紀伊山地には熊野三山、吉野・大峰、高野山とそれぞれに特色のある霊場が集まっています。山深いところで、歩けども歩けども山また山が続きます。果無峠という峠が熊野古道にありますが、山が果てし無く続くところにふさわしい名前ですね。
1000年以上前から都の人々を惹きつけてやまなかった霊場は今もなお、神秘のパワースポットとして訪れる人の心を癒してくれています。
京都から一番近かった熊野本宮大社
熊野本宮大社は中辺路をたどって最初に到達する熊野三山の社です。約2000年も前に建てられたそうで、3つの社が並んだ本殿は厳かな雰囲気があります。
平安時代から鎌倉時代にかけて盛んに熊野詣が行われて「蟻の熊野詣」と言われました。後白河上皇は34度も参詣されたそうです。
大斎原は熊野本宮大社が元あった場所
江戸時代までの熊野本宮大社は熊野川の中州、大斎原(おおゆのはら)にありました。橋はなく、参拝者は着物の裾を濡らしながら詣でましたが、いわば川の水で身を清めてお参りしたわけです。
明治時代の大洪水で社殿が流されて今の場所に遷座し、大斎原には流失した社を祀る祠が建てられています。大斎原の大鳥居は熊野本宮大社からも見ることができます。
熊野川の河口近くの熊野速玉大社
熊野速玉大社は本宮から熊野川を下って熊野灘に出るところにあり、新宮とも呼ばれます。新宮市にある神倉山は日本書紀の天ノ磐盾で、熊野三山の大神が天下られた場所だと伝えられています。
熊野速玉大社までは本宮大社よりもさらに遠く、人々は滅罪と救いを求めて命がけでその道を歩きました。その苦行の末に辿り着いた大社は「甦りの地」と言われています。
神仏習合を伝える熊野那智大社
熊野三山の1つ、熊野那智大社は那智大滝を神格化し、青岸渡寺、補陀洛山寺とともに神仏習合の時代は1社としていた点で他の二山とは違っています。
熊野三山共通の神の使い「八咫烏」はここでも大切に祀られていました。