ライター
桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。

世界には日本国が国として承認している196ヶ国をはじめ、非承認の国を入れると300ヶ国以上あると言われています。せっかく地球に生まれたなら出来るだけ多くの国に行って、たくさんのものを見たい!

そんな思いで旅を続けていたら訪問カ国数が100を超えていた旅人たちに、これまでに起きた最大のピンチについて聞いてきました!

質問:これまでの旅で起きた最大のピンチはいつ、どこですか?

100ヶ国以上も旅をしてるって、様々な素晴らしい経験をしたことも多いはず!でも日本よりずっと治安が悪い海外って怖い体験もしたんじゃないかな…?実際に怖かったことやピンチに遭ったのはいつ、どこで起きたんだろう?

そこで実際に、これまで100ヶ国以上を旅した旅人たちに、これまでの旅で起きた最大のピンチはいつ、どこで体験したのかを聞いてきました!

旅丸sho

旅丸sho

バックパッカーで世界を5年間旅をしながら、“旅丸”“TABIMARU.com”という二つの旅ブログを運用するブロガー。現在は旅人育成企画“タビイク”を運営するBackpackers ProductionのCOO兼CFOとして会社経営をしている。雑誌や書籍への写真提供、エッセイの執筆、講演、ピースボートへの水先案内人としての乗船なども行い、2018年から外国人フリーランサーのコンサルも実施。特技はカニカマのビニールを早く剥く事。

キューバで首絞め強盗にあった時です。

2日目の夜に仲良くなった4人組のキューバ人がいました。彼らはそこまで英語が話せず、僕のたどたどしいスペイン語での会話でしたが、キューバの若者文化に触れる事ができ、非常に楽しい時間をすごしていました。

ただ、一人だったという事もあり夜の22時頃には宿に戻ろうと思い帰ろうとすると、彼らがバス停まで送ってくれると言ってくれました。キューバ二日目という事もあり、バス停の場所も定かではなかったので送ってもらう事にし、その道中も楽しく話をしていたのですが、突然一人から首を絞められ息ができなくなりました。

 

残りの三人がポケットからスマートフォンとiPod、現金を奪い走り去っていきました。首を絞めていた一人もその後走り去っていき、僕はやっと息ができるようになり、地面にうずくまっていました。

当時キューバではWi-Fiも利用する事がむずかしく、スマートフォンも手に入れる事が難しい状況だったので、非常に苦労しました。

アマゾニアン

アマゾニアン

大学時代からバックパッカーを始め、就職は蹴り29歳までバックパッカー。20代で102か国を渡航。10か月だけ日本で社会人(私にとっては日本でワーホリ)して、30歳の誕生日に独立しました。現在は旅する雑貨屋コパカバーナを経営、お店が波にのってから新しい国々を周りだし、40歳で国連加盟国193カ国にすべて渡航済み。日本最大の海外旅行オフ会の会長もしています。

トルクメニスタンとアゼルバイジャンのビザに挟まれた時です。

当時はトルクメニスタンは5日間有効のトランジットビザのみ取得でき、アゼルバイジャンビザは3日間か5日間のトランジットビザのみ。ケチって3日間を選んだわけですが、両国を結ぶカスピ海を渡るフェリーはなんと不定期!情報は2〜3日に1便というくらいで、実際にフェリーターミナルに行かないとわからない状況でした。

 

両国のビザは日付も指定しないといけないので、フェリーのタイミングをよんで日付を重ね合わせなければなりませんでした。例えば1月1日から5日までトルクメニスタンビザ、3日から5日までアゼルバイジャンビザ、この場合は1月3日から5日までに出航すればOK。

ただ、5日に着くと全く観光ができません。しかも時間も不定期なので下手をすると翌日の夜に到着の可能性もありました。

 

実際、私がトルクメニスタン側のトルクメンバシュに着いた翌日に出航がベストでしたが、その日の夕方に出航でした。なにもない街なのでその日に出るのはありがたいことなのですが、その日に乗るとアゼルバイジャンビザの開始日より早く着いてしまう状況です。

ただ、今日出航ということは2〜3日は出航しないということなので下手するとどちらのビザも終わってしまい挟まれてしまいます。アゼルバイジャンには日本大使館があり、トルクメニスタンには当時、日本大使館がないというのも決断の要因。

 

私の決断はGO!フェリーターミナルに行き、アゼルバイジャンのビザをよく見られないように、むやみに話しかけました。日付を見られたら飛行機と同じで船も乗せてくれないでしょう。

無事に乗船できましたが、問題はアゼルバイジャン入国です。こちらは間違いなくビザを確認するのでごまかすことはできません。そしてアゼルバイジャンに着いて入国審査ですが、ひと悶着ありつつも無事に入国できました。ケチるのもよくないなと新しい経験もできました…。

花田 塁

花田 塁

大学卒業後の2006年に、3ヶ月間タイの田舎にある孤児院施設でボランティアをしたのがきっかけです。異文化の中で生活する楽しさに加えて、子どもの発想の豊かさや支援の必要性に触れて、職業として深く関わりたいと思い、帰国後に学童保育士や特別支援学校の教師として勤務しました。一方でもっと違う世界を見てみたいという思いから、バックパッカーとして、2018年10月現在で訪問104カ国、世界3周目の途上です。

挙げるとすれば、「飛行機の乗り遅れ」でしょうか…。

恥ずかしい話ながら、100カ国訪問達成した今でも空港で国際線のチェックインしたのが出発40分前ということが多々あります。それでも何とか乗れてしまい、一度も乗り遅れたことがないのが自慢だったのですが、つい最近それが崩れるような出来事がありました。

 

2018年9月、マルタで出国のために空港に向かおうとバスを待っていたものの、時刻表に書いてあるバスはなぜか来ませんでした。1時間待った後に乗ったバスは渋滞に捕まり、あれよあれよという間に時間が過ぎ去り、バスの中で出発時刻のタイムリミットを迎えました。

結局空港に到着したのは出発時刻から15分も過ぎた後。今からでも振替ができないか交渉しようと思い、カウンターに向かう途中でふと見上げたモニターに映し出されていたのは「遅延 2時間」の文字。声を上ずらせながらカウンターで確認すると、今からでも乗れるとの返事。こんなにも遅延が嬉しかったことはありません。

 

発券されたチケットを握りしめ、意気揚々とカウンターに向かったのでした。(ちなみにこの後、遅延していた飛行機はまさかの欠航に切り替わり、翌日便に振替になったために、先ほど必死になって来た道をまさかの逆走して、航空会社の用意したオーシャンビューの三ッ星ホテルに泊まるという滅多にない体験をしました)

旅人マリーシャ

旅人マリーシャ

世界一周122ヵ国を周った旅人です。Sサイズモデル他様々な活動をしてきた中で、「ミステリーハンターになりたい」という夢が諦めきれず、自身で旅に出ました。初のバックパックの旅は2008年、世界一周は2014年に始めました。集英社のウェブサイト「週プレNEWS」で旅コラムを連載したり、TVやラジオ等各メディアで活動中です。

南アフリカのケープタウンです。

アフリカ大陸縦断中、ナミビアから南アフリカへの長距離バスが故障して立往生。炎天下でペットボトルの水も少ししか残っていなかったので、ヒッチハイクをせざるおえなく、なんとか南アフリカのケープタウンまで辿り着きました。

 

助かったと思いきや、ケープタウン駅に着いた途端、路上で青年にナイフを出されお金を要求されました。しかし本当に現金を持っていなかったため、正直にそれを伝えるしかなく、刺されるかと思いました。

運良く相手がすんなり諦めてくれたので命は無事でしたが、もしかしたら死んでいたかもしれません。その後すぐに近くのホテルに逃げ込むと、私の足はガクガクと震えていました。

河嶌佐登志

河嶌佐登志

大学生の時に深夜特急を読んで、バックパッカーになる。最初の旅で英語ができないことを痛感し、帰国後すぐに大学を休学。カナダに留学。旅行のために英語を覚える。大学を卒業後、安易な考えで旅行会社で働くが、まったく旅行ができず。現在は旅行に行きやすい外資に勤務。世界一周は計3周。好きな都市はケープタウン。

学生時代にポルトガルからヨーロッパを横断している時に、スペインのマドリードで今は亡き、シティバンク銀行のATMカードをATMに吸い込まれてしまいました。その当時、現金もほとんどなく、クレジットカードをもっておらず、そのATMのカード1枚だったので、現金がほぼなくなってしまったのです。

当時マドリードに支店があった旅行会社に駆け込みました。親切にも懇意でFAXを家族に送らせてもらったり、当時旅慣れていない僕の心の支えになってもらいました。

 

新たにATMカードも発行をしてもらい、日本にいる家族から国際送金を依頼することができ、なんとか旅を続けることができました。当時は何をすればいいのかわからず、ホームレスとして暮らそうかと本気で悩みました。

ちなみに助けてくれた旅行会社に数年後、縁があって(もちろん、ちゃんと入社試験は受けましたが)、入社をしたという嘘のような本当の話です。

怖い思いもドキドキな体験も、すべてが次の旅に活きる


photo by shutterstock

100ヶ国以上も行くと、人より何倍も怖い思いもするもの。5人のエピソードを聞いただけでもぞっとするほど怖いですが、それでも旅がやめられないのは、旅が大好きだから。自分の身を大切に、安心安全に旅を続けたいですね。

次の【100ヶ国以上を訪問した旅人に聞いてみた】は「最も辿り着くのに大変だった国や都市を教えて!」です。

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桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。

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