ライター
土庄 雄平 山岳自転車旅ライター|フォトグラファー

1993年生まれ、愛知県豊田市出身、同志社大学文学部卒。第二新卒を経験後、メーカー営業職とトラベルライターを両立。現在は、IT企業に勤めながら、自然や暮らしに一歩踏み込む、情報発信に精を出す。 山岳雑誌『山と渓谷』へ寄稿、「夏のYAMAPフォトコンテスト2020」入賞、「創業110周年記念 愛知銀行フォトコンテスト」最優秀賞など。山での活動をライフワークとし、学生来、日本全国への自転車旅を継続している。

こんにちは、トラベルライターの土庄です。旅とは無縁だった筆者がはじめてひとり旅に出たあのときから、6年半が経過しました。

旅に出ることで世界が広がり、自分の殻を破る感覚に魅了され、こうして今でも旅を続けながら、旅行ジャンルのライターとして活動しています。

最初は訳もわからず一人で自転車に乗って小豆島を訪れたことからスタートした私の旅ですが、ライフステージの変化とともに楽しみ方が広がっていきました。

いつでも新しくて幅広い。そして次のステップへ進むきっかけになる。自らの旅スタイルを振り返りつつ、そんな旅の魅力をお伝えしていきます。

学生らしいエクストリームな「自転車旅」


学生時代に確立し、今にもつながる旅スタイルが「自転車旅」です。最初は、自転車を専用の袋に入れて公共交通機関を利用する”輪行”を知らず、ただひたすら自力で旅先を移動していました。

おかげで、例えば姫路を夕方17時にスタートし、約130km離れた京都の自宅に深夜24時に到着する……など、なかなかストイックな内容になることも。

しかし、きつかった中で一喜一憂しながら走り抜けた時間が、その中で感じた土や草の匂いが、道中ふと見つけた宝物のような風景が、今でも自らの自転車旅の原体験になっています。


雨の中で通過した宝塚の峠や、21時にやっとありつけた丸亀製麺、ランナーズハイの状態で走り抜けた西国街道など。少し泥臭さもある旅だったからこそ、愚直に目の前の時間に向き合えたのだと思います。

旅に出るたび、自分をアップデートしていく感覚に高揚感を覚えている自分がいました。その熱が冷めないまま、社会人になっても自転車旅を継続します。

自分を支えてくれた「週末旅」


大学を卒業した私に待っていたのは、正直かなりきつい職場環境でした。残業時間も長く、連日深夜まで飲み会。おまけに休みも取りにくい。

上司との付き合いは絶対!……というウェットな社風も相まって、心身ともにこたえていました。そんな新社会人として揉まれていた私の支えになってくれたのが、学生時代から継続していた自転車による「週末旅」です。


日ごろ抑え込んでいる感情を解放して、休日は非日常の旅に没頭する。職場の先輩からはやや疎まれていた感は否めませんが、自由な旅こそ自分が自分でいるためにとても大切な時間だったと思います。

休日に付き合いが入りそうなとき、予定があるからと断る口実ができたことも、素直な自分の性格に合っていました。旅先ではいつも優しい方々に出会うことができ、会社とは別の旅に、自分の居場所を見つけられたことも大きかったです。

転職のきっかけになった「取材旅」


社会人1年半で、2社目に転職します。転職したのは良かったのですが、1年ほど経過すると本業でのモチベーションを保つことができなくなり、トラベルライターとしても活動することになりました。

自分のモチベーションを注ぐことのできる複業の存在は、今日まで私の支えとなっています。2社目に勤めて2年半が経過するころ、自分の中で転機が訪れました。沖縄県久米島の旅です。


とあるメディアを通じて、久米島町観光協会さんからお仕事をいただいたことがあったのですが、それをきっかけに第2弾のお仕事として”久米島の観光マップを一緒に作らないか?”というお声がけをいただいたのです。

2泊3日で現地取材を行いながら、自分の強みを活かし、現地の魅力を掘り起こすような製作物をみんなで作り上げる。久米島町の方々に喜んでいただいたことは、今まで感じたことのない、この上ない喜びでした。


また、取材の中で行われた飲みの席で、当時観光協会に勤めていたKさんに、本業での悩みを打ち明けました。そうすると「土庄くんはもっと輝ける場所は絶対あるよ。いっそのこと久米島観光協会に来ちゃう?(笑)」と言っていただきました。

この取材旅が3社目への転職のきっかけとなったことは言うまでもありません。(正直行きたかったですが)転職先は久米島さんではないですよ(笑)。

冒険に没頭できる「山旅」


新型コロナウイルスの蔓延により、世界的に行動制限ができた2020年からの約2年間。大好きな旅を楽しむには逆境といえる状況が続きましたが、それにより頻度が増えたのが「登山旅行=山旅」です。

日本の国土の3分の2は山と森林。すばらしい山は近場にもたくさんあり、山であれば「3密」も気にせず、マスクも外してリフレッシュできます。町はいつもと違う状況でも、山は変わらずいつも通りの包容力で迎えてくれます。


穏やかに流れる時間を楽しみながら、コーヒーを淹れ、美しい自然に心ゆくまで癒やされました。白銀の雪山を歩く非日常感もたまりません。日帰りでも冒険心を満たせるという点も満足度が高いポイントです。

年間50座以上を目標に、北海道や日本アルプスまで遠征を繰り返しながら、束の間、大自然に抱かれる濃い時間を過ごすことができました。


登山をすればするほど、日本の中にある未開拓のフィールドに目が向くように。登山に加えて温泉や歴史、グルメなど、あらゆる要素を組み合わせた山旅スタイルが確立され、今日までトラベルライターとしての強みのテーマにもなっています。

夫婦で共有できる「アウトドア旅」


社会人になって3〜4年は1人で自由に使える時間が多かったため、学生時代から継続してきた自転車旅に没頭してきましたが、結婚したのちには2人で楽しめる旅にシフトしてきました。

決して今までの旅スタイルを諦めたというわけではなく、自分が体験している旅のすばらしさをパートナーに共感してもらいたいですし、自分も彼女から影響を受けたいという思いが一段と強くなったのです。


初心者でも行ける山に焦点を当て、流氷の知床や初夏の阿蘇といったアウトドアの聖地と言える旅行先を巡るようになります。その一方で、旅行先でフルコースをいただいたり、カフェに立ち寄ったり、宿にこだわったりと、旅に取り入れるテーマの幅が一気に広がりました。


トラベルライターとしての引き出しの多さにつながっているという意味で仕事への良い影響もありますし、旅の楽しみ方をフレキシブルに変えられることで、大好きな土地を何度も訪れて、そのたびにいろいろな角度から深掘りできるようになった気がします。

将来を見据えて「旅をしながら仕事」


複業トラベルライターとして活動する中で、より自由にライフとワークを切り替えたいという思いが一段と強くなっていきました。

本業と複業を掛け持っているため、かなりの工数を要するのですが、加えて頻度高く旅も楽しむとなると、効率化が急務です。そのため現在は、どこでも仕事ができる環境を整備しています。


そうした経験もあって、ひとつの会社に縛られない”自分なりの将来設計”についても考え始めた現在。ありがたいことに友人から移住モニターツアーなどにお誘いいただきながら、価値観をアップデートさせてもらっています。

今では、Jターン(大都市に近い地方都市)+田舎暮らしをしながら、ライターと何かの仕事の2本柱で食べていけるように将来設計を構想中。旅とは無縁だった私がここまで変わることができたのは自分でも驚きです。


一歩踏み出し続けたことをきっかけに、仕事や将来まで良い影響をもたらしてくれた「旅」。その魅力にどっぷりと浸かりつつ、将来の切り札として、そして最高の趣味として大切にしていきたい私の財産です。

All photos by Yuhei, Ran Tonosho

ライター
土庄 雄平 山岳自転車旅ライター|フォトグラファー

1993年生まれ、愛知県豊田市出身、同志社大学文学部卒。第二新卒を経験後、メーカー営業職とトラベルライターを両立。現在は、IT企業に勤めながら、自然や暮らしに一歩踏み込む、情報発信に精を出す。 山岳雑誌『山と渓谷』へ寄稿、「夏のYAMAPフォトコンテスト2020」入賞、「創業110周年記念 愛知銀行フォトコンテスト」最優秀賞など。山での活動をライフワークとし、学生来、日本全国への自転車旅を継続している。

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