小さい頃から、誰かの善意に甘えることが苦手だった。
人を頼ったり、助けを求めたりすることに怖さを感じていた。
「誰かに迷惑をかけて良いほど、自分に価値はあるのか」
誰かに頼ろうとするたびに、この考えが頭をよぎり、喉まで出かかっていた助けを求める言葉を飲み込む。
でも、世界をひとりで旅していると、誰かに頼らざるを得ない場面に遭遇。
私は、世界一周の旅をするなかで、思いがけずたくさんの優しさに触れ、少しずつ誰かの善意に甘えられるようになっていった。
「受け取った優しさは、いつか誰かにお返しする」
旅をしながら決めた、私のマイルール。
いつか誰かに、受け取った優しさを返すと決めることで、旅中にたくさんの優しさを受け取ることができた。
“優しさ”で心満たされた、旅立ち前の送別会

世界一周へ旅立つ少し前のこと。
大好きな旅仲間が私のために送別会を開いてくれた。
今思えば、このときの送別会が、私が世界一周中に”優しさ”について思いを馳せるきっかけに。
忙しい合間を縫って、会いに来てくれた大好きな旅仲間。
私の世界一周をこんなにも大勢の人が応援して、わざわざ会いに来てくれたことが、とても嬉しかった。
みんなの温かさと優しさに触れ、心は幸せでいっぱいに。
この幸せの余韻は、送別会が終わり、数日後に世界一周へ旅立つ日を迎えても続いていた。
世界一周前日の日記には、次のように書かれている。
驚くことに、世界一周前日の心境は不安でもわくわくでもなかった。
たくさんの人にお見送りしてもらえたことが嬉しくて、そのことばかり心に残っている。
みんながくれた優しさに対する喜びは、世界一周へ旅立つ不安や期待を上回っていた。
胸の中にある、温かい気持ちを味わいながら、こう思った。
「人は、悲しみを経験して優しくなることもあるけれど、優しさを知って優しくなることもあるかもしれない」
“優しさ”を知るために、”優しさ”を受け取ろうと思った瞬間だった。
タイで歩けなくなった日、差し伸べられた救いの手

世界一周を始めて13日目のこと。
タイのアユタヤで、道路を横断中に、足を激しく捻挫してしまった。
足を地面に着けられないほどの痛さで、立つことができない。
自分ひとりの力ではどうすることもできなかった。
「助けて」なんて声にはできなかったけれど、異変を察知してすぐに現地の方が助けてくれた。
道路脇の安全なところまで運んで、病院へ連絡してくれた現地の方には心から感謝している。
受診後も、また別の現地の方に助けられた。
私が足をけがしたのは、タイの大きな祭りであるソンクラーンの日。
病院から駅へ行こうとしたが、タクシーは出払っており、配車アプリでマッチングしても、道路混雑を理由に一方的にキャンセルされることが続いた。
けがした足で、駅まで歩ける距離ではない。
それでも、誰かに助けを求めることができない私は、歩く以外の選択肢が思い浮かばず、松葉杖を使って懸命に歩いた。
何分もかけて30mほど進んだとき、ひとりの男性が駆けつけて、自身の車に案内してくれた。
普段なら、人に頼るのが苦手で断ってしまう私だが、駅まで歩くことなど到底不可能。善意に甘えざるを得なかった。
男性は、渋滞のなか私を駅まで送り届けてくれた。
足をけがしたときも、駅へ向かう道中も、本当に困っていた状況下。
現地の方に本当に助けられたし、優しさが身に染みた。
一方的に恩を受け取ることを申し訳なく思ったのは事実。
でも、今度は私が、いつか誰かを助けることで恩返ししようと心に決めることで、優しさを素直に受け取ることにした。
ささやかな優しさを味わったカミーノ・デ・サンティアゴ

フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの800㎞の道のりを、徒歩で巡礼したカミーノ・デ・サンティアゴ。
真夏の日照りのなか、身体がぼろぼろになりながら歩いた40日間に、たくさんのささやかな優しさに出会った。
グラニョンという集落では、ベンチで休んでいると、住民が近寄って、クッキーをくれたり、熱く激励してくれたりした。
難所のひとつ「オカの山越え」をしたあとに辿り着いたサン・フアン・デ・オルテガ。宿に着いた瞬間に差し出してくれたキンキンに冷えた水がとてもおいしかった。
南京虫に身体中噛まれてボロボロになった身体で辿り着いた街レオン。宿の主人が、病院に行けるようタクシーを手配してくれたり、スペイン語の処方箋を英訳してくれたりした。
優しさをくれたのは、巡礼路沿いの街の方だけではない。
同じく過酷な環境下にあるはずの、他の巡礼者からもたくさんの優しさをもらった。
足を引きずりながら歩いている私を心配して、荷物を持ってくれたドイツ人のおにいさん。
スペイン語が分からない私のために、巡礼路で使えるスペイン語を英語で教えてくれたフランス人のおにいさん。
国籍や、言語の壁を越えて、ささやかな優しさをカミーノ・デ・サンティアゴではたくさん受け取った。
ただ、ひたすらに歩くだけの日々。受け取ったささやかな優しさを噛み締めながら、日本に帰ったら、全力で旅人をおもてなししようと思った。
受け取った”優しさ”は、いつか誰かへ

私は、世界を旅した305日間に、たくさんの優しさを受け取った。
優しさをくれた本人に直接恩返ししたい気持ちはあるけれど、私は、その場でぱっと恩返しするよりも、受け取った優しさを、次に必要とする誰かへ繋いでいくのが良いように感じた。
優しさは、その場での等価交換でなく一方的なもので良い。優しさに見返りはいらない。
素直に受け取って、いつか出会う困っている誰かを助ければ良い。
世界中で受け取った優しさのバトンを、今度は私が世界の誰かへと繋いでいく。
All photos by ゆいかな