ライター
さとみん 憧れの男性はロバート・ラングドン教授

歴女の旅好き。レオナルド・ダ・ヴィンチの追っかけ。 幼少時ドイツに住んでいた際に、両親の影響で旅×歴史に夢中に。古代オリエント史と美術史が好き。いつか古代オリエントの舞台を一気に回るのが夢。憧れの男性はダン・ブラウンが生み出した、ロバート・ラングドン教授。

ヴィンチ村から生家へ

photo by Satomin

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家はヴィンチ村の中心からさらに離れたアンキアーノという場所にあります。

徒歩かタクシーで行くことができると言われ、タクシーが見つからなかったこともあり、せっかくなので私は徒歩で向かいました。しばらくはちゃんとした車道沿いに歩いて行きましたが、「レオナルドの生家」という案内版が指していたのはなぜか森の中……。

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ここは森ではなく実はオリーブ畑でした。要所要所に生家への案内版が出ていたので、よっぽど変なルートに挑戦しなければ大丈夫だと思います。(行きと帰りで道がわからなくなる私でも大丈夫でした)

オリーブ畑を抜けると突然道が開け、右に曲がると「レオナルド・ダ・ヴィンチの生家」が現れます。

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ヴィンチ村からレオナルド・ダ・ヴィンチの生家を訪れた人のブログの多くは車での移動をお勧めしています。行きは結構な登り坂になるので、ご自身の体調と相談しながら行く方法を決めてくださいね。レオナルドの家は家が2軒あるうちの左手側です。

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このタイプの家は「Casa Colonica」といい、地主が小作人を置いていた建物です。世界中に知らない人はいないレベルの歴史上の偉人が生まれた場所とは思えないほど小さいく、部屋も二部屋しかありません。

レオナルドの父親は公証人のセル・ピエロで、母親は農家の娘でカテリーナといいます。実は父親にはフィレンツェに婚約者がおり(!?)、カテリーナとも身分が大きく違ったために正式な結婚はしていませんでした。つまりレオナルドは「庶子(本妻以外の女性から生まれた子。私生児)」として生まれたのです。

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かなり小さいうちに実の母親の元から引き離され父親のもとで育てられましたが、庶子の生まれであったため、良家の子供たちが教養として学ぶ古典(ラテン語や古代ギリシア語)を習うことはありませんでした。レオナルドは大人になってから教養人として、古典を身につけたのです。

入り口からすぐの暖炉がある部屋には、レオナルドの生涯年表、家族やこの家の歴史などがパネルで説明されています。(内部は撮影禁止です)

実はレオナルドの出生は少々謎に包まれていて、この家で生まれなかった説もあるし、5歳までは母親のもとで育ったという説もあります。(ヴィンチ村の記録簿には、レオナルドが5歳の時に登録されたものしかないため)

隣の部屋では英語とイタリア語で年老いたレオナルドが自身の生涯を語る映像が流れます。フィレンツェ、ミラノ、フランスとゆかりのある場所が映像で紹介されるのでなかなか見応えがあります。また、チケットオフィスの左手には、現存する唯一の壁画『最後の晩餐』が1:2の縮尺で投射されており、指定した絵の場所の拡大画像を見ることができます。

小さい家ながらも裏手にはトスカーナの山並みが広がっていて、豊かな自然にしばし時を忘れてしまいます。

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前述したとおり、レオナルドは自身で「空気遠近法」という画法を生み出しました。「遠くのものは色が変わり、境界がぼやける」という現象を絵に表してきましたが、幼い頃からこんな自然に囲まれていたら、この現象は彼にとっては見たままの光景で、当たり前のことなんだろうな、と感じることができました。

ヴィンチ村のレオナルドゆかりの地

レオナルドの生家から来た道を戻ってヴィンチ村へ戻りましょう。ヴィンチ村の中にもレオナルドゆかりの場所があります。

サンタ・クローチェ教会

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レオナルドが洗礼を受けた教会です。洗礼はキリスト教徒にとっては欠かせない儀式の一つです。出生にいろいろ謎の部分がありますが、このサンタ・クローチェ教会で洗礼を受けたことは確実です。

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レオナルド博物館

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何とこの小さい村の中にレオナルドの博物館が二つもあります。しかも二つの博物館の距離は一分程度。ここではレオナルドが発明したもの、膨大な量のメモに残されたアイディアを実際に復元したものが展示されています。

レオナルドは人や動物の骨格、筋肉などにも興味を持っていたため、実際に人を解剖してメモに残していました。(騎馬像をより躍動感あるものにするためにまず馬を解剖するところから始めるほど)私が一番驚いたのはダイビングスーツ!

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私が行ったときはおそらく地元の小学生たちが授業で見学に来ていました。先生のイタリア語の授業がとても気になって、イタリア語ができたらなぁ~と心から思いました。

偉人知る歴史に触れる旅へ

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人類史上最高の万能の天才の誕生は、田舎のとても小さな小さな家でのできごとでした。実の母親から引き離されて、良家の子供としての教育は受けられず、恵まれた環境で育ったわけではありませんでした。

後にレオナルドは芸術の都・フィレンツェで才能を花開かせて行きます。しかし、その才能の原点は間違いなくこの美しい自然に囲まれた小さな村だったのです。次の記事では、才能が花開いたフィレンツェでのレオナルド・ダ・ヴィンチの活躍をお伝えしたいと思います。

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さとみん 憧れの男性はロバート・ラングドン教授

歴女の旅好き。レオナルド・ダ・ヴィンチの追っかけ。 幼少時ドイツに住んでいた際に、両親の影響で旅×歴史に夢中に。古代オリエント史と美術史が好き。いつか古代オリエントの舞台を一気に回るのが夢。憧れの男性はダン・ブラウンが生み出した、ロバート・ラングドン教授。

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