ナゴルノ=カラバフ共和国とは?
ナゴルノ=カラバフ共和国は中東とロシアのちょうど間のコーカサス地方、現在のアゼルバイジャンの領土内に存在します。この国を語る上で避けて通れないのが民族対立から発生した紛争問題です。
遡ることソ連統治下時代、アゼルバイジャン領に多くのアルメニア人が住むナゴルノ=カラバフ自治州がありました。
ソ連崩壊後、アルメニアとアゼルバイジャンがそれぞれ独立した後、ナゴルノ=カラバフ自治州に住むアルメニア人がアルメニアへの帰属を求め、1992年1月にナゴルノ=カラバフ共和国として独立。それに反発するアゼルバイジャンとの間で紛争が発生しました。
紛争はアルメニアがナゴルノ=カラバフ側につき、最後はロシアの調停により1994年に停戦協定が結ばれました。ナゴルノ=カラバフ共和国は紛争の惨禍にあった中で国際社会の承認を得られないまま事実上独立を宣言。現在に至ります。
実際に訪れてみた
photo by Kenta Sugizaki
未承認国家と聞くとそのイメージから治安面で多少の懸念がありましたが、実際に首都(ステパナケルト)に訪れてみると穏やかで素朴な雰囲気が漂う落ち着いた街でした。
街の規模こそ他国の都市より小さいですが、車が多く走っていたり、スーパーマーケットで女性が買い物をしていたり、子供たちが路地で走り回っていたりとどこの国でもよく見られる日常の光景が広がっていました。
このステパナケルト最大の見どころは街はずれの高台に立つ「We Are Our Mountain(我らの山)」と呼ばれる像で、その佇まいは一見モアイ像を連想とさせるシルエットです。
おじいさんとおばあさんを象ったこの像は紛争の絶えなかった時代からの脱却を願った人々の調和を表しているように見えました。
紛争の爪痕の残る町へ
photo by Kenta Sugizaki
首都(ステパナケルト)からミニバスで30分の場所に位置するシューシという町はナゴルノ=カラバフ紛争で最も衝突が激しかった地域とされ、私が訪れた時には町は壊滅的に壊されていました。今でも至る所に壊された建物や荒れた道が残っており、今でこそ人々が平穏に暮らしていますが当時の状況は相当なものだったことが想像できます。
民家の壁には無数の銃弾の跡がくっきりと残っており、改めて戦争の悲惨さを感じるとともに民族対立問題がいかに根深い問題であるかを考えさせられました。
ナゴルノ=カラバフ共和国を訪れるには…
行き方
ナゴルノ=カラバフ共和国はアルメニアの首都エレバンからバスで訪れるのが最もポピュラーです。
エレバンのキリキアバスターミナルからほぼ毎日、首都のステパナケルト行のバスが出ています。料金は5,000ドラム(約1,200円、2015年7月現在)
ビザについて
一応は国家を自称しているので入国の際にはビザが必要になります。
事前にエレバンのナゴルノ=カラバフ共和国大使館でビザを発行するか、ステパナケルトに到着してから外務省へ出向きそこで発行するか(ビザが無い状態でも入国できるが出国の際にビザを確認される)の2種類の方法が選べます。
写真1枚必要で料金は3,000ドラム(約700円、2015年7月現在)。前者は翌日受取で、後者は即日発行となります。また、ビザ発行の際に訪れる予定の街を尋ねられるので、自身が訪れる予定の街を記入します。ビザ発行状況は変動するので訪れる際には確認が必要です。
アゼルバイジャン入国について
歴史的背景からナゴルノ=カラバフ共和国のビザを持っているとアゼルバイジャンに入国することが事実上不可能となります。アゼルバイジャン入国予定のある方はビザ発行の際に、ビザをパスポートに貼らずに受け取りたい旨を伝えることでシールのまま受け取ることができます。
ナゴルノ=カラバフ共和国は未承認国家の中では停戦協定中により武力衝突は無く比較的安全に入国することができますが、いつ何時事情が変わるかが不明です。
訪れる際には外務省のHPをよく確認し、現地の人々に意見を尋ねるのがベターです。
日本との国交が無いということは有事の際に日本政府の手が及ばないということなので渡航の際は自己責任に委ねられます。
まとめ
ナゴルノ=カラバフ共和国は旅をするまでは存在自体知らない国でした。
未承認国家という響きに魅かれ私は訪れることを決めました。アクセスが少々不便で、その上ビザが必要なことから難易度が高いと思われますが、「We Are Our Mountain(我らの山)」をはじめとした他国ではなかなかお目にかかれない景色が待っています。
また、エレバンからステパナケルトに向かう道中は一面草原(夏に訪れたので)が広がっていて絶景の一言でした。ガイドブックにも載っていないナゴルノ=カラバフ共和国に興味がある方は治安面をよく調べた上で訪れてみてはいかがでしょうか?