誰もが「生きているうちに一度は行きたい」と願う世界一の絶景、ウユニ塩湖。その「日本初のガイドブック」がついに誕生しました!特別にその中身を抜粋してご紹介します。
塩湖にテントで泊まり込んだ写真家の手記
A photographer’s travel note.
あるフォトグラファーが駆け出しの頃に挑んだのは、飲み水さえないウユニ塩湖に1ヶ月間滞在し写真を撮る、という無謀とも思える冒険。想像以上にウユニ塩湖での環境は厳しく、時には命の危険を感じる時も。臨場感ある文章は読むだけで私たちをウユニ塩湖を連れて行ってくれます。
僕が写真を撮ることに目覚めた場所
うだるような暑さで目が覚めた。額を流れ落ちる汗をぬぐい、満足に腕も伸ばせないテントの中で、時計を手探りで探す。正午0時、気温は34度、標高3,660m。脱水症状なのか高山病なのかわからないが、ひどく頭が痛む。「何しにここに来たんだっけ?」。目の前には見慣れぬオレンジ色の天井。もうろうとする頭で思い出すことにした。
2016年、フリーの写真家として駆け出した僕は、初めての海外撮影に向けて準備を進めていた。行き先はウユニ塩湖。期間は1月の終わりから3月の中旬までの雨季シーズン。この場所に来るには少なからず理由があった。
10年前、初めてあの景色を見たときは、ただただ混乱し、理解できず思わず笑い出してしまったのを覚えている。「なんだここは?」。頭の中にある想像の範囲を軽々と飛び越えてしまったのだ。この場所がきっかけで、僕は写真を撮ることに目覚めた。
「旅先で感動した風景を切り取り、その写真を届けたい。人の心を動かすきっかけになりたい」。ウユニ塩湖は写真家としての原点だった。
旅から戻り、辛いアシスタント時代を経て、いよいよフリーの写真家となった今、この場所を撮らずして何を撮るのだろうか。
いまや南米旅行でのハイライトとなったウユニ塩湖は多くの人が訪れ、様々な写真が撮られている。せっかくプロの写真家としてウユニを撮るなら、みんなが知らない、見たことないような写真を撮ってやろう。そうして自分が何をするべきか考えた結果、こんな結論にたどり着いた。
「1ヶ月間ウユニ塩湖に張りつく」
ウユニ塩湖の真ん中にテントを張って、一ヶ月間密着して撮影をする。こんなことを考えた人間は日本人ではおろか、世界中でも僕一人だろう。そこからは準備に追われる日々が続いた。
先立って調べてみたが、参考になりそうな情報はあまり見つからなかった。なにせ「世界初」だ。自分の経験や想像力に頼り、あたり一面「塩」しかない生活を頭の中で再現して、荷物を丁寧に選定していくしかなかった。
寒暖の差が激しいウユニでは、気温差に耐えられるよう半袖からダウンジャケットまで揃えなくてはいけない。機材も替えのカメラボディやレンズはもちろん、充電のために防水ソーラーパネルも必須だ。
生きるための食料と水分量も計算した。ウユニ塩湖の水は海水の5倍の濃度。飲み水としてはまったく期待できない。水分補給や調理に必要な分、さらには体を拭いたり、歯を磨くなど、生活にかかる水をすべて近くの村から運ぶ必要がある。結果、荷物の総重量は水をのぞいても50kg を超えてしまった。
懐かしい村と終わらない日照り
慌ただしい準備期間を経て、僕はウユニ空港に降り立った。この時期のボリビアは夏だ。日差しは強烈。にもかかわらず風が吹くとかなり寒い。乾燥したこの土地特有の砂埃の匂い、硬く無機質な大地は腕組みをした大男のような無骨さ。2年ぶりのアンデスの気候が少し懐かしく感じた。
乗り合いバスに揺られること約30分。懐かしいウユニの村が見えてきた。この10年で観光客はずいぶん増え、村には信号もでき、通りの様子は大きく変わった。ただ、少しシャイな子どもたちのはにかんだ顔や、小さな雑貨屋さんの奥に座る老婆の素朴な笑顔は、まったく変わっていなかったのが嬉しかった。
村はシーズンだけあって旅行客にあふれ、活気づいている。まずはツアー会社のオフィスに入って最近の天気について聞いてみた。今回の撮影の成否は天気が90%を決めると言っても過言でない。
「60年間、ここで暮らしているけど、ここまで雨の降らない年は初めてかもしれない」。
チョリータ衣装の女性がため息をつくように話した。それは僕にとって最悪の事態だった。雨季なのに雨が降らない。日照りは日に日に深刻になっていき、水不足は村の生活にも支障をきたしはじめていた。村に来て6日目、塩湖に行ったところで撮影できないのはわかりきっている。だが、現地に入らないと何も始まらない。もう答えは決まっていた。
村からウユニ塩湖へは車で1時間。徒歩ではとてもじゃないがたどり着くのは困難だ。まずは旅行会社と契約しなければ話にならない。値段交渉のために片道のみの送迎であることを伝えると怪訝な顔をされた。当然だ。誰もいない、何もないウユニ塩湖に片道切符で行くなんて普通は思いつきもしない。
そこで、自分は写真家で撮影のために来たこと、1ヶ月間、ウユニ塩湖の中でキャンプ生活をすることを話した。すると目を丸くしてそんなことする人は初めて見たと驚かれた。
1ヶ月後に絶対に迎えに来るように何度もお願いをして、交渉は成立。机の上にあったカレンダーに赤ペンで何重にも丸をつけて念を押した。出発は翌日の朝に決まった。