日本ではよく、崩れ落ちる廃墟、苔むす遺跡などが「ジブリっぽい」「ラピュタのモデル」などと形容されますよね。
そんなジブリの世界観が味わえるスポットとして注目された観光名所の一つに、和歌山県の「友ヶ島(ともがしま)」が挙げられます。
実はそんな友ヶ島の本当の姿は「戦争遺産島」、つまり戦時下では最前線に立たされていた貴重な戦争遺跡。
今回の旅では、友ヶ島ならではの美しさを堪能するとともに、友ヶ島を通じてその裏に秘められた戦争と平和に思いを馳せてみました。
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ラピュタの島「友ヶ島」は戦争遺産島、その歴史を振り返る
Photo by 公益社団法人 和歌山県観光連盟
和歌山県の北西端に位置し、淡路島と紀伊半島にまたがる紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」。
友ヶ島は、東の「地ノ島(じのしま)」、西の「沖ノ島(おきのしま)」、そして「虎島(とらじま)」と「神島(かみじま)」の4つの無人島の総称で、現在、わたしたちが主に観光のために上陸するのは「沖ノ島」にあたります。
古くは、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が最初に修行した「葛城修験(かつらぎしゅげん)」の出発点といわれ、修験者にとって山岳修行の場であった友ヶ島。それが、別の意味合いを持ち始めたのは江戸幕末期のことです。
Photo by 公益社団法人 和歌山県観光連盟
黒船来航の頃から異国船に対する大阪湾防御の必要に迫られた幕府は、その入り口となる紀淡海峡を監視するため、友ヶ島や淡路島などに砲台を構えます。
やがて明治の開国を経て、今度は大日本帝国陸軍の指揮下にて、淡路島の由良地区、友ヶ島、紀伊半島の加太(かだ)・深山地区を中心に「由良要塞」を構築、友ヶ島の沖ノ島には5つ、そして虎島にも砲台や防備衛所を配備し、当時600人もの兵隊が駐屯したとされています。
Photo by Mayumi
国防上、一般の立入を固く禁じ、当時の地図から抹消された“幻の島”、友ヶ島。しかし、第二次大戦下では航空機主体に戦闘が取って代わったことで、対艦用に造られた砲台は使用されることなく終戦を迎えます。
そんな「不戦の要塞」は連合国軍総司令部(GHQ)による武装解除で破壊されますが、戦後まもなく瀬戸内海国立公園に指定されたことで、爆破された第二砲台以外の主要な施設は比較的良好な状態が保たれたまま現在に至っています。
Photo by Mayumi
戦後の友ヶ島は、南海電鉄グループによる観光開発により、キャンプや海水浴が楽しめるレジャーアイランドとして一時期賑わいを見せるも、次第に人気に陰りが見え始め、あえなく撤退。その後は運営主体を変えて存続していく中で、いつしか写真好きやジブリファンの間で「ラピュタの世界」を彷彿とさせる廃墟スポットとして人気が再燃、現在では多くの観光客がつめかけています。
その一方で、これらは後世に伝えるべき貴重な戦争遺跡。広島の原爆ドームのように、戦争や平和のあり方、そして未来を考えるきっかけを与えてくれる貴重な遺産でもあります。
「友ヶ島」で見る、戦争遺跡の主なスポット
ここからは、友ヶ島を代表する主な戦争遺跡をご紹介します。
砲台跡
Photo by Mayumi
戦時下において、紀淡海峡に侵入する敵艦への攻撃に備えた友ヶ島の砲台。
上記画像は、戦後GHQによって爆破された友ヶ島唯一の砲台、「第二砲台跡」です。崩落が激しく、内部見学は禁止されています。
役割を終え、破壊されて崩れ落ちたレンガ色の廃墟によって戦争の虚しさが伝わってくるとともに、当時の将校たちはどんな思いで紀淡海峡を見守っていたのだろう、砲台が使われずにすんでよかった……などと、複雑な思いが交錯しました。
Photo by Mayumi
こちらは、友ヶ島にある6つの砲台のうち、もっとも規模が大きく、最主力砲台として山頂から360度砲撃が可能とされた「第三砲台跡」です。8つの砲座と弾薬支庫、そして独自の発電所や監守衛まで併設されていました。
恐ろしい兵器が置かれていた砲台跡は、今や草木に覆われ、まるで庭園のような姿に。そのギャップがまた哀愁を誘います。
弾薬支庫跡
Photo by Mayumi
こちらは各砲台に併設された「弾薬支庫跡」です。特に上の画像の第三砲台に併設された弾薬支庫跡は、友ヶ島を「ラピュタの島」として印象づけた、もっとも人気のあるスポットです。
保存状態がよく、内部を自由に見学できます。
Photo by Mayumi
弾薬支庫の内部はすべて奥の通路でつながっていて、各部屋を行き来することができます。
画像は明るさを調整していますが、実際の内部は昼間でも真っ暗闇。空気がじめっとしていて、足元には水たまりもあり、どこかゾクッとさせるものがあります。これがリアルに接したときの、写真や文字では伝えきれない生の感覚です。
こんな暗闇の中で、いつ襲ってくるかもわからない敵艦と危険な弾薬に挟まれて、若い将校たちはどんな思いだったのか。そう、やるせない気持ちになりました。
友ヶ島灯台
Photo by Mayumi
明治5年(1872年)、英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによってつくられた、明治初期の洋風建築を代表する石造りの白亜の灯台、「友ヶ島灯台」。
もともとは現在の位置から西へ約25m離れた場所に立っていましたが、第一砲台を建設する際、砲撃の邪魔になるからという理由で現在の位置に移設されたそうです。
今でも紀淡海峡を航行する船舶のみちしるべとして現役稼働中です。
旧海軍聴音所跡
Photo by Mayumi
島の南岸に面して建てられた「旧海軍聴音所跡」。正式名は「紀伊防備隊友ヶ島衛所」で、大阪湾に侵入する潜水艦のスクリュー音を24時間体制で監視し、迎撃までできる軍事施設とされています。
Photo by Mayumi
老朽化が進み、何も残っていない内部。
当時の将校たちが何を想ってこの大きく開いた窓から外を見ていたのかを想像して、何となく切ない気持ちになりました。