この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。
今回の主人公は、松永隆之(当時20歳) です。
「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。
\この記事は、書籍化もされています/
・松永隆之(当時20歳) / 大学生 2010.9〜2011.3 / 200日間 / 20ヵ国
・世界一周の旅ルート
アメリカ→カナダ→メキシコ→ペルー→ボリビア→チリ→アルゼンチン→スペイン→モロッコ→トルコ→ヨルダン→イスラエル→エジプト→イギリス→オランダ→チェコ→ポーランド→インド→ネパール→タイ
歩き出せば、すべてが冒険になった
日本はまだ肌寒い 3 月、ベトナムは真夏のように暑かった。歩き出せば、すべてが冒険になった。
道路がバイクで埋め尽くされて、渡るのに一苦労。日本語が通じない。耳を抑えたくなる街の騒音。鼻をさすような市場の甘い匂い。携帯がつながらない?電圧が違う?氷が危ない?誰も自分のことを知らない?五感すべてが強烈に刺激された。
こんなに死ぬほどドキドキした時間を過ごしたのは、人生で初めてだったかもしれない。
カンボジアでは、孤児院で親から捨てられた子どもたちと出会った。
(きっと悲しい顔をしているのだろう)
待っていたのはキラキラとした子どもたちの笑顔だった。
「遊ぼう!サッカーしよう!肩車して!算数を教えて!」僕が 20 年積み重ねてきた薄っぺらい価値観は崩れ去った。それはたった2週間、2ヵ国の旅の出来事。
はじめの一歩は小さくてよかった。この「たった 2 週間のアジアへの旅」は僕の「200 日間の世界一周の旅」になったんだから。
「そこそこの人間に待っているのは、そこそこの人生だぜ」
(俺の人生、このままじゃヤバイ)
気づいた時には、もう大学の3年生だった。旅に出る前の僕は、そこそこの大学に通い、そこそこ彼女と付き合い、マスコミ講座に通って、そこそこ将来を考えた気になって、このまま生きていけば、なんとかなると思っていた。
そしたら急に、就活という波がやってきて言い出した。「そこそこの人間に待っているのは、そこそこの人生だぜ」本当は知っていた。見て見ぬフリをしていただけ。何をやっても中途半端で、退屈な自分を周りのせいにして。「本気」という言葉から逃げていただけだった。
「本気」で他人から何かを語られたら、耳を塞いで、「本気」で考えないといけないことからは、目をつぶった。悩める僕はマスコミ講座の先輩に相談した。返ってきたのはシンプルな言葉だった。
先輩「やりたいことやれよ」
僕「え !? 海外に行ってみたい」
普通の大学生が考えるような答えしか出てこなかった。でも、他にやりたいことが思い浮かばなかった僕は、とりあえず、友人とベトナムとカンボジアに行くことにした。たった2週間。人生初めての海外だった。
「生きてる」ってこういうことだ!
photo by shutetrstock
3日間通ったカンボジアの孤児院。最終日、一番仲良くなったソカーイという少年が聞いてきた。
「明日は何時にくるの?」僕は苦し紛れに答えた。
「明日は日本に帰らないといけないんだ」
また聞いてきた。
「分かった。じゃあ次はいつくるの?」
汚れのない笑顔と純粋な質問に、思わず僕は言葉を失った。
「ありがとう!また来てね!」
別れ際、20 人くらいの子どもたちが笑顔で見送ってくれた。なぜだか、涙が止まらなくなった。感情を吐き出すようなこの感覚…いつぶりだっただろうか。
ハエがブンブンたかるこの場所で、サッカーをし、肩車して、共にごはんを食べ、彼らと全力で遊んだ日々は、「本気で生きた!」と実感できる日々だった。
(よく分かんないけど、「生きてる」ってこういうことだ!)
僕が知っているのは、200 ヵ国のうちのたった2ヵ国
カンボジアから帰国する飛行機の中で考えていた。
(世界には 200 ヵ国くらい国があって 70 億人も人がいるのか)
(僕が行ったのは、200 ヵ国の中のたった 2 ヵ国か…)
(世界中を旅したら、どんな世界が見えるだろうか?)
(世界中を旅したら、どんな自分に出会えるだろうか !?)
ワクワクしない理由が見当たらなかった。帰国してすぐ、『地球の歩き方』を 10 ヵ国分くらい借りてきた。そして、「たった 2 週間の旅」は「200 日間の世界一周」に変わった。
出発当日。あれもこれもと不安の数だけバックパックに詰め込んだ結果、バックパックの重さは 18 キロ。真夏の太陽がジリジリ背中を照らす中、空港へ向かう。電車に乗ると、みんながジロジロ見てるのがよく分かった。搭乗ゲートをくぐり抜け、いざ出国。
映画で見たアメリカそのもの
10 時間を超えるフライトを終え、辿り着いたロサンゼルス。ローカルバスの乗り場を探して、2 時間も空港をさまよった。なんとかバスに乗り込むと、運転手は陽気な黒人女性。その彼女に、自分より遥かに大きい男が話しかけていた。映画で見ていたアメリカの日常の風景そのものだった。
バスを降り、たまたま目の前にあった1 泊 30 ドルのユースホステルにチェックイン。
(順調順調!行き当たりばったりだ!それが旅だ!)
その幻想は、すぐに打ちくだかれることも知らずに…。次の日には、NY(ニューヨーク)へ飛んだ。
NY。朝から宿を探しにマンハッタンへ。だけど 9 月のハイシーズン、しかもその日は土曜日で、10軒近くまわるが、どこも満室。英語が下手くそな僕には冷たい人が多かった。
「Do you understand English?」何度言われたことだろう。
「No!! Full!!」とあるホテルでも冷たく突き返された。
見知らぬ土地で重たいバックパックを背負って歩き回るのは、体力的にも精神的にも、相当こたえていた。(またダメか…)最後のホテルを出ようとすると、オーナーのおばあちゃんが僕の後を追いかけてきた。
「Good Luck! あなたの旅を祈ってるわ」
知っている限りの英単語を繋いで、必死に現状を伝える。すると、おばあちゃんは何食わぬ顔でニューヨーク中のホステルをリストアップしてくれた。
「ここへ行きなさい。確か日本語が話せる人が居るわ」日本語が通じる近所のバーの知り合いも紹介してくれた。
「私にはこれくらいしかできないけど、これから長く続くあなたの旅の成功を祈っているわ。GOOD LUCK!!」
別れ際、こんな温かい言葉をくれた。僕はマンハッタンの路上で、人目をはばからず涙した。
200日間の旅の、まだ2日目のこと
こんなに人が温かいと感じたのは、久しぶりだった。こんなに追い込まれたことも。200 日間の世界一周を始めて、まだ2日目のことだ。
(たった2日前まで、日本で退屈な毎日を生きていた僕が、マンハッタンの路上で、人の優しさに涙している。あと 198 日間、僕にどれだけのことが起こるのだろう?)不安は一気にワクワクへと変わった。
僕らは、どこにだって行ける!
ホテルを出て、タイムズスクエアを目指す。賑わうマンハッタンの街を一歩ずつ、噛み締めながら。路上でダンスを披露するジャマイカ出身のパフォーマー。その周りには、50 人ほどの群衆の笑顔と手拍子。人種も、年齢も、多種多様。
日本では感じることができない、あらゆる国境を越えた空間。僕もその中の一人になって、その感覚に浸っていた。
しばらくダンスを楽しんだ後、再びタイムズスクエアへ。ハイシーズンの NY の週末の夜、そこにはアメリカからも世界中からも観光客が集まっていた。
「世界の、中心に来た」思わず、つぶやいた。見渡せば、周りは家族にカップル、友達と来ている旅行者、こんな賑やかな空間へ一人で来ているのに、寂しさなんてこれっぽっちも感じなかった。
(テレビで見ているだけだった世界が今、目の前にある。そうか、僕はその気になれば、どこにだって行けるんだ!)そんな高揚と達成感に浸っていた。
言葉の努力をした分だけ、世界は広がる
NY からメキシコのカンクンへ。公用語はスペイン語。タクシーでは、「one hundred(100)」すら通じなかった。
(これはやばい!)宿に着くと、たまたまそこにスペイン語が話せる女性がいて、必死に言葉を教えてもらった。
「ウノ , ドス , トレス…ベインティ」数字はすぐに覚えた。「テンゴ ベインティ アニョス(僕は 20 歳です)」言葉の努力をした分だけ、世界は一気に広がった。
近くのスーパーマーケットの店員だったり、バスの運転手だったり、宿で出会うフランス人の旅人だったり。
「僕は 20 歳の日本の大学生で、今は世界一周中なんだ!」
「そうか!彼女はどうしたんだ?」
何気ない会話が本当に嬉しい。大学生になって、ろくに勉強もしてこなかった自分が、嘘のように学ぶことを楽しんでいた。
(次はどんな話ができるようになろう?)頭の中で会話を想像することが楽しくて仕方なかった。