慰霊だけではありません・原爆死没者慰霊碑
丹下健三氏の設計による慰霊碑です。屋根の部分がはにわの家のような形をしているのは犠牲者の霊を雨露から守るためです。中央の石室には原爆で亡くなった人の名簿が納められています。
碑文は「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれており、平和への決意を表す碑でもあります。
慰霊碑から原爆ドームを見れば・平和の池と平和の灯
原爆死没者慰霊碑から原爆ドームへの一直線上に平和の池と平和の灯があります。やはり丹下健三氏の設計によるものです。
平和の灯の台座は手首をそろえて手のひらを空に向けて広げた形になっています。水を求めて苦しんだ被爆犠牲者を慰める気持ちが込められています。
この灯は点火されて以来燃え続け、反核悲願のシンボルになっています。
広島平和記念館と原爆ドームを結ぶ
photo by alice777
広島平和記念館を背にまっすぐ前を向いてください。原爆死没者慰霊碑を挟んで、原爆ドームが見えるのがおわかりでしょうか。これら三つは一直線につながっています。
そして、その線上に平和の池と平和の灯もまたあります。水を求めて苦しんでいった犠牲者の方のための平和の池が、人々の思いに灯をともした平和の灯が、そこにあります。
多くの子供たちが犠牲になりました・原爆の子の像
被爆から10年後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さん。その死を悼んだ全国の生徒達と世界9か国からの支援で、原爆で亡くなったすべての子どもたちのために建てられた像です。
建てられた当時は、塔の内部に湯川秀樹博士が寄贈した鐘と金色の折鶴がつるされて音が出るようになっていましたが、現在これらは広島平和記念資料館で展示されています。
中学生も工場で犠牲になりました・動員学徒慰霊塔
戦争末期には労働力が不足し中学生にも軍需工場などでの勤労奉仕が強制されるようになり、被爆当日も建物疎開作業や事業所で働いていた学徒が多数犠牲になりました。動員学徒の遺族による募金で建てられた塔です。
直視が難しい物もあります・平和記念資料館
広島平和記念資料館には被爆者の遺品や、当時の惨状の写真や資料を展示しています。被爆体験講話会が開かれることもあります。
まとめ
慰霊碑に折鶴のモニュメントが使われたり、たくさんの千羽鶴が慰霊碑に供えられているのを見ると、病気平癒を願ってお見舞いに使われた千羽鶴が、反核と平和を願うメッセージとして世界に発信されているように思いました。
外国でも鶴は折れるという方がいますが、その方々は単に日本文化というだけでなく、ノーモア・ヒロシマのメッセージとして折っているのかなぁ、と感じました。
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