スロベニアやクロアチアをはじめとするバルカン半島諸国の旅行ガイドを読むと、必ずと言っていいほど「ユーゴスラビア」という単語を見かけます。ユーゴスラビアは約20年前に消滅した国ですが、ユニークな多民族国家で知られていました。訪れたときにもきっと役立つ、知っておいて損はないユーゴスラビアの歴史をご紹介したいと思います。
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ユーゴスラビアは「南スラヴ人の国」という意味
「ユーゴスラビア」は昔からある地名とは異なります。「ユーゴスラビア」を直訳すると「南スラヴ人の国」という意味になり、いろいろな南スラヴ系の人々と協力する連邦国家を目指していました。
20世紀以前に「ユーゴスラビアをつくろう!」というアイディアがあり、実際に「ユーゴスラビア」が国名として使われたのは1930年代のことです。「ユーゴスラビア」と付いた国名を整理すると以下のとおりです。
※セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国からの改称
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(1946年~1992年)
※1946年~1963年まではユーゴスラビア連邦人民共和国
ユーゴスラビア連邦共和国(1992年~2003年)
この記事ではユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)とユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)を取り上げます。
旧ユーゴを象徴するフレーズ、七つの国境、六つの共和国、五つの民族とは
第二次世界大戦中、クロアチアやセルビアといったバルカン半島諸国は内戦状態にありました。それに勝利したのがパルチザン(ゲリラ部隊)を率いたチトーです。戦後、チトーは六つの共和国から成るユーゴスラビア(旧ユーゴ)を建国しました。
よく旧ユーゴの特徴を表すフレーズとして「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」が用いられます。ここでは、このフレーズを使って旧ユーゴを説明します。
七つの国境
旧ユーゴは七つの国と面していました。「七つの国」は以下のとおりです。
いろいろな国と接することで、多様な文化が育まれたと言ってもいいでしょう。また、旧ユーゴは西(カトリック文化圏)、東(正教文化圏、イスラーム文化圏)の間にある国でもありました。
六つの共和国
旧ユーゴは連邦国家ということもあり、国の中に六つの共和国と二つの自治州がありました。
今日、六つの共和国とコソボ自治州は独立国家となっています。ここで興味深い点は共和国の名称になっている主要民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人など)はすべて南スラヴ系です。先ほど説明したとおり「ユーゴスラビア」は「南スラヴ人の国」という意味ですから、そのまま国の骨格にも反映されています。
五つの民族
建国当初は五つの民族が「主要民族」とされていました。それが、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人です。後にボスニア・ヘルツェゴビナに住むイスラーム教徒で南スラヴ系の人々は「ムスリム人」という名で登録されました。
現在、「ムスリム人」はボシュニャク人と名乗っています。「主要民族」以外にもハンガリー人やアルバニア人など、南スラヴ系ではない民族もたくさん住んでいました。
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四つの言語
建国当初、旧ユーゴには四つの「主要言語」、スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語がありました。後にクロアチア語とセルビア語は一つの言語とみなされ、「セルボ=クロアチア語」に改称されました。
旧ユーゴ解体後はクロアチア語とセルビア語が別々になり、さらにボスニア語やモンテネグロ語も登場しました。
もっとも、クロアチア語、セルビア語、ボスニア語、モンテネグロ語はとても似ており、コミュニケーションをとる上では何ら問題はありません。
三つの宗教
三つの宗教は昔も今も変わらず、キリスト教/カトリック、キリスト教/正教、イスラーム教です。旧ユーゴにおける大まかな宗教と民族の関係は以下のとおりです。
キリスト教/正教:セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人
イスラーム教:ボシュニャク人(ムスリム人)、アルバニア人
二つの文字
旧ユーゴでは二つの文字、ローマ文字とキリール文字が使われてきました。キリール文字とはロシア語に代表されるローマ文字と似たようで異なる文字です。スロベニア語とクロアチア語はローマ文字を用い、セルビア語やマケドニア語などはキリール文字を使います。
一つの国家
このように旧ユーゴは、言語や宗教、民族が多様でとてもユニークな連邦国家だったのです。