ライター

旅と写真が生きがい。偶然の出会いや風景の中にある小さな物語を見つけて、感じたままに伝えています。

僕の旅はいつだって好奇心のそこを追求するような新しくてまだ見ぬ世界への一歩なのだと思っていた。

17歳の冬、初めて世界一周という言葉に出会ってから新しい世界、自分の知らないことへの旅立ちが僕の人生を希望に満たしていた。

でも、自分にとって旅と定義できないような行ったことのある街へ行くことが実は僕自身の旅のあり方を形作っていたなんて今回8年ぶりに福岡へ訪れるまで気がつきもしなかった。

旅の目的は観光地じゃなくていい


この旅で観光地巡りはひとつもなかった。

8年ぶりの福岡にはただ昔の友人に会うだけの目的で来ていた。

それなのにこの旅は「僕の旅のスタイル」を決定づけるきっかけになっていった。

朝8時、福岡空港から福岡の中心地天神へと向かった。地下鉄空港線は同じ飛行機に乗り合わせた観光客や出勤するサラリーマンが入り混じる。

東京都とは違い、人と人が押し合うこともなく、人びとの心には余裕があった。

優先席は必要とする人のために開けられ、椅子取りゲームをする人もいない。

「この街で生活すれば心穏やかに生きられるのではないか」

そう思うと心が軽くなった。

「天神、天神」というアナウンスと同時に扉が開き、僕は勢いよく電車をおりた。階段を早足で駆け上がり改札を抜けた。改札から一歩踏み出すとそこには僕の知らない景色が広がっていた。

どこへ行けば良いのかわからない。右も左も僕の知っている景色とは大きく変わっていた。

「天神地下街」と書かれた看板は僕の知っているもののはずなのに、まるで来たことのない街との出会いだった。

8年ぶりの再会


じつは今回、特別に会いたい人がいた。学生時代、友達の恋人だった彼女。

それがきっかけで一緒にいることも多かったし、一緒に散歩したり、彼氏の愚痴を聞いたり、泣いてる彼女を隣で慰めたり。彼女とは本当にいろんな思い出があった。

卒業して僕はいろんなところを転々とし、彼女は福岡で美容師として働く中でお互い多忙になり、疎遠になった。

この旅を決める1ヶ月前、突然彼女から会いたいとメッセージが届いた。

「久しぶりに会おうよ!あの時みたいに私が何か作るからさ!家においで!」

そんなことを言う彼女のメッセージを見て、なんだか全然変わらないなと懐かしく感じた。送られてきた地図を見ながら見知らぬ町に向かって歩く、迷いながらも彼女の家の扉の前についた。


家の中からは小さな子供の叫び声や彼女の懐かしい声が聞こえる。家庭の温かい音がする。

懐かしい彼女の声に安堵すると同時に、なんだかすごく緊張していた。

呼び鈴を鳴らすと彼女が出てきた。

昔と変わらないあだ名呼びや笑顔に安心感を感じ、なんだか嬉しかった。僕たちはまだ友人なのだと感じられたからなのかもしれない。

8年ぶりの彼女は2児の母になっていた。

少し緊張はありながらも彼女の小さな子供達と遊んだり、会っていなかった期間をお互いがどうにか埋めようとするかのように夢中で話した。

会っていない間に大人になった彼女の姿に尊敬や嬉しさ、そして少しの寂しさを感じた。

会わない間にみんな前に進んでいる。

人生を大きな旅だと考えるならこの時間は道に咲いた綺麗な花に足を止めてしまう瞬間なのかもしれない。過去の姿を期待しながら福岡に来て新しいものばかりに目が奪われてしまうのだから。

記憶を頼りに歩いた福岡

早朝の天神


ビルの影から優しい日差しが街のあちこちを照らしていた。

澄んだ空気で静かな良い時間と言いたいところだけど、最近の温暖化の影響もあり、ベタつくような蒸し暑さがあった。

連絡くれた友人との待ち合わせまで4時間ほど時間があったので、駅周辺を散策することにした。

まだ駅前のビックカメラも、駅直結の商業施設もシャッターが閉まっている。渡辺通りを挟み反対側の歩道には緑色の大丸の旗が昔と変わらず掲げられていた。

ただ、その周辺は何も変わっていないようであの時にはなかった大きなビルが完成しようとしていた。大きなクレーンで持ち上げられる鉄筋を下から眺めながらなんだか少し寂しさを感じる。

この気持ちはなんだかおかしい。

天神によく足を運んでいた頃はここは小さな街で退屈だと言っていた。だから、東京の大都会イメージに惹かれ僕は東京に出てきた。この街も東京に近づこうと少しずつ開発が進んでいる。それだけのことなんだ。僕はそれを歓迎すべきだった。

思い出のあの場所


沖縄の高校を卒業して初めて福岡に来た時、同じく沖縄から福岡に進学した友人と2人でキャナルシティーの目の前にある那珂川のほとりで新生活のワクワクを語り合った。

夜になるとギラギラと活気づく景色が好きだった。遊歩道からそれを眺めながら語り合った記憶が今も僕の中にあった。

記憶を元にもう一度その場所に行ってみることにした。

キャナルシティーを抜けその場所に着くと昔あったはずの遊歩道はなくなっていた。その場所はバス乗り場になっていた。フェンス越しの那珂川はもう僕の記憶の中の姿をしていなかった。

僕の記憶の場所は本当はなかったのではないか、ロマンチックに改変していたのかもしれない。

そう思わせるほどに昔の面影は無くなっていた。

知っていると思っていた街は今では僕の知らない街に変わっている。記憶を頼りにいろんな場所を歩いてみた。ここは変わらないなと思う場所もあれば少しも面影を残さない場所もあった。

変わりゆく街を目の当たりに寂しさを感じながら、僕の中には同じように好奇心が湧いてきていた。

福岡は観光したい場所もないし、行っても退屈だ!それなら新しい場所に行きたい!

そう思って約8年も足を伸ばさなかった福岡がこんなにも変化していた。脱皮して昔の残像を残しつつ少しずつ時代を進めている。

それに気づいた時、僕の旅も少し前に進んだように感じた。

天神の新天町通り

僕の旅のスタイル


今回の旅で気づいたことがある。

僕の旅はいつも記憶をなぞることから始まっている。

今回の福岡旅は8年間会うことのなかった友人と会うだけのつもりだった。でも、実際は僕の旅のスタイルに気づく旅だった。

僕はトルコを旅することが好きだ。強いていうならイスタンブールが好きだ。

世界一周をする!と行って海外に出たはずなのに気がつくとトルコにしかいなかったり、毎年の旅先はトルコばかりだ。よく周りからはなぜトルコばかりにいくの?他の国には興味がないの?と聞かれる。

僕はその質問をされるたびに自分がなぜトルコばかりに行くのかわからなかった。

「好きだから」と言うことしかできなかった。

けれど今回の福岡旅で僕の旅はいつだって、過去をもう一度歩こうとしていたんだと気づいた。

イスタンブールでもまずは以前通った道を歩いたり、以前訪れたカフェを訪れる。

今回と同じようにいつも過去と重ねて寂しさを感じていた。でも、同時に懐かしさの中に変わっていく街や人に未来を感じる。

過去を追いかける旅は後ろ向きに見えるかもしれない。でも、それは僕にとって糧となり未来へ進むための旅だ。

記憶と新しい発見を何層にも重ね、自分だけの旅を作っていく。

これが僕の旅のスタイルなんだと感じた。

「人とは違う自分だけの旅の価値」それを知るきっかけになったのが今回の福岡旅だった。そして、友人達からもらった「おかえり」という言葉がこの街に愛着を感じさせてくれる。

なかなか正直になるのは恥ずかしいのだけど、大切な人がいるこの街が僕は大好きなんだと思う。

これから旅をしたい人へ


旅は観光地や有名スポットを巡らなくても成立する。

もちろん有名な場所で写真を撮ったり、観光地を見て楽しむのもとても良い旅だ。

ただ、旅するなかで「どんな旅を望んでいるのか」「なぜ旅に出たいのか」知っていれば旅はもっと充実したものになると思う。だから、等身大の旅を楽しんでほしいと思う。

僕はそれを今回の福岡旅で知った。

All photos by Kakeru Yamashiro

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旅と写真が生きがい。偶然の出会いや風景の中にある小さな物語を見つけて、感じたままに伝えています。

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