ライター
桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。

世界には日本国が国として承認している196ヶ国をはじめ、非承認の国を入れると300ヶ国以上あると言われています。せっかく地球に生まれたなら出来るだけ多くの国に行って、たくさんのものを見たい!そんな思いで旅を続けていたら訪問カ国数が100を超えていた旅人たちに、これまでの旅で最高の瞬間について聞いてきました!

質問:これまでの旅で最高の瞬間はいつ、どこですか?

旅に出るたびに素晴らしい体験ができることが病みつきになってしまうという方も多いですよね。100ヶ国以上も旅をしてきた旅人たちは、どこが一番忘れられないんだろう?どんなエピソードを持っているんだろう?聞きたい!

そこで実際に、これまで100ヶ国以上を旅した旅人たちに、これまでの最高の瞬間はいつ、どこで起きたことかを聞いてきました!

旅丸sho

旅丸sho

バックパッカーで世界を5年間旅をしながら、“旅丸”“TABIMARU.com”という二つの旅ブログを運用するブロガー。現在は旅人育成企画“タビイク”を運営するBackpackers ProductionのCOO兼CFOとして会社経営をしている。雑誌や書籍への写真提供、エッセイの執筆、講演、ピースボートへの水先案内人としての乗船なども行い、2018年から外国人フリーランサーのコンサルも実施。特技はカニカマのビニールを早く剥く事。

スウェーデン人から家族だと言われた時です。

旅の途中、ハンガリーの首都ブダペストで出会ったスウェーデン人の家族がいたのですが、1年半越しで彼らの家にホームステイをする事になりました。彼らの家はスウェーデンのウッデバッラという観光客がほぼ訪れない山奥にあり、外を見ると野生の動物が歩いていたりするような場所なのですが、都会暮らしをしていた僕には非常に楽しい経験でした。


photo by 旅丸sho
最初のホームステイの際にもよくしていただいていたのですが、二度目のホームステイではゲストではなく本当の家族のように接してくれ、僕もきっちり家事を割り当てられました。

一番嬉しかった瞬間は、8歳の男の子に『You are the best brother』と言われて手作りのメダルをもらった時です。


photo by 旅丸sho

旅をしていると『あなたは私の家族です』と言われる事がよくあります。ただ、僕にとってこのスウェーデンの家族は本当の家族だと言える存在です。強くて面白い父、聡明で楽しい母、綺麗で優しい妹、元気でかわいい弟ができました。あれから年に1度はスウェーデンの家に帰るようにしています。

アマゾニアン

アマゾニアン

大学時代からバックパッカーを始め、就職は蹴り29歳までバックパッカー。20代で102か国を渡航。10か月だけ日本で社会人(私にとっては日本でワーホリ)して、30歳の誕生日に独立しました。現在は旅する雑貨屋コパカバーナを経営、お店が波にのってから新しい国々を周りだし、40歳で国連加盟国193カ国にすべて渡航済み。日本最大の海外旅行オフ会の会長もしています。

2004年の5月に東欧のハンガリーで、「ブラジルのサルバドールに行けばカーニバルに出れるよ!」と、日本人旅行者から情報得ました。シベリア鉄道で帰国予定でしたが、カーニバルに出るためには太鼓の練習が必要と言うことでした。

予定より早めに行かないといけないとのことでチェコから急遽帰国。体制を整えてからロサンゼルスから中南米旅行をし始め、カーニバルが始まる3週間くらい前にサルバドールに着きました。そこから毎日の練習。

音楽経験などは全くなく、絶対に楽しいに違いないという思いだけで始めたが正直できなさすぎて辛かったです。でも、他の同じような境遇の人たちもいてがんばれました。その年は日本人だけで30名くらい集まりました。同じようなバックパッカー、現地で音楽留学やカポエラ目的などの日本人です。

 

本番は踊るのではなく、ブラジル人たちを躍らせる立場!もちろん快感でしたし、他にも日本人旅行者たちとの学生時代の部活を思い出させる合宿生活も楽しかったです。

これにはまってこれ以降にも3度カーニバルの時期に訪れています。

花田 塁

花田 塁

大学卒業後の2006年に、3ヶ月間タイの田舎にある孤児院施設でボランティアをしたのがきっかけです。異文化の中で生活する楽しさに加えて、子どもの発想の豊かさや支援の必要性に触れて、職業として深く関わりたいと思い、帰国後に学童保育士や特別支援学校の教師として勤務しました。一方でもっと違う世界を見てみたいという思いから、バックパッカーとして、2018年10月現在で訪問104カ国、世界3周目の途上です。

2012年に挑戦したカミーノ・デ・サンティアゴです。

世界遺産にも登録されている歴史ある巡礼路を、スペインの聖地サンティアゴの街を目指して歩くというもので、自分は約300キロ手前のレオンという街からスタートしました。

当初は巨大な荷物をどうするのか、どうやって宿を探せばいいのかわからずドタバタでしたが、たくさんの人の助けを借りて何とか一歩を踏み出した時の感動は今も忘れません。


photo by 花田 塁
途上では現地の人や同じく巡礼する世界各国の人との出会いと別れがありました。中には6年経った今でも交流を持ち続け、家に遊びに行く間柄になった友だちもいます。


photo by 花田 塁

そんな友だちたちと歩きながらお互いの人生やこれからのことを語り合い、突然現れる自然の絶景を共有し、10日間の末に足を引きずりながらもサンティアゴの街に到達して抱き合った時までのすべてが、自分の中の財産です。

旅人マリーシャ

旅人マリーシャ

世界一周122ヵ国を周った旅人です。Sサイズモデル他様々な活動をしてきた中で、「ミステリーハンターになりたい」という夢が諦めきれず、自身で旅に出ました。初のバックパックの旅は2008年、世界一周は2014年に始めました。集英社のウェブサイト「週プレNEWS」で旅コラムを連載したり、TVやラジオ等各メディアで活動中です。

最高な事がたくさんあって難しいですが、思い返すと、一番ナチュラルに「最高の瞬間」と感じたのはニューカレドニアのイルデパン島だったのかなと思います。


photo by 旅人マリーシャ
ニューカレドニアは”天国に一番近い島”と呼ばれていて、子供の頃からいつか行きたいと憧れていた場所でした。なので、目の前に海の景色が広がった時にはその美しさに本当に息を呑みましたし、実際に海に入り白い砂を触っていたら、自然と涙がこぼれてきました。

「子供の頃からの夢が叶った瞬間」=「最高の瞬間」だったんだと思います。


photo by 旅人マリーシャ

それに、世界一周を始めてわりと最初の方に行ったということもあって、感動も一際大きかったです。
(旅を続けていると毎日のように世界遺産や絶景に触れるので、贅沢な話ですが、後半になるほど感動しにくくなったり麻痺しちゃってるくることもあるので…)

河嶌佐登志

河嶌佐登志

大学生の時に深夜特急を読んで、バックパッカーになる。最初の旅で英語ができないことを痛感し、帰国後すぐに大学を休学。カナダに留学。旅行のために英語を覚える。大学を卒業後、安易な考えで旅行会社で働くが、まったく旅行ができず。現在は旅行に行きやすい外資に勤務。世界一周は計3周。好きな都市はケープタウン。

 

2005年6月の中近東中心の旅行です。

日本→ベイルート→ホムス→アレッポ→ハマ→パルミラ→ダマスカス→アンマン→エルサレム→ドバイ→日本

今は行けないシリアをメインにレバノン、ヨルダン、イスラエルと乗り継ぎのドバイを3週間で旅しました。シリアは行く前のイメージを良い意味で裏切られ、通過だけの予定が長居をしてしました。

人も優しく、遺跡やモスクなど見所も多く、今でも一番好きな国の一つです。また旅に行けるように早く平和になってもらいたいです。

 

また世界遺産のボスラで、今のマレーシアの首相であるマハティールにも偶然お会いした思い出がある場所でもあります。

その後はヨルダンで安宿で知り合ったメンバーに声をかけてもらい、予定になかったイスラエルへ。死海で浮かんだり、嘆きの壁で嘆いたり、キリストの足跡を辿ったりと、現地で予定を大幅に変更した思い出深い旅行でした。

思わず涙してしまう絶景が、この世界にある


photo by shutterstock

旅中では様々な人との出会いがあります。それと同時にこれまで思い描いていた、ずっと見たかった景色を見て、思わず涙してしまうなんて、とても素敵ですね。そんな景色を探し求めて、また来年も旅にハマりそうです。

次の【100ヶ国以上を訪問した旅人に聞いてみた】は「最も治安が良かったと感じた国・都市を教えてください。」です。

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桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。

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