ライター
Ayano 旅する女将

外資系CAとして10年間勤務した後、東京の離島、神津島で宿「みんなの別荘ファミリア」をオープンし、奮闘中。 18歳で初めて一人で海外へ行ったのを皮切りに、留学、インターン、世界一周、航空業界と人生が旅に染まっていき、旅人を迎える側になった今でも旅に出るのはやめられない。家族からつけられたあだ名は"飛んでるねぇちゃん"。LAとマカオに居住経験あり。

多拠点居住やリモートワーク、時代が進むにつれて新しい暮らしや働き方が生まれました。コロナ禍においてそれらは加速し、さらに注目されるようになりました。

この記事を読んでいる方の中にも、もしかしたら、「あれ?都会に住む必要あるっけ?」と思い始めた方や「もう少し居心地の良い場所で暮らせないか、でもできるのかな…?」と少し不安に思っている方もいるかもしれません。

今回は、東京都心に暮らし、外資系客室乗務員として海外を行ったり来たりしていた私がその生活を続けながら、東京から南に180キロ離れた神津島に移住して感じたことをお伝えしたいと思います。

家に帰るまでに36時間。誰よりも海を越えて島に暮らし始めた

ヨーロッパ系の客室乗務員として働いていた私は、東京の離島、神津島で3つ目の夢だった宿を始めることになりました。

夢を叶えたというと、とてもカッコよく聞こえるのだけど、CAの仕事をしながら島で宿も営むというパラレルワークは多くの人が思い描くであろう、キラキラしたCAさんでもなければ、素朴にのんびり暮らすでもない。「フツーのCAさん」と「フツーの田舎暮らし」をかけ離れた想像を超えていく生活だったと思います。

そのため、本当に多くの人に支えられて、私の36時間通勤、3拠点生活が3年間も成り立って居たことには感謝しかありません。


宿を作り守ってくれたパートナー(現在の夫)はもちろんのこと、このワガママな夢を応援してくれた母、友人、乗務中も気遣ってくれた同僚や先輩。島に向かう飛行機に間に合うように誰よりも先に降機するのを許してくれたパーサーやキャプテン。

私が家に居ないと気づくと晩御飯をお裾分けしてくれたお隣さんはじめ、改装工事の段階から手伝ってくれたりと島の方々にもお世話になりっぱなしでした。

「おかえり」の暖かさを感じる

フライトを終えて島に戻ってくるとご近所さん、スナックのママさん、時には村長まで、「あら、お帰り!」と声をかけてくれます。純粋に嬉しくて、なんていい村なんだろうと感動すら覚えました。


一人暮らしを初めてかれこれ10年たった頃から神津島を往復するようになったのですが、そういえばしばらく「おかえり」って言ってもらっていなかったような…。アパートのお隣さんの顔も知らない…。そんな都会の生活に慣れてしまっていたから、「おかえり」と言ってもらえることが、こんなにほっとするものかとしみじみと感じました。

「ただいま」の言える場所。

縁もゆかりもないけれど、ここに住んでていいんだなと、みんなに許してもらえたような気がしました。なんだかお母さんが増えたみたい。そんな暖かさがあるこの島のことが大好きになりました。

「簡単に手に入る=豊か」だろうか?改めて暮らしを見つめ直すきっかけに

もちろん、都会の良いところもたくさんあります。

コンビニで24時間なんでも買えるし、レストランが多く食べたいものはすぐ食べられる。映画館も美術館もすぐにいけます。都会は何でも簡単に手に入れることができて便利です。でも、その「便利さ」は本当に毎日必要でしょうか?


神津島に来て改めて考えてみたけれど、毎日コンビニは行かないし、映画も話題のレストランも、時々でいいかも。どうしても行きたくなったとしても、東京の調布まで飛行機なら35分です。玄関からカウントして新宿までも100分くらいですから、思ったよりもすぐ都心までたどり着きますし、Amazonだって届きます。

そう思えたので、神津島で暮らすことに心配や不安はありませんでした。それに少し不便だったとしても、島の暮らしには幸せや居心地の良さがある気がしたのです。

それは都会で暮らしていた時と島の生活とを比べてみて、改めて気づいた自分の中の「豊かさ」の変化でもありました。

都会の楽しさも味わったからこそ感じる、ここにしかない豊かな暮らし

私の出身は名古屋なので、東京に対する憧れみたいなものはありました。高校や大学時代はドキドキして上京したものでです。だから東京都心に住んでいた時は、友人と話題のカフェに行ったり、銀座でお買い物したり、六本木に夜な夜な繰り出したりと、それはそれでとても楽しく充実した時を過ごしていたと思っています。


更に、さまざまな仕事をしている人に出会えたことは、名古屋にはない刺激でもあり、東京の良いところだと感じました。わかりやすく言うと、社長さんがゴロゴロいる感じです。

CAの同僚たちも当たり前に副業をしていたり、外国から通勤するような人もいて、初めはただ驚くだけでしたが、私もCAしながら何かできるんだ、次の夢に向けて動こうと思えたきっかけでした。

多くの出会いに恵まれ、その中でも現在夫となったパートナーに出会い、神津島に通ううちに、島で過ごす時間やその暮らしがいかに私にとって「豊か」であるか気づき始めたのです。


例えば、青く透き通った海がすぐ近くにあること。毎日違う色をなして夕陽が海に沈む様子を見つめる時間や、満天の星を見上げ、流れ星を数えること。しっとりと響く雨の音に耳を傾けることや、梅雨の晴れ間に緑がぐんぐん伸びていくことに地球のパワーを感じること。

湧き水がとっても美味しくて、漁師さんや農家さんからお裾分けいただいた魚や野菜など島の恵をありがたく味わえること。これら全てが当たり前のようで忘れかけていた大切なことだと思えたのです。

家に帰るまでの移動は最大36時間、これが月に3回ほど。体力の限界と時差ボケに苛まれる過酷な通勤でしたが、都会と島の両方を同時に味わって自分にとってどんなことが幸せで、どこにいると自分らしくいられるのかに気づいた貴重な3年間でもありました。

移住のベストタイミングとは

とはいえ、これが一人でできていたかと言うと、ちょっとわかりません。結婚は移住後だったとはいえ、一人きりでこの決断はできていなかったと思います。もしくは、名古屋の大学を出て、いきなり島で宿をやるという選択もありませんでしたし、これまで住んだ場所にも国内外問わず楽しい時間や思い出もたくさんあります。


”何歳になったらできる”とか、”家族を持ったらできない”とかそういうタイミングの計り方ではないと思いますし、”田舎に住んだらそこから出られない”というのも違うと思います。今は航空会社を退職し、多拠点生活も終わったため神津島で落ち着いて暮らしていますが、まだまだ旅は大好きだから行きたい場所はこれからも増え続けるでしょう。

リモートワークが主流となり、住む場所がもっと自由になれば今までの引っ越しと同じくらいのテンションやタイミングで都心から離れた場所に住むことができるようになるかもしれません。

旅をしながら自分にとって心地よくて、ぴったりな「豊かさ」のある場所を見つけて、暮らしはじめることができたらとても素敵ですね。

All photos by Ayano

ライター
Ayano 旅する女将

外資系CAとして10年間勤務した後、東京の離島、神津島で宿「みんなの別荘ファミリア」をオープンし、奮闘中。 18歳で初めて一人で海外へ行ったのを皮切りに、留学、インターン、世界一周、航空業界と人生が旅に染まっていき、旅人を迎える側になった今でも旅に出るのはやめられない。家族からつけられたあだ名は"飛んでるねぇちゃん"。LAとマカオに居住経験あり。

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