家族旅で気づく、時間の尊さ
そして最後は、家族と行く旅。
親と過ごせる時間には限りがある。だからこれが一番、私にとってじんわり沁みるスタイルかもしれない。そのことを旅先で思い知らされることがある。
今年の春、私は東京から実家の熊本に帰省していた。
桜が咲く頃の市房ダム(熊本県水上村)photo by Risa Yamada
そのとき、母がぽつりとこう言った。
「私、”乳がん”になった」
あまりにも突然で、頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。母の乳がなくなることに父もショックを受けたようだった。
「なんではよ言うてくれんかったと?」
つい感情的になる。
「あんたに迷惑かけられんたい!」
あんなに温泉が好きだったのに「術後はもう温泉に入れんから」と母。それを聞いて、すぐに人吉温泉へ連れて行くことにした。
私は私で、東京での生活がある。遠慮して言い出せなかったと話す母の言葉に、胸が詰まった。それはそうだけど、もっと早く言って欲しかった。まだ親になったことがない私には母親の気持ちがわかるようでわからない。
そして手術当日。私は仕事のため東京に戻り、父が付き添うことに。数時間の手術を経て、母の乳がん摘出は無事に終わった。
電話越しに、「実習生がたくさんおって、恥ずかしかった〜」って、のんきなことを言ってたけど、本当は辛かったんだろうな。
術後にがんの生体検査をするので、そこまでは気が抜けなかったが、結果はステージ0。よかった、本当によかった。
「おかん、大事なことがあったら言ってよ。私のフットワークの軽さ知っとるやろ?」と病み上がりの母に釘をさす。
優しいのか冷たいのかよくわからない娘だ。
夏に再び人吉温泉へ。今度は私一人で入るつもりだった。朝の時間から入浴ができて、場所によっては貸切状態で入れるところもある。
心までほぐしてくれる温泉の不思議photo by Unsplash
私は気づかないうちに、無人機の「購入する」ボタンを二度押していた。手元には、思いがけず二枚の入浴券が並んでいる。仕方がないので、車で待っている母を誘うことにした。
この前「傷が恥ずかしい。あんたに見せたくない」って言ってたしな。嫌がるだろうとも思ったが、一応声をかけることに。
「間違えて券二枚買ってしまったから、おかんも入ってよ。」
最初は渋っていた母も、「……まあ、それならもったいないから入ろうか」
前回、清水の舞台から飛び降りるみたいに「もうこれが最後や」って言ってたけど、「結局、入るやん(笑)」と私。でも、前回と違っていたのは母の片乳はなくなっていたことだ。「おばさんの胸なんて誰もみらんて」って嫌味をいいながら私は露天風呂に移動した。
改めて入る人吉温泉の湯は、しっとりとやさしく、都会のシャワーとはまるで違う。
湯けむりの中で、「これ湯の華じゃなくて、前の人の垢かもよ!」なんて冗談を言いながら、湿っぽいのが苦手な私は、源泉で顔を洗うふりしてこぼれる涙を拭う。上質なお湯と涙が混ざり合って、もう区別がつかない気がした。
「おかん、苦労かけてごめんね。ありがとう。これからも帰るけん、また一緒に温泉行こう」
温泉帰りに母と見る美しい球磨川(熊本県人吉市)photo by Risa Yamada
旅は忘れていた“もう一人の自分”に出会う時間
自分では、あまり泣かないタイプだと思ってたけど、旅先ではとても涙もろくて、実は繊細なのかもしれないと感じた。この理由を考えてみる。
旅先では誰も私のことを知らないし、ウルルの大自然の中、シンガポールの喧騒、そして温泉の中では、私だけの時間が流れているからだ。
一人旅が教えてくれたのは、自由と孤独、そして若さゆえの力強さ。
女子旅で確かめたのは、友情と“生きている実感のよみがえり”。
家族旅で心に刻んだのは、限りある時間と、支え合う愛情の尊さ。
旅のスタイルは人それぞれだ。
でも私にとっての旅は、「Hello トッペルゲンガー」。もう一人の自分と出会いにいく時間だ。
旅よ、私に夢を見させてくれる?
昔の私、新たな私、そして隠れていた“本当の私”に会わせてくれる?
旅はきっと、自分の本当の姿を映す鏡なのだと思う。
だからこれを読んでいるあなたも、自分をさらけ出して、もう一人の自分に会いに行ってほしい。恥ずかしいところも情けないところも、眠っていた本当の気持ちをむき出しにして。
社会で生きていくためにかぶっていた分厚い仮面を剥ぎ取り、旅とともにもがき苦しみながら、それでも明るく希望をもって生きていこうじゃないか。
あなたの中のトッペルゲンガーに、いつか旅の途中で出会えることを願って。