編集部
Asuna エディター

元小学校教諭。大学在学中に「海外ひとり旅」にハマる。現在はTABIPPOの編集部に所属。ほかにも取材・美容・食・コラムライターとして活動しつつ、個人でFamily photographerとして、お宮参り・七五三・前撮りなどを撮影している。週末は夫と旅三昧の日々で、長野〜福島県は庭。東北が大好きで、地方に行きつけの店を作るのが趣味。

はじめまして!Asunaです。みなさんは「秘境」の言葉に魅力を感じたことはありませんか?わたしは耳にするだけでとってもわくわくしてきます。

今回は、人気の旅先イタリアの中でも、ローマやフィレンツェ、ベネチアなどメジャーな観光地はもう行った!少しマイナーなところに足をのばしたい。と、感じている方にぴったりなイタリアの秘境「チヴィタ」をご紹介したいと思います。

断崖絶壁、長い橋の先にあるイタリアの秘境


こちらの写真の景色を見たことがある人いませんか?実はここ、映画「ホタルノヒカリ」でも使われていた場所なんです。

あまり耳にしない、ラツィオ州ヴィデルボ県バニョレージョに属する、離れ集落。そんなところに、「天空の町」と呼ばれる「チヴィタ・デ・バニョレージョ」(Chivita di Bagnoregio)という町があります。

チヴィタはローマから北東に進んだ方角、フィレンツェとの間あたりに位置しています。車で行くとだいたい2時間程度で到着する場所ですが、最後に長い橋を徒歩で渡ってはじめて町に到着することができるのです。

「長い橋」と書きましたが、いったいどのくらい長いのかと言いますと、なんと、300メートル!平坦な道なら5分とかからず歩くことができる距離なのですが、坂と階段が続くので正直きついです。

でも、秘境好きにはたまらない「いい意味での不便さ」かと思います。では、なぜチヴィタは訪れにくい断崖絶壁につくられたのでしょう?

チヴィタはどのようにしてつくられたの?


それは遡ることおよそ2500年前。ローマの歴史よりも昔にエトルリア人によってチヴィタはつくられました。

エトルリア人とは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろに、イタリア半島中部にあった都市国家群といわれています。高い建築技術を持ち、のちに都市国家ローマの建築にもその技術は生かされたそう。

当初は古代ギリシア人とは異なる「エトルリア文化」を築き上げましたが、徐々に古代ローマ人と同化し、消滅してしまったのだとか。建築技術の高い文化を持っていたエトルリア人は「自然の城壁」を利用すべく、この高い丘にチヴィタの町をつくりあげました。

そう、当時は「丘」だったのです。


しかしこの丘、「トゥーフォ」と呼ばれる火山灰が固まって形成される凝灰岩でできているため、その後チヴィタを襲った風雨や地震によって侵食が進んでしまいました。

街の崩落を心配し、危機を感じた住民たちが次々と町を離れたことにより、廃墟化が進んでいったといわれています。そのため、長い橋を渡らなければ町にたどり着くことができず、町全体が要塞のようになってしましました。(でも正直その雰囲気が秘境好きをそそるんですよね)

廃墟化を理由に、この「天空の町チヴィタ」は、別名「滅びゆく町」「死にゆく町」ともいわれています。町の入り口にも、「il paese che muore」(死にゆく町)という看板があります。訪れた際にはぜひ探してみてくださいね!

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Asuna エディター

元小学校教諭。大学在学中に「海外ひとり旅」にハマる。現在はTABIPPOの編集部に所属。ほかにも取材・美容・食・コラムライターとして活動しつつ、個人でFamily photographerとして、お宮参り・七五三・前撮りなどを撮影している。週末は夫と旅三昧の日々で、長野〜福島県は庭。東北が大好きで、地方に行きつけの店を作るのが趣味。

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