一戸英理子さんは、ベンチャー企業のSEとしてキャリアをスタートされ、セブ島エンジニア留学の講師やフリーランスエンジニアなど、さまざまな働き方を経験されてきた「エンジニアのエキスパート」です。
今回はそんな一戸さんに、セブ島エンジニア留学で一戸さんの生徒であったTABIPPO.NET編集長・前田塁が、エンジニア留学やエンジニア学習についてうかがいました。
茨城大学工学部システム工学科卒。新卒時よりIT企業にてSEとして従事。30手前でニュージーランドへ渡り1年の海外生活を経た後、オーストラリア、セブ島とそのまま10年近く海外生活を続ける。NexSeedではエンジニア講師を努め、海外生活をしながら近隣外国へも旅をし続けている旅するエンジニア。現在は東京にてフリーランスエンジニアとして活動中。
Instagram:@eringogo17
1987年、大阪府生まれの三重県育ち。株式会社TABIPPOでWebメディア「TABIPPO.NET」の運用と開発が得意な編集長やってます。慶應義塾大学卒、ニューヨーク交換留学、大阪ガス、オプト勤務を経てTABIPPOを創業しました。
64ヶ国訪問、世界二周して、ワークライフカオスに生きてます。最近はWebメディアの仕事以外にも、コンサルやったり、ラジオのパーソナリティーしてますが、次の夢は宇宙飛行士です。
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ブログ:Work Life Chaos
「セブ島エンジニア留学」の講師になるまで
前田 塁(以下、前田):英理子先生、お久しぶりです!セブ島でのエンジニア留学ではお世話になりました。本日は、「未経験からの旅人エンジニアは実現できる?」というテーマで、エンジニア留学やエンジニア学習のお話を聞かせてください。
まず、一戸さんのご経歴を聞かせてください。
一戸 英理子さん(以下、一戸):最初は社員数30人ほどのベンチャー企業にSE(システムエンジニア)として就職しました。その会社での業務はプログラミングがメイン。もっと幅広い業務を経験したいと思い、もう少し小規模な会社に転職することにしました。
次に選んだのは、社員数5人の会社。ここでは希望通り、設計を十分に経験することができました。
その会社で5年ほど勤務した後、ニュージーランドのクライストチャーチへ語学留学に。3ヶ月ほど英語を学びました。
語学学校を卒業した後は、クライストチャーチで働きたかったんです。でも当時のクライストチャーチには意外と仕事がなくて、現地の人でも就職がままならないような状態。エンジニアの仕事が見つからなかったので、すっぱりと「仕事をしない」という選択をしました。
前田:なるほど、クライストチャーチではお仕事をされていなかったんですね。では、どうやって生活していたんですか?
一戸:お金はないけど、いろんなところを旅したい。そう考えて、ゲストハウスに無料で泊めてもらう代わりに、お掃除などの家事を担当していました。この方法なら、移動費さえ捻出すれば旅ができるので。とはいえ途中でお金が尽きて、Webサイト制作のバイトをしたこともあります。
前田:宿泊費が浮くのは大きいですよね!ニュージーランドの後は、どちらに行かれたんですか?
一戸:オーストラリアに向かいました。
といっても、オーストラリアで仕事を見つけていたわけではありません。 ニュージーランドの語学留学で出会った友人がシドニーにおり、「シドニーには仕事がたくさんあるよ、来てみたら?」と誘ってくれたんです。
「じゃあ行ってみよう、仕事がなければ日本に帰ればいいし」と考えて、とりあえず現地に行ってみました。
前田:フットワーク軽いですね!仕事は見つかったんですか?
一戸:現地在住の日本人の方がやっている会社で、エンジニアの仕事を見つけました。それと並行して、フリーランスとして、友人のビジネスのWeb改修を手掛けたりも。
前田:ここでフリーランスエンジニアとしてデビューですね。既に技術もあったわけですし、「なんとかなるだろう」と思っていたんですか?それとも、不安でしたか?
一戸:なんとかなるだろうと思っていた一方で、もちろんドキドキもありました。前職を辞めてから1年経っていましたから。
受けた仕事に着手してみると、今まで扱ったことのない技術が必要だったことも。でもやると言った以上、勉強してなんとか乗り切りました。
前田:僕と英理子先生はフィリピンのセブ島で出会いましたが、オーストラリアの後がセブ島ですか?
一戸:はい。オーストラリアで、セブにつながる出会いがありました。それは、ギークスキャンプ(※フィリピンで英語とプログラミングが学べる合宿形式のスクールのこと)の生徒募集。「おもしろそう!」と思い、説明会に応募したんです。
何もわからないまま応募したんですが、行ってみれば、なんと未経験の方向けの説明会だったようで。「やばい、場違いなところに来ちゃった!」と焦りました(笑)。
そこで人事の責任者の方に話しかけられて、「実は講師も募集してるんです。もしご興味があればいかがですか?」と誘ってもらいました。それをきっかけに講師として入社し、5年間講師としてセブ島に住んでいました。