この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。
今回の主人公は、袴田大輔さん(当時21歳) です。
「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。
\この記事は、書籍化もされています/
・袴田大輔(当時21歳) / 大学生 2009.4〜2010.2 / 310日間 / 27ヵ国
・世界一周の旅ルート
香港→マカオ→中国→ベトナム→ラオス→ タイ→インド→ネパール→ヨルダン→イスラエ ル→エジプト→ドイツ→オーストリア→ハンガ リー→チェコ→フィンランド→イギリス→スペ イン→モロッコ→アンドラ→ポルトガル→アル ゼンチン→チリ→ペルー→ボリビア→メキシコ →アメリカ
僕は、ひきこもりの大学生だった
世界一周に出る前、僕はひきこもりだった。
家とYouTube を行き来する生活。大学には行けなかった。 部屋の天井をただただ、ぼーっと見つめていた。
ずっと優等生の良い子ちゃんで生きてきた。
小学校5年生の時、「あなたの夢は何ですか?」という質問に書いた答えが「公務員」。
大学も自分の意志ではなく、先生や親の意志。
夢、希望、やりたいこと?何もなかった。というより、考えないようにしていた。
それを考えた瞬間、羞恥心と劣等感が自分を押し殺すから。すべてをシャットダウンし、必死で弱い自分を守った。
ひきこもって、約1年。365 日。
毎日が消化試合。 堕落した日々には、刺激もなければ変化もない。
死ぬまでに残された時間をただひたすらに消化していた。
重く、 突き刺さった母の一言
ある日、実家の母から電話があった。イヤな予感がした。
「なんか大学から書類が来てるんだけど…」
怒られると思った。きっと、単位のことだろう…。
「授業に出ないで、何してんの?なんのために高い学費払ってると思ってんの?」
しかし、聞こえてきたのは意外な一言だった。
「信じてるからね」
それだけ。でも、それ以上に重く突き刺さる言葉はなかった。
(もう、逃げるのは辞めよう)
僕の意志は、ようやく外に向き始めた。
100万円と300日かけて、世界を旅する
部屋を見渡すと、ふと本棚の隅の資料集が目に留まった。
それは高校の頃、穴が開くほど読み返した世界史の本だった。 狭い教室の中から見えていた、果てしなく広い世界。
その時、「世界一周」の4文字がリアルに頭の中に浮かんだ。
(もう、YouTube に映る世界に逃げてちゃダメだ)
その日から、僕の世界一周への挑戦が始まった。 100万円の貯金と失った単位を取り戻す日々だ。
大学を休学して、100万円以上かけて、300日もの時間をかけて、未知の世界を旅する。
初めての海外。
イメージがまったく湧かない。世界一周航空券のチェックインをするので、一苦労。
手荷物検査場では、ブー!ブー!音が鳴りまくる。旅が現実のものとして、僕の目の前に迫ってくる。
(本当に前へ進めるの?本当に言葉は通じるの?)
(本当にごはんは食べられるの?本当に宿に泊まれるの?)
(本当に生きて帰れるのか?)
その不安は、現実になった
1ヵ国目の香港に着いた時、不安は現実となった。
香港に降り立った瞬間、異国の香りがした。 人々の視線が気になる。歩いている人全員が敵に見える。
かれこれ 30 分、インフォメーション近くをウロウロしている。
「Where is the bus stop ?」
勇気を出して尋ねてみると、意外にも丁寧に教えてくれた。
そして、バスの中から移りゆく景色を眺めていると、 いよいよ冒険がスタートしたんだという実感が湧いてきた。
同時に襲ってくるのは、ものすごい孤独と不安感。
安宿が集まるビルに着く。おんぼろで、いかにも怪しい。
カオスな世界、旅に出てまでひきこもり
「コリア?ジャパニーズ?」
「チープホテル! HK$100!」
「ジャストルック!カモーン!」
客引きの嵐。黒人、インド人、白人、黄色人…。多国籍というよりは、無国籍という表現がぴったりだった。
カオスな世界。怖かった。 逃げるようにしてエレベーターへ乗り込んだ。
「Wait ! Wait ! Wait !」
扉が閉まる瞬間、大柄な黒人二人が飛び乗ってきた。 本気で殺されると思った。
でも、僕が日本から来たことを伝えると、 とてもステキな笑顔を見せてくれた。
やっとの思いで宿へたどり着いたものの、 恐怖のあまり、一歩も外へ出られなかった。
結局、旅に出てもひきこもり。
涙がポロリ…。
この先の旅が思いやられた。
「そんな予定調和な旅で、いいのかい?」
その後の1週間は宿と近くの食堂を行き来する日々。
(このままじゃいけない)。
思い切って、宿を変えてみる。
そこで、ある日本人のおじさんに出逢った。
おじさん「君、次はどこへ行くんだい?」
僕「世界一周をスタートしたばかりなので、 次はベトナムへ、それからラオス、タイへと抜ける予定です」
おじさん「君、中国 4000 年の歴史を見ずして、 世界一周したと言えるのかい? そんな、日本で決めてきた予定調和な旅でいいのかい?」
なんだか、悔しいって思った。
「そこまで言うなら、ルートを変えて中国インしてみます!」
旅に出る前、綿密に調べ上げたベトナムやタイと違って、 中国の情報など何一つない。 正直、不安で不安で仕方なかった。
でも、妙に興奮している自分がいるのも分かった。
(この後、どんなことが待ち受けているんだろう?)
(そして、自分はどうやって乗り越えていくんだろう?)
翌日、僕は宿を飛び出した。
世の中って、こんなにも刺激的なのか
そこからは、怒濤の展開だった。 さっそく中国行きのバスでバッグの盗難事件が起き、 唯一の外国人だった僕は、いきなり犯人に仕立てあげられた。
現地人「オマエが盗んだんだろ!」
僕「盗ってるわけないだろっ!ふざけんな!!」
捨て台詞を吐いて、バスを降りる。 そしたら、なぜか思わず笑ってしまった。
(この僕が、味方も誰もいない状態で「ふざけんな!」なんて)
どうやら、僕は旅の楽しさに気づき始めたようだ。 ジェットコースターのように変わる景色、世界のスピードに、心がようやく追いついてきた。
(世の中って、こんなにも刺激的なものなのか!)
旅の歩き方を変えた、少女との出会い
7ヵ国目、タイ。
たまたま縁あって、 2週間ほど日本語学校の授業の手伝いをすることに。
そこで、サーコワンという女の子に出会った。 僕が授業の準備でちょっぴり早く学校へ行くと、 彼女は決まって、一人黙々と日本語を勉強していた。
僕は彼女に話しかけてみた。
僕「なんでそんなに日本語を勉強するの?」
彼女「日本のことが大好きなの!日本に行くのが夢なの!」
僕「なーんだ!そんなことなら学校1週間くらい休んで、 さくっと行っちゃえばいいじゃん!」
過去の自分を初めて責めた
世界一周を満喫中の僕は、得意げに答えた。 すると、彼女の顔が一瞬で曇った。
彼女「旅行で行くことなんて、きっと一生できないと思う」
僕「なんで?」
彼女「…そんなお金は、私の家にはないわ」
彼女「だから私は日本語を勉強しているの。日本語ができれば、それを活かして日本で仕事ができる」
言葉に詰まった。浅はかすぎる自分の言葉に後悔した。
(自由に旅ができるのは、当たり前のことじゃない)
(彼女がこんなにも行きたい日本で、僕は大学にも行かずに、何をしていたんだろう?)