ライター

永崎裕麻(ナガサキ ユウマ)フィジー南国校長|約2年間の世界一周を終えて、世界幸福度ランキング1位(2016/2017)のフィジー共和国へ2007年から移住。ライフスタイルをアップデートする英語学校カラーズ校長。RECOMPANY取締役。 南の島のゆるい空気感を日本社会に届けるべく「南国ライフスタイルLABO」というコミュニティーを運営。内閣府国際交流事業「世界青年の船2017」日本ナショナル・リーダー。 2019年からはフィジー・デンマーク・日本の世界3拠点生活(トリプル・ライフ)を開始(現在はコロナで休止中)。 著書に「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」。

先日、某大学で「人生論」の授業を行なった際、参加学生から「良いことではないけど、逃げたくなることがあるんです」といった相談を受けました。

私のような昭和世代は「逃げる=悪」という感覚が確かにあります。ただ、それは令和時代を生きる大学生にも少なからずあるんだなと再認識することになりました。

逃げなければならない時代

私の子ども時代、ドラクエなどのゲーム(RPG)コマンドには、以下4つの選択肢がありました。「たたかう」「じゅもん」「どうぐ」「にげる」です。

「にげる」はゲーム戦略上の一手として不可欠なコマンドなのにもかかわらず、リアル人生においては、なぜ「逃げる」が過度にネガティブに捉えられているのでしょうか?

それは、選択肢の少ない時代は忍耐が重要だったからではないでしょうか。自分が置かれている環境に不満があったとしても、他に選択肢がないため、我慢して受け入れる必要がありました。

特に日本は「勤勉・忍耐」でのし上がってきた国なので、そのレガシーは根強く居座っているように思います。

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でも、今は状況が変わりました。

選択肢や自由が拡張されている時代、満足できない環境に適応する努力をしなくても、他に行く場所が多くあります。「にげる」というコマンドの価値が高まってきています。

「たたかう」ばかりだと、無駄に疲弊していきます。本当に「たたかう」価値があるのかどうか、戦闘のコスパをきちんと見極める必要があります。

そういえば、「逃げる」と「挑む」という漢字は似ています。「兆」という字がともに入っています。兆は「きざし(兆し)」と読みます。

つまり、いい兆しがあれば挑み、悪い兆しであれば逃げることが大切です。どっちの兆候なのか未来を見抜く力が必要になってきました。

「逃げ恥」はハンガリーのことわざ

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大ヒットしたTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』。

この『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマタイトルは「ハンガリー」のことわざです。逃げるのは恥ではあるものの、生存戦略として大切であるとポジティブに表現しています。

私は「恥」だとも思いませんけど…。

むしろ、日本社会に蔓延する精神的なトラブルの原因は「逃げ遅れ」によるものだと感じています。「まだいける」「もうちょっと我慢できる」と「にげる」を先延ばしにしているうちにメンタルが蝕まれていきます。

一度逃げると「逃げ癖」がついてしまうと言う人がいます。では「我慢癖」はついてもいいのでしょうか。

逃避vs我慢

結論的には、私は「逃避」も「我慢」もともに等しく大切だと思っています。ただ、人生戦略上、局面に応じて使い分ける必要があります。

「我慢」は「環境に適応する努力」というイメージです。自分自身に100%完璧にマッチする環境はそうそう転がっていないので、ある程度アジャストさせていく力は必要です。

ただ、過剰に適応させようとすると、本来の自分のオリジナリティーが徐々に消えていきます。我慢しすぎると、「自分は何が好きで何が嫌いなのか」に気づく機会が奪われてしまう可能性があるのです。

一方、「逃避」は「自分にフィットする環境探し」というイメージです。

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ありのままの自分でいやすい場所はどこなのか。「あれ?このコミュニティー、なんかわからないけど、居心地がいいなぁ。無理しなくても自分らしくいられる」みたいな感覚を味わったことがある人も多いのではないでしょうか。

恋愛や友人関係においても、「この人と一緒にいると、なんか自分らしくいれる」と感じる瞬間ってあったりしませんか。まさにそんな場所や人を探すのが「逃避」というアクションだと私は捉えています。

大雑把にいえば、我慢は「苦手を克服する」ための戦術であり、逃避は「得意を伸ばす」ための戦術なのかもしれません。

「にげる」ではなく、環境変更力

私自身は学生時代から「にげる」コマンドを活用しまくっています。

高校時代も大学時代もほぼ不登校。就職活動からも逃げて1年休学。就職してからも3年未満で退職し、現実逃避で2年間の世界一周。

日本にうまく居場所を見つけることができず、100カ国も逃げ惑い、南の島でようやく自分にフィット感のある国に遭遇。それがフィジー共和国でした。

「自分探し」という言葉がよく使われますが、「自分に合う環境探し」と言い換えることができるかもしれません。

自分の人生を振り返れば、逃げっぱなしだったように思いますが、現在、フィジーで英語学校の校長をやりながら、フィジーに関していろんな媒体で楽しく発信活動をしています。

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また、去年からはデンマークも拠点に加え、自分にとって居心地がいいテリトリーを拡大しようとしています。

「にげる」という言葉はどうしてもネガティブなイメージがあるので、私自身は「環境変更力」と呼んでいます。自分を否定しすぎるのをやめて、環境のせいにするのも時として大事です。

我慢くらべゲームから脱出しましょう。

私たちには挑む自由もあれば、逃げる自由もあります。

Let’s Change Your Environment.

ライター

永崎裕麻(ナガサキ ユウマ)フィジー南国校長|約2年間の世界一周を終えて、世界幸福度ランキング1位(2016/2017)のフィジー共和国へ2007年から移住。ライフスタイルをアップデートする英語学校カラーズ校長。RECOMPANY取締役。 南の島のゆるい空気感を日本社会に届けるべく「南国ライフスタイルLABO」というコミュニティーを運営。内閣府国際交流事業「世界青年の船2017」日本ナショナル・リーダー。 2019年からはフィジー・デンマーク・日本の世界3拠点生活(トリプル・ライフ)を開始(現在はコロナで休止中)。 著書に「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」。

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