スコットランドのエディンバラには、訪れた人たちを楽しませてくれる2つの美しく大きなお城があります。一つは市外全体を見下ろすように建つエディンバラ城。
このお城はヨーロッパ最古の軍事要塞の一つで、近代でも要塞として使用されました。
そしてもう一つは、エディンバラ城からまっすぐロイヤルマイルという一本道を歩いていくと行き着く、ホリールードハウス宮殿です。
エディンバラ城はもうその役目を終えて、歴史的遺産として一般公開されていますが、ホリールードハウス宮殿は観光地でありながら、今でもエリザベス女王陛下が夏に一週間滞在するスコットランドでの公邸として使われています。
イギリス王室のメンバーがイベントごとに宿泊をするため、この宮殿は「現役のお城」なのです。
そしてエディンバラ城とホリールードハウス宮殿を両方訪れると、イングランドとスコットランドの歴史がいかに面白いかを実感することができます。
豪華絢爛な宮殿
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ホリールードハウス宮殿でまず目を奪われるのが、エントランスをくぐった後に目の前に広がる優雅な前庭。そして宮殿正面にはスコットランド王家の紋章が掲げられています。
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ちなみにエントランスでは日本語のオーディオガイドがレンタルできるので、解説を聞きながらじっくり見学して回るのがオススメ。内部は撮影禁止だったので、少しずつ個人的に印象に残った宮殿内部をご紹介させていただきます。
宮殿内に入ると、まず絵画に囲まれた大階段と、見事な漆喰での彫刻が施された天井が出迎えてくれます。美しい植物の彫刻と、そして今にも動き出しそうな天使達が訪れる人を歓迎してくれているようです。
そのまま順路通りに進んでいくと、食堂「Royal Dining Room」に入ります。実際に銀食器が並べられていて、王室の食事ってこんな感じなのかな…と思いをはせることができます。イギリスのドラマ「Downton Abbey」を観てた方、まさにあの世界の食卓風景です!何とも緊張しそうな食卓でした…。
この宮殿の部屋のあちこちには大きなタペストリーが飾られています。どのタペストリーも17〜18世紀ごろの素晴らしい作品で、少しずつ修復されながら歴代の王室メンバーの日常を見守っていたのでしょう。タペストリーはギリシア神話や、東洋の世界に影響を作品など様々です。
宮殿内で一番大きな部屋「Great Gallery」は、歴代のスコットランド王達の肖像画が飾られています。この部屋は幾年にもわたり重要な会議などに使われてきました。今現在でも晩餐会などに使用されているようです。
そして、やはりこの宮殿内の見どころと言えば、歴代の王、王妃たちの寝室だと私は思います。
次章で詳しく書きますが、有名なスコットランドの女王:メアリー・スチュアート(Mary, Queen of Scots)の寝室と、彼女の愛用品などが展示されていて、現代の感覚でも「かわいい!」と思えます。今も昔も、女性はかわいいものが好きなんですね。
またホリールードハウス宮殿は庭だけでなく、隣接するホリールード寺院(Horryrood Abbey)も素晴らしいです。
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私が行った時はちょうど秋だったので、庭から見える「アーサー王の玉座」を始め木々が黄金色に色付いていて、リスが冬支度をしている様子を見ることができました。
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隣接するホリールード寺院は現在は廃墟と化していますが、創立は12世紀。つまりホリールード宮殿の前身はこの寺院ということになります。
15世紀からは多くの戴冠式や結婚式が執り行われましたが、歴史の中で宗教的な揉め事に巻き込まれ破壊が繰り返されました。1758年に復興活動がなされましたが、1768年の大暴風雨で屋根が飛ばされ被害を受け、現在まで廃墟のままになっています。
悲しみの女王:メアリー・スチュアート
この美しく豪華絢爛なホリールードハウス宮殿では華やかな歴史だけではなく、耳を疑いたくなるような血塗られた惨劇も起こりました。
その主人公が、先ほどもお話ししたスコットランド女王:メアリー・スチュアート(1542〜1587)です。彼女の激動の人生を学んでいくと、このホリールードハウス宮殿を見る目が変わると思います。
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メアリー・スチュアートは1542年スコットランド王・ジェームズ5世とフランスの大貴族の娘・マリー・ド・ギーズの間に生まれました。しかし生まれてすぐに父親が亡くなり、生後6日で王位を継承します。
長いことスコットランド支配を狙っていた隣国イングランドのヘンリ8世は、チャンスとばかりに自分の息子と赤ん坊のメアリーの婚姻を結ぼうと画策しますが、メアリーの母親はこの危機から逃れるために娘を連れて故郷のフランスへ逃れます。
メアリーは幼少時代をフランスの宮廷で過ごし、イタリアから伝わったルネサンス文化を吸収し、美しく、賢く、洗練された身のこなしのまさに才色兼備の女性に育ちます。
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15歳の時に、当時のフランス国王・アンリ2世の息子、フランソワと結婚。しかし結婚して間もなくアンリ2世が亡くなり、後を追うようにフランソワも亡くなります。メアリーは18歳で未亡人となり故郷のスコットランドに帰国し、スコットランド女王として即位します。
一方隣国イングランドでは、メアリーが結婚した年にヘンリ8世の娘・エリザベス(1世)がイングランド女王に即位します。
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若く美しい、物腰柔らかな未亡人のスコットランド女王をヨーロッパ各国が放っておくわけがなく、縁談の申し込みが殺到しました。(エリザベス1世も自分の寵臣をメアリーの再婚相手にと提案をしていました)
しかしメアリーはその全てを断り、自分が恋をした、同じスチュアート家の血を引くダーンリー卿との結婚を選びます。
才色兼備、文武両道のメアリーも残念ながら男を見る目はなかったようで、甘やかされて育った顔が良いだけの傲慢なダーンリー卿にすぐに愛想を尽かしてしまいます。
そんな中彼女の側にいたのがイタリア人の秘書・リッツィオでした。彼はよく気がつき、メアリーを細やかに支えていきます。(さすがイタリア人)
メアリーとリッツィオの関係を面白く思わないダーンリー卿は、二人がホリールードハウス宮殿のメアリーの部屋で食事を取っているところに押し入り、リッツィオを殺害します。リッツィオは女王のドレスにしがみついて抵抗するも、56回身体を刺されて亡くなりました。
この時メアリーはダーンリー卿の子供を身ごもっており、この惨劇を目にし危うく流産しかけましたが、ホリールードハウス宮殿を出てエディンバラ城で息子のジェームズを出産します。
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リッツィオが殺害された後、間もなくダーンリー卿も何者かに殺害されます。その殺害容疑をかけられたのが、メアリーと彼女の新しい恋人・ボズウェル伯でした。国民の人気者だった女王も、この事件を機に人気が地に落ち、貴族たちの反乱を引き起こします。
抵抗虚しく廃位を受け入れるも、女王の権利復活を図りメアリーはイングランドの永遠のライバル・エリザベスの元に身を寄せます。エリザベスはメアリーを受け入れるも、メアリーが望む王位復権については夫殺しの容疑の件などのらりくらりとかわし続け、メアリーを時に客人として、時に囚人として、イングランドのあちこちの城内に幽閉します。
メアリーは次第にエリザベスにはめられていることに気がつき、幽閉されている身でありつつもどうにか自由と王位を再び手に入れようと画策します。何ならメアリーは、自分にはイングランドの正式な王位継承権もあると主張をし始めます。
メアリーの祖母はイングランドのヘンリ8世の姉、エリザベスは父親がヘンリ8世ではあるものの、母親が愛人の身分から王妃となったアン・ブーリンという女性でした。
彼女と結婚するために、ヘンリ8世はカトリックからイングランド国教会へ宗教改革をも実行します。全ては男子の世嗣ぎを得るためです。
しかし宗教改革までして結婚したアンにもエリザベスしか子供は生まれず、ヘンリ8世は別の女性と結婚するためにアンを姦通罪などの容疑にかけ処刑します。(この話に興味がある方は「1000日のアン」、「ブーリン家の姉妹」のDVDをご覧ください)
エリザベスは庶子の身分に落とされ育ちましたが、彼女も賢く、したたかな女性に成長し、結局王位継承権を持つ男子が全員死去した為彼女が即位をします。この即位に対しメアリーは兼ねてより異議を唱えていたのです。
メアリーがイングランドの「名誉ある囚人」となったのは25歳の時。以降何と約20年も軟禁状態が続き、気がつけば44歳となっていました。
人生の最も華やかな時期に、自由も何も持たなくなってしまった生まれてからずっと「女王」であったメアリーは絶望し、何度もエリザベス殺害の陰謀に加担しますが、いずれも証拠不十分で逮捕には至りませんでした。
しかし1586年ついにメアリーの陰謀加担の証拠が見つかり、彼女の処刑が決まります。生まれてからずっと運命に翻弄され続けた悲劇の女王は、生前愛した黒、白、真紅の衣装を身につけ、誇り高いスコットランドの女王として断頭台の露と消え、44歳の短い人生を閉じました。
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エリザベス1世は「私は国家と結婚した」と言葉を残し、生涯結婚しませんでした。その彼女が王位を譲ったのは何とメアリー・スチュアートが生んだ息子・ジェームズでした。
彼はイングランド王兼スコットランド王ジェームズ1世として即位します。メアリーが死ぬまで望んだ王位復権は、彼女の息子がその望みを果たしたのです。
ホリールードハウス宮殿内にはまさにリッツィオが殺害された部屋が残っていて、勿論見学をすることができます。こじんまりとした美しい部屋ですが、かつてこの部屋は一人の男性の血の海が広がったのかと思うと、綺麗なだけの宮殿ではないなとぞっとします。