TABIPPOのプランナーである長沼茂希。2015年にTABIPPOにジョインしてからおよそ3年間、データ分析やPR、SNS、コンテンツ編集など幅広い領域を担当してきた。
旅から何を感じ、旅をしている間はどのようなことを考えているのか?旅のほかに興味があることは?など、その心のうちを詳しく聞いてみました。
2015年にジョイン→TABIPPOのPR/SNS/Editor/マネタイズなど担当。社内では潤滑油的な立ち位置。廃墟とハリボーとブラックサンダーが好きな井上雄彦ファンです。バスケもします。
――はじめてお会いしたとき、「そんなに旅の経験が豊富なわけではなくて」とおっしゃっていたのが印象的でした。旅をはじめたきっかけは、どんなことだったんでしょうか。
もともと国内旅行は好きでしたが、海外には興味がなくて。
初めて海外に行ったのが、大学3年生の2月、大学の同期たちと7人くらいで行ったハワイでした。それも、ハワイの学会に参加する指導教授の同行という形だったので、観光はあくまで“おまけ”。
これが正直、期待していたほど楽しくなくて。「ハンバーガーがデカい!」なんていう大学生らしい驚きはあったものの、日本語が通じるし、これなら沖縄と大差ないのかなと思ってしまいました。
――不完全燃焼だったハワイ。そこで海外への道は完全に断たれそうなものですが…。
僕の旅体験を変えてくれたのが、大学4年生の夏、遺跡を見たくて訪れたカンボジアでした。
道は舗装されていないし、ストリートチルドレンに取り囲まれるし、初めての体験だらけ。「飛行機でたった5時間ほど行ったところに、テレビで見た世界があったなんて!」と衝撃を受けました。
――カンボジアの半年後は卒業旅行シーズンですよね。卒業旅行も海外ですか?
卒業旅行は、ペルー・ボリビアとスペイン。
ペルーとボリビアは、ある旅人コミュニティで同行者が募られていた、10人ほどのグループ旅行に参加する形でした。宿や交通手段をシェアできるのがメリットです。
実は僕は、人付き合いに積極的なほうではなくて。初対面の人と旅するなんて、考えたこともありませんでした。それでもその旅はとても快適なものだったんです。年齢もバラバラで、共通点があるわけでもない人たち。「ウユニ塩湖やマチュピチュを見てみたい」というだけでつながっている――たったそれだけなのに、こんなにも心地いい関係性を築けるんだという驚きと発見がありましたね。日本で出会っていたら仲良くなっているかはわからないほど統一感のないメンバーだけど(笑)、いまでも彼らとは交流があります。
南米の後いったん帰国して、友人3人と1週間ほどスペインに行きました。
建築が好きなので、ずっとあこがれていた国のひとつ。
単独行動あり、サッカーあり、ハプニングあり、で、これも印象的な旅でしたね。
一番好きな国を聞かれたら、スペインと答えます。
みんな昼間からお酒を飲んでいて、若者の失業率が40%超だなんて信じられないほど陽気で。サッカーのゲームがある日はスポーツバー以外のお店が閉店しているのも、おもしろかったですね。10万人規模のスタジアムが埋まる国ですから。
――ハワイから卒業旅行の南米・スペインまでたった1年。その間に、急速に旅にハマったように見えます。大学を卒業するときにはすでに「旅を仕事にしたい」と思っていたんですか?
新卒入社したのは、Web制作の会社。そこでは1年間、分析の仕事をしていました。
そんなタイミングで、「TABIPPOからウユニ塩湖の写真集を出版します!ウユニ塩湖の写真を募集!」という情報を目にしました。試しに卒業旅行で撮った1枚を応募してみたら採用されて。
そんなご縁もあり、メンバー募集を知って、これだ!と応募したんです。
旅をする中で、「もっと若い人に旅してほしい」「旅をもっと身近なものにしたい」という気持ちが芽生えていました。コンテンツメーカーであるTABIPPOなら、前職の経験を生かして若者にアプローチできると思ったんですよね。
――名刺の肩書は「データアナリスト」とありますが、TABIPPOではどのような役割を担っているんでしょうか。
入社当初は、コンテンツ編集目線でのデータ分析を担当していました。
Google Analyticsを見て、「この時期はバックパッカー系の記事のPVが多くて、特に東南アジアの観光をテーマにしたものが人気だ」とユーザーのニーズを汲み取ったり、「TABIPPOが写真集を出版した影響で女性のユーザーが増えているから、女性向けのビジュアルメインの記事をもっと増やそう」とユーザー属性とコンテンツの相性を考えたりという役割です。
いまは、メディアのマネタイズについて考えるのが主な役割になっています。 “TABIPPO.NET”というWebメディアから、どうやってリアルのイベントやPAS-POLにどう送客していくかという部分ですね。