衝動に導かれて
ただ、どこか遠くへ行ってみたかった。
ただ、知らない景色を見てみたかった。
旅の動機はいつも、そんな衝動だった。
学生時代には、友人とふたりで青春18きっぷを握りしめて、大阪からひたすら北上した旅もあった。将来への不安や葛藤を抱えていた時期だった。
降り立った東北の地で宿も目的地も決めずに歩き回り、ローカル線に乗り、知らない街をただ練り歩き、新しい景色に感動した。
初めての就職をする直前には、このまま社会に出ていいのか、何かやり残したことはないか、という思いがよぎり、目的もなく阪急電車に飛び乗ったこともあった。
とりあえず西へ向かった僕は、気が付けば尾道まで辿り着いていた。坂の上から眺めた瀬戸内海は美しく、この景色を見るためにここまで来たんだ、なんて思ったりした。
人生に迷っていた頃には、一人でインドに渡ったこともある。
自分を探すためでも、たくさんの名所を巡りたかった訳でもない。いつか読んだ小説に出てきたガンジス川の流れを見てみたくなった。ただ、それだけだった。
水田に映る空と雲
日常のなかでも、僕はよく旅をしている。
ここの角を曲がったらどんな店や風景があるのだろう。いつもは通り過ぎる駅で降りたら、どんな街が広がっているのだろう。
ふとした拍子にそんな衝動に駆られ、行ったことのない場所や知らない景色を求めている。
インドアで内向的でだった少年時代だったのに、気がつけばそんなふうに生きるようになっていた。一体いつからだろう。
振り返ってみると、その少年時代こそが原点だったように思う。
時折、インドアの殻を破りたくなる衝動に駆られ、自転車にまたがっては、故郷・美瑛の風の中を自転車で駆け回っていた。
あの日々が、すべての旅のはじまりだった。
美瑛の丘と遠くに連なる大雪山連峰
丘のまち・びえい
パッチワーク柄の花畑
僕の故郷・美瑛町は、北海道のほぼ真ん中に位置する小さな町で、観光地としても知られている。
「丘のまち・びえい」というキャッチコピーが付いているように、なだらかな丘陵地帯が特徴的で、そこに広がる畑や牧草地は、北海道を代表する景色のひとつだ。
ほかにも美しい景色はたくさんある。
色合いの異なる花や農作物が連なる「パッチワークの路」。
畑の真ん中にポツンと佇む「クリスマスツリーの木」や「ケンとメリーの木」などの木々。
遠くに見える、「北海道の屋根」と呼ばれる大雪山連峰の山並み。
青く染まった湖面に、枯れたカラマツの木々が立ち並ぶ幻想的な「青い池」は、近年特に有名で、写真などで目にしたことがある人も多いのではないだろうか。
まるで絵画のようなその風景たちは、季節ごとに彩りを変えながら、多くの旅人や写真家たちを惹きつけてきた。
青い池とカラマツ
そんな町に6歳から18歳まで暮らしていた僕は、いつも土や草、風の匂いを感じながら、小さな旅に出掛けていた。
僕が見てきたもの。
それはパンフレットに載る観光スポットではなく、どこまでも続く、名前のない風景たち。
美しくて雄大なそれらの向こうに何があるのかを知りたくて、少年時代の僕は、ただひたすらに自転車を漕いで旅をしていた。
夕暮れの田畑に佇むクリスマスツリーの木
どこまでも遠くへ
道路の落ち葉さえも、旅の風景の一部だった
中学生に上がると、思春期特有の繊細な心に悩む日々だった。
何か大きな問題があったわけではない。友達もいたし家族も仲がよかった。
だけど、どことなく常に違和感があり、周囲とのズレを感じ、傷つきやすかった。殻に篭りがちだった。
友達が最新のゲームやテレビの話で盛り上がっているのにも興味を持てず、読書をして一人の世界に没入することも多かった。
勉強も運動も大して好きじゃなく、成績優秀で運動が得意で、明るく友達の多い年子の兄になんとなくコンプレックスを感じたりもした。
自分は自分。そう言い聞かせても、なんだかやり切れない思いを抱えるのだった。
そんな日には、衝動的に家を飛び出して自転車にまたがり、あてもなく走った。
その先に待っていたもの。
どこまでも伸びる一本道。頭上に広がる大きな青空。白い雲。道の脇には風に揺れる麦畑。反対側の雑木林からは木漏れ日が降り注ぐ。時折すれ違うトラクターの音と匂い。ペダルを漕ぐ音、自分の呼吸。
風に揺れる麦畑
ゆっくり走るトラクター
五感いっぱいに、いろんなものを感じた。
買ってもらったデジカメを持って、写真を撮りまくったこともあった。誰も通らない道、誰もいない景色を写真に収めるのは、この世界を今知っているのは自分だけだという気がして、胸がざわざわした。
そんな感覚をいつまでも味わっていたくて、ペダルを漕ぎ続けた。まだ見ぬ景色を求めて、ひたすら遠くへ向かった。
じゃがいも畑と青空と丘陵と
心のなかに広がるモヤモヤは、進めば進むほど、消えるどころか、むしろ大きくなった。
だけど、それが良かったと思う。自分だけしか対話する相手がいない道で、真正面からそのモヤモヤに向き合えていたから。
夕暮れ染まる丘
そろそろ日が傾き始め、来た道を辿る頃には、さっき見てきた景色が夕陽に染まっていた。また何度も立ち止まっては、写真を撮った。
家に帰る頃にはすっかり日も暮れ、身体は疲れ、何やってんだろうなぁと思いつつも、心は少しばかりすっきりしていた。
そしていつもの日常にまた戻りながらも、なんとなく前向きな気持ちになっているのだった。
眩しい夕陽と木
あの風のなかを今も
「なんかよくわからんけどモヤモヤする」
そんな胸のうちが、遠くへ行きたいという衝動を呼び、そのままに旅へと駆り立てた。僕のこれまでの人生は、そんな旅の連続だった。
その原点には、間違いなく故郷・美瑛の風景のなかを走ったあの日々がある。
木々や農作物の鮮やかな緑、風の匂い、広がる青空、どこまでも伸びる道。
モヤモヤした心を抱えながら、そうした景色の中を駆けた時間が、旅の形だけでなく、今の僕の価値観や思考そのものを形作ってきたように思う。
春先には道端にふきのとうが芽吹く
これまでの旅はすべて、あの風景の延長線上にあるような気がする。
僕が今も旅に魅了され、遠くへ行ってみたいと思うのは、きっとあの丘の風のなかを、心のどこかで今も走り続けているからなのかもしれない。
そしてこれからも僕は衝動に駆られ、また旅に出るだろう。どこまでも続くあの道の続きをゆくように。
道の先には、どんな景色が待っているのだろう
All photos by Satofumi Kimura