ライター

大学生時代から自立を目標にフランス(リヨン)へ留学し、バックパッカーになる。旅では銃と遭難で2回ほど死にかけたが、「死ぬこと以外かすり傷」と実感し、出会うものすべてに魅了される。社会人になってからの目標は日本一周。途中駅で下車し、その日見つけた宿に泊まるぶらり旅が好き。

「寛容過ぎるよ。なんでそんなに怒らないの?今の出来事をどうして許せるの?」

「新しい仕事って、怖くないの?なんでそんなに軽く引き受けられるの?」

社会人2年目になって部下ができ始めたころ同僚にそう言われたことがあります。

約8カ月過ごしたRésidence Les Girondins
「なぜ?」と聞かれたら真っ先に「旅先でルームメイトと紆余曲折の日々があったからかもね」と答えられるくらい、フランス留学時代に国籍がバラバラなルームメイト5人とシェアハウスで過ごした時間が私に影響を与えました。

すべての始まりは「どこで誰と生活するか」

留学するにあたって迫られた選択、1人暮らしかシェアハウスか。

結局、私が選んだのは大人数共同部屋でした。

日本では地元以外で生活したことがなく、今回が初めての海外生活という不安がつきまとうなか、「相談できる誰かと同室の方がいい」という思いと「大学の課題に集中する時間も確保したいし、家は心休まる場所にしたい」という葛藤のすえ、日本での生活スタイルから心機一転、シェアハウスを選ぶことにしました。

「常に誰かと共に過ごす」という好奇心による思いきった選択は、間違っていなかったと思うのが7割、失敗だったかなと思うのが3割です。

6人部屋ではトラブルや喧嘩が山ほどあった


留学するまでシェアハウスのイメージはルームメイト同士とにかく仲良し。

帰国しても連絡を取り合っている。

そんな仲間ができるキラキラした場所のイメージでした。

しかし、私の場合はその領域に辿り着くまでの道のりはなかなかに険しいものでした。いくつかトラブルとなった事象をご紹介します。

夜通し繰り広げられるアフリカ人ルームメイトのダンスパーティー

ルームメイトのひとりは友人7名を招き、毎晩のように22時から29時(早朝5時……!)までジンバブエ伝統のダンス”ジャナグル”を歌って踊っていました。

共用スペースで騒ぐ日々が数週間続き、その騒音で眠れない日々。日常生活に支障が出るほど睡眠不足になってしまい、でついに耐えかねて喧嘩しました。

「文化の違いだから仕方ない」と言われればその通り。

寛容に許すのが大人なのでしょうが当時、私は19歳、割り切れない部分もあったのです。

「文化を言い訳にしないで!ここはみんなの部屋であなた達だけの場所じゃない!」ととにかくぶつかりました。

片付けを怠ったせいで虫が大量発生

ルームメイトのひとりは使った食器やごみを一切片付けない人でした。ごみを片付けないと、虫が発生しますよね。

はじめはコバエが多く、少し気になる程度でした。それがある日、急激にアリやコバエなどの虫が増え、共用スペースにも影響がでるようになりました。

挙句の果てには口を開いたら吸い込みそうになるほどの大量発生。部屋の中でもマスクが必需品になっていたくらい迷惑でした。

特別清掃が入ることになり、連帯責任で家賃が一人あたり1万円上がった大問題です。みなさん、ごみはきちんと処理しましょうね。

ちなみに、余談にはなりますが、日本とは異なりコロナ前のフランスは、「マスク=病人のためのもの」で、一般販売ではあまり見かけず病院でもらうものだったので手にいれるのに苦労しました。

シェアハウス内で盗難発生

共同で使うと約束したお金があるルームメイトひとりの個人的な買い物に使われたり、物が部屋から消える盗難事件が起こったりしました。

その人は言及された翌日にどこかへ行ってしまいましたが……。

シェアハウスでもきちんと貴重品の管理を徹底しなければならないことを痛感した事件でした。

誰かと一緒に暮らすと果たして心休まるのかは確証がなく、シェアハウスにすると決める前から悩んでいたことではありますが予想は悪い方に的中してしまいました。

共通のルールを作ろう

これらの事件が起こったことから、何日にもわたって怒りのこもったディベートバトルが繰り広げられました。

結論として出てきたのは「ルールがなければ誰も守らない」ということでした。

私たちの間にはシェハウスで生活する上で必要な共通認識やルールがなかったのです。

そこで「文化の違いや認識の違いがあるなら揃えればいい」ということで、管理人の方に依頼してシェアハウスのルールを作ることにしました。


管理人室へルール制定を直訴しに行く。日本では経験したことのない初めてのできごとでした。ルールが整えられたことによって今までモヤモヤしていた件が段々と解決していきました。

このような経験は「シェアハウスを選ぶ」という挑戦がなければできなかったかもしれません。

平穏無事に過ごすことも素敵なことですが、変化がなくつまらないと感じることが多々あります。一方でトラブルがあると通常ではできない体験ができます。

シェアハウスで暮らした経験を通して、トラブルや、その問題解決は経験を積むチャンスと思うことができるようになりました。そして社会人になったいま、トラブルが起こるとつい嬉しくなってしまう私はずいぶん逞しくなったように感じます。

仕事を誰よりも一つ返事で引き受けられるのもトラブルを恐れていないから。恐れずに挑戦し、誰よりも早く動き始めることができ、改善させることができる。これが私の強みにもなっています。

それでもルームメイトは頼もしい仲間

シェアハウス内でもトラブルは多々ありましたが、それでもシェアハウスに住んでいてルームメイトがいて良かったと思えたことがあります。

それは外部とトラブルがあったとき、ルームメイトが味方になってくれるということでした。

優先的に手続きを進めてもらう交渉術や、宅配が届かなかった時の管理人室への連絡の仕方を教わりました。家賃を支払っているのに支払っていないと問い合わせが来た時も、皆とても頼りになりました。

なかでも印象に一番残っているのがポストの修理を依頼するとき。私はシェアハウスのポストが壊れていて、大学や住むための手続きに必要な書類などを受け取れず困っていました。

管理室へ「ポストが壊れている」と伝えに行ったものの、修理されずにそのままなポスト……困り果てた私はルームメイトに相談をしました。

そうするとルームメイトから返ってきた言葉は私の予想をしていない、的確なフィードバックでした。

相談に乗ってくれたルームメイトたち
「それはただの相談だよ!「明後日に新しい大学で学生証の発行や授業料の納付、銀行口座の開設手続きがあるから大事な書類を受け取りたい。明日までに業者を呼んでポストを修理してほしい。とても急いでいるからこの場で業者に連絡して」とそう伝えなきゃどれだけ困っているか、何をしてほしいのか管理人には伝わらないよ」

日本では適切な窓口に行き、要件を伝えさえすれば、察して動いてくれました。けれど外国ではそうもいかない、ということに「はっ」としました。

「何がしたいか。何をしに来たか。自分で伝えないと何も変わらないんだ」と当たり前なことに気付いたのです。

そのほかにもルームメイトたちとはコロナ禍で外出禁止となったときも確保した食料を分け合ったり、得意料理を披露したり、祖国の家族や友人、恋人がどれほど心配しているかを話したり、国ごとの室内ゲームで時間を過ごしたりしました。


クリスマスに家族で過ごすフランスの文化もあり、旅行に行きたくても誰も誘えないかと懸念していましたが、同じ留学生同士であるルームメイトは快諾してくれて無事にクリスマスマーケットも楽しめました。

どうして何事にも寛容で最初の一歩が怖くないのか

ディベートしたとき、喧嘩をしたとき、ルームメイトはいつも芯が通っていました。また喧嘩をした後はしっかり気分を切りかえ、お出かけに誘ってくれる人たちでした。

シェアハウスで共同生活をしたことによって、私は人は誰しも良いところも悪いところもあると実感しました。

生きている限り、自分一人では対応できないトラブルや不得意な分野と立ち向かうときが必ず来ます。ですがどんなときも誰かと立ち向かえば大体何とかなるということをシェアハウスで学びました。

三人寄れば文殊の知恵といいますが、5人でチームを組めば不安はほとんど話し合いと行動で解決します。

シェアハウスでの生活は、トータルで考えれば、今ではいい経験だったなと今では本当にそう思っています。

本気で挑戦するとトラブルでさえそんな風に思えるときが来ます。ぜひ旅先で迷ったときは「挑戦」これを習慣にしてみてください。

これを意識して過ごすとあなたの社会人生活でもあらゆる出来事に寛容になれる日が来るかもしれません。

それではBon Voyage!

ライター

大学生時代から自立を目標にフランス(リヨン)へ留学し、バックパッカーになる。旅では銃と遭難で2回ほど死にかけたが、「死ぬこと以外かすり傷」と実感し、出会うものすべてに魅了される。社会人になってからの目標は日本一周。途中駅で下車し、その日見つけた宿に泊まるぶらり旅が好き。

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