photo by Kazuki Kiyosawa
まず初めに驚いたのが、「自然」という圧倒的な存在に敬意を表している自分がいたこと。今まで、アスリートが故に「スキー」というスポーツにばかりフォーカスをしていて周囲の木々や、雪の美しさ、山々の広大さに気づくことが出来ませんでした。
この旅を通じて、「何者も自然には敵わない」「我々は、この自然に生かされている」というなかなか、東京にいては感じることのない感情に触れてきた結果、現役当時、正直言ってしまえば「寒い」ことに腹を立てていた「雪山」を楽しめる自分がいました。山脈の大小様々な美しい形をいつまでも見ていられる自分がいました。
photo by Kazuki Kiyosawa
次に、「外国人スキーヤー」をただの「スキーヤー」で片付けられない自分がいました。今まで、海外のアルペンスキーヤーを「スキー」という観点からしか見ていなかったが故に、その奥のことまで知ろうとしませんでしたが、当然彼らにも「バックグラウンド」というものが存在します。
彼らの出身地から、宗教、文化、食べ物や観光地など、僕らと同じような「生活」が存在するのです。文章にしてしまうと当たり前のような気がしますが、「外国のスポーツ選手の生活」を想像した経験はありますか?例えば、サッカーのクリスチアーノ・ロナウド選手。彼のサッカーのプレイ以外に、とりわけその奥の生活や文化、国柄を想像出来る人は?
あまり多くないと感じます。しかし、久々に海外のスキーヤーと交流することによって、彼らも今まで旅を通して出会ってきた多くの外国人と同じなんだと思えるようになりました。
photo by Kazuki Kiyosawa
発想がより自由になる感覚もあります。「A」か「B」どちらか選択しろというものに対して「A」でもあり「B」でもある回答「C」を答えれるようになった自分にはよく驚かされています。体育会だった時は、上からの命令には何も考えず「Yes」というのが当たり前でしたからね。
「大自然の中で行うスポーツ」スキー。
その行為は、旅をしているかのようにエキサイティングで、超ホット。今まで「スポーツ」で片付けてしまっていた部分が、旅を通して感受性が豊かになり、非常に色あざやかになり、より面白く感じるようになりました。
「旅」は僕らの感受性を豊かにする。
photo by Kazuki Kiyosawa
「旅」を通して自分の中で変わったことはたくさんあります。
「潔癖性」が治ったり、「祈る」ようになったり。中でも、大きく変化したのが「感受性」というところです。「感受性」をうまく説明することが出来ませんが、とくかく“物事”をより、感じられるようになった。
例えば「食べること」…旅を通して、貧困に喘ぐ国を歩いた経験や、羊を生贄にする瞬間に立ち会ったり、「自分たちが生きる」つまりは「食べるということ」がどういう意味をもっているのかということを感じながら、一食一食を食べているのです。
かの有名なレゲエ・ミュージシャン“ボブ・マーリー”もこんな言葉を残しています。
「雨を感じれる奴もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。」
旅立つ前からこの言葉は知っていたのですが、今読むこの言葉は、感じるものが全く違います。ぶっちゃけ、出発前は意味が分かりませんでした。現在、まだ半周というところですが、僕は彼の言う「雨を感じれる奴」に少しでも近づけたかなと思っています。
photo by Kazuki Kiyosawa
まだ地球半周分、旅は続きます。
世界一周後、自分がどんな人間になっているか。また、この世界一周という「旅」の経験が、今後の人生にどのような影響を与えてくれるのかが今から楽しみで仕方ありません。