ライター
向井 愛美 ディレクター・編集者

大阪出身。広告代理店出身、元フリートラベルライター。観光業の発展と個々人の選択肢を広げることに尽力したい。とにかく新しい体験や感動に出会える旅行が好き。人生楽しんだもん勝ち。

こんにちは!TABIPPOのまなみです。

TABIPPOは2020年に、10周年を迎えました。この10年間でTABIPPOは大きく変化しています。この変化の軌跡を、10周年という節目のタイミングで、その歴史をよく知るふたりと共に振り返ったのがこのインタビューです。創業メンバーの出会いから、今に至るまでを全4回でお届けします。今回話してくれたのはこのお二方です。

ひとりめは、TABIPPO代表の清水直哉(以下:清水/しみなお)。学生団体の立ち上げから今までずっとTABIPPOの中心人物で、その歴史を最もよく知っている人と言っても過言ではありません。


清水 直哉
群馬生まれ、40ヶ国以上を旅したビール好きの経営者、あだ名は「しみなお」です。世界一周のひとり旅から帰国して、TABIPPOを仲間と一緒に創設しました。26歳で起業してから、旅の力で世界を豊かにすることに人生を賭けてます。でも、経営者らしくないフラットな人間。趣味は、サッカーと漫画、そしてお酒。カレーとトマト、ビールとコーヒーが大好きです。

 

ふたりめは、TABIPPOの名付け親小泉翔(以下:小泉/しょう)。学生団体だった頃に「TABIPPO」という名前を発案、学生団体の立ち上げから今まで第一線で関わり続けるメンバーのひとりです。


小泉 翔
株式会社TABIPPO創業メンバーで、立ち上げから @TOKYOCITYFC の中の人。大宮アルディージャU-18、大学はアメリカ留学から世界一周の旅。立教卒、サイバーエージェント12年入社、14年にTABIPPO法人化、6期目です。渡航ヶ国数は現在42、ブラジル、ロシアW杯を現地観戦。カタールも行きます。

 

今回は学生団体の立ち上げから大規模なイベントを開催するに至るまでの歴史を、2人が話すエピソードと共に辿ります。

知られざる苦労や笑い話、当時のメンバーしか知らないこっそり話まで様々なエピソードを話してもらいました。また、2人は長くシェアハウスをしていた仲。終始笑いの絶えない楽しそうな写真にも注目です!

 

TABIPPOの原点

学生団体にもなる前。立ち上げメンバーはどのように出会い、どんなふうに「TABIPPO」となっていったのでしょうか。

―1番最初に立ち上げメンバーが集まったのは?

清水

最初は世界一周したメンバーでの飲み会だね!世界一周から帰ってきて1年後かな。

小泉

世界一周中に会った同世代と、日本で集まろうってなった。みんながみんな顔を合わせてたわけじゃないんだけど、それぞれが会ってて。俺もこういうやつと会ったから、俺も、って感じで集めて5人くらいで飲み会をしたんだよね。

清水

俺は全員と会ってたよ。それで集まりやすかったのもあるよね。あ、でも、翔だけドタキャンして会えなかった。

小泉

俺がドタキャンしたみたいに言うじゃん!ドタキャンしたのはしみなおね!

清水

そうだね(笑)。で、今のメンバーでもある、ルイス(前田塁)が少し後から入って、6人になった。それが初期メンバーだね。

 

―飲み会から始まったんですね。世界一周をしている時から、「帰ったら何かしよう!」と話していたのですか?

小泉

俺は世界一周から帰った後、TABIPPOでやることになった活動を元々自分でやろうとしていて、それはルイスとは話していた。しみなおは別で、みんなとそういうことを話していたんだよね。だったら、みんなで集まって、何か活動していこう!ってなった。

清水

そうそう。

小泉

それで、「世界一周コミュニティ(仮)」っていうチーム名ができて、新宿のパセラを貸し切って飲み会をした。50人くらい集まったよね。それが一番最初の活動かな。

清水

パセラなつかしいね(笑)。それが2010年とかかな。世界一周した人としたい人が集まる飲み会だったね。

 

―参加者50人!どうやって集客して、どんな飲み会だったんですか?

清水

みんな、人気ブロガーだったからね。ブログの読者さんとか、世界一周中に会った友達とかを呼んだ。それが2010年の4月10日。だから、今回の10周年も2020年の4月10日。法人化するときも4月10日にしたよ。

小泉

世界一周した人がそれぞれの経験を話したりして、もうその後は普通に飲み会。2次会は天井の低いたこ焼き屋だったな。みんなでたこ焼きを食べたなあ。

なつかしいねえ。

 

―その次、第二回は?

清水

その次はクラブを貸し切ったよね。パセラからクラブに(笑)。それが100人くらい来たのかな。で、その後に「ちょっと飲み会は飽きたね」ってなったから、トークライブをやることにした。それが、今の旅大学の原型になるもの。世界一周トークライブみたいな。登壇したのは、TABIPPOのメンバーとか、関根さんとか。

小泉

関根 健次さんは、国際平和映像祭 という活動をしている人。あと、スマイルアースというカフェを経営している吉田 有希さんとか、『ブラを捨てて旅に出よう』っていう本を書いてる歩 りえこさんも来てくれた。

清水

みんなそれぞれの旅の知り合いだよね。

小泉

そう。当時、登壇費とか払ってなかったね。その時は俺らも学生だったし、思いに共感して登壇してくれる人を募った感じ。今考えるとすごいよね!

 

―その時にはもう「TABIPPO」という名前で活動していたんでしょうか?

清水

その時にはTABIPPOだったね。2回目の飲み会、クラブで名前を発表したもんね。

小泉

変な動画を作って発表したよね(笑)。2回目を開催するときに、名前を決めようという話になって。俺としみなおも住んでいたシェアハウスでよくMTGをしてたから、そのときもそこで、みんなで付箋とかでアイディアを出すブレストをやって、白熱してたなあ。

清水

だからボツ案も結構あったよね。一個だけ覚えてるのは、「ワールドトラベラーズ」。めちゃくちゃだせえ!(笑)

小泉

「アラウンド・ザ・ワールド」とかもあったよ(笑)。

 

―そうならなくてよかったです(笑)。その中に「TABIPPO」が…?

小泉

そう、俺が書いたやつ。「旅への一歩をサポートしたい」という意味で。

清水

最初、しょうもウケ狙いで書いてたよね?「TABIPPOどう!?」みたいな(笑)。まわりも「いやいや…」とか「ウケるね」って感じだったし。

小泉

でも、その時一緒に活動してたジンくんっていう美大生で、シェアハウスのメンバーでもあった子に、第三者的な目線で選んでもらったら「絶対TABIPPOでしょ」って即決!

清水

俺らは「え?マジ?」ってなってたけど、そこから何時間か議論してたら、「なんかTABIPPOいいかも?」ってなって。ジンくんのデザイナーというかクリエイターとしてのセンスを信頼してたのもあって、決定した。


最初のロゴ。ぽ。

 

―ちなみに、ジンくんは今、何してらっしゃるんですか?

清水

ジンくんは今ね、中華料理屋のオーナーやってる。新橋で10店舗とか、横浜の駅前、品川とか。すごいよね。その時のメンバーはみんな大体経営者になった。個性的なメンバーが多かったよね。
ライター
向井 愛美 ディレクター・編集者

大阪出身。広告代理店出身、元フリートラベルライター。観光業の発展と個々人の選択肢を広げることに尽力したい。とにかく新しい体験や感動に出会える旅行が好き。人生楽しんだもん勝ち。

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