジアでは、初めてボランティアを体験した。フリースクール「愛センター」で頼まれた内容は日本語を教えること。けれど、日本語を教えることは初めて。

日本語の文法を教えるなんて高等技術は持っていない。そこで、歌を唄い、日本の遊びである折り紙や、だるまさんが転んだを教えて、一緒に遊んだ。

休み時間を泥だらけになりながら一緒に走りまわる子どもたちが、授業になると真剣だった。

他にも小学校建設のボランティアにも参加した。

世界遺産アンコールワットのある都市から車で 1 時間以上離れた農村。

 

電気、水道、ガスなんて便利なものはない。ここに学校ができると400人の子どもたちが教育を受けることができるという。朗らかな笑顔にあふれる村だった。

村全体が家族のようで、子どもたちを近所中の大人が見守っていた。孤独な人は見当たらなかった。私たちも、その輪の中で幸せのおすそ分けをもらっていた。

「SMILE EARTH PROJECT」の成果として、「愛センター」にトイレを、建設を手伝った「IKIIKI SCHOOL」 に遊具を寄付した。

 

みんな、誰かにそばにいてほしい

インドでは、マザーハウスのボランティアに参加した。見捨てられた孤児や死にゆく人たちのお世話をしていた時に思った。

(みんな、誰かにそばにいてほしい。人間は、ひとりで生きることができない)。

マザーテレサは「貧しい人たちの中でも一番悲しい人は、周りに誰も見守る人がいない人だ」と伝えていた。

 

食事をするということにも抵抗する子どもがいた。3 人がかりで、1人が子どもの体を押さえ、1人が子どもの口を開け、1 人が食べ物を流し込んだ。

子どもは涙を流しながら抵抗し、それは生きることを拒否しているようにも見えた。心が痛かった。

(生きることが辛くても、誰かがそばにいることで、その負担が軽減されますように)。

子どもたちを見て祈った。

 

インドでは、他にもプリーという街の有名な日本人宿サンタナが運営する小学校でボランティアに参加した。

生徒みんなを撮影した写真のパネルを作成し、壁にかけさせてもらった。それから、「小さな世界」という歌を教え、お父さんお母さ来る発表会の日に日本語で合唱した。拍手がおきた。

(助け合いの輪が、ここからも広がっていきますように)。

 

「お願いします」という言葉に、 お母さんが込めた意味

shutterstock_180284702

photo by shutterstock

ウガンダでもタンザニアでも、孤児院や学校に行った。同じだった。みんな寂しい。みんな誰かとつながっていたい。

孤児院にいる子どもの多くは、エイズ孤児だった。私たちが訪ねたのと同じ日に、遊牧民の兄弟がお母さんに連れられてやってきた。

お父さんがエイズでなくなり、お母さんもエイズ に感染し長くないそうだ。子どもたちの受け入れ先を探していた。

 

「お願いします」。

その母親の言葉に込められた意味を思う。

(自分の子どもを愛してほしい。孤独にしないでほしい)。

子どもたちは、いつも甘えさせてくれる大人を見極めようとしていた。

「ずっと友達だよ、一緒にいてね。いなくなったら寂しい」。

その場で抱きしめてあげることしかできない。校舎の壁に世界地図を描き、子どもたちに日本とアフリカの位置をお話しした。

「離れていても、いつも思っています。お互い元気に頑張ろうね」。

タンザニアの小学校には黒板を寄付した。学び続けることが、いつか将来の糧になることを祈って。

 

たくさんのものが見たくて旅に出た。辿り着いた村々で見えたものは…。

日本にあるような便利なものは、ほとんどない。

電気もガスも水道もないから、生活は太陽とともにあり、自然に生かされている。働く会社もないから、自分で家族を養うために食べ物を育てる。

十分な食べ物を育てられないから、村で分け合う。1日かけて編んだカゴは 50 円。余分なものを買うお金はないから、本当に必要なものを考えて、それで満足できる。

 

何もない村だからこそ、生まれた

2449420399_b967659ba5_b

photo by Aries Tottle

洋服も、みんなの分はない。日本人が持ってくる古着は、洋服のない子から順番に配っていく。

「もっと、もっと」とは言わずに「次はこの子にあげて」と言う。

保育園なんてないから、 お母さんが働いている時、赤ちゃんの世話は子どもの仕事。 家族は支え合わないと生きていけないから、いつも触れ合いがある。

ない。ない。ない。だけど、そこにはやさしさが生まれ、感謝があふれていた。

編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

RELATED

関連記事