こんにちは。転職トラベラー&世界一周評論家の増戸です。
今回は世界3周目の最中に訪れ、最も歴史を感じた場所であるスペインの通称「ハポン村」についてお伝えします。
ハポン村とは?
正式には村ではなく町で、都市名はコリア・デル・リオといいます。場所は、スペインで4番目に人口が多い都市であるアンダルシアの州都セビリアから南西へ直線距離にして約12kmの位置にあります。
ここは人口がわずか3万人の小さな町で、特に観光客が来るような有名な観光スポットがあるわけではありません。
また、ハポンとはスペイン語で日本のことを指します。この町にはなぜか約600人ものハポン(日本)姓を名乗る人がいると言われています。
なぜスペインの片田舎にハポンさんが何人もいるのか?
皆さんは支倉常長(はせくら つねなが)という人物のことを知っているでしょうか?
彼は初代仙台藩主である伊達政宗の家臣で、1613年に政宗の命を受け慶長遣欧使節を率いてスペイン国王やローマ法王の元へ派遣された人物です。
▲伊達武将隊の伊達政宗と支倉常長と一緒に撮った写真
1613年といえば日本では江戸幕府が成立したばかりの頃です。真偽は定かではありませんが、伊達政宗はまだ天下統一の夢を捨てずにいて、当時世界最大の植民地帝国だったスペインと組んで倒幕を狙うために支倉常長を派遣した、という説があります。(諸説あり)
この慶長遣欧使節のうち約10人が日本に戻らずに、スペインの片田舎にある小さな町に残ったと言われています。そしてその子孫がハポンという苗字を名乗りだし、今では約600人ものハポンさんがこの町に暮らしているそうです。
私は2016年11月にスタートした世界一周の途中の、2017年3月にこの町を訪れました。
なぜ歴史あるヨーロッパの国々で、ここが最も歴史を感じたのか?
なぜこの場所まで行ったかというと、以前テレビ番組でこのハポン村を紹介していた番組を見たことがあるのと、ここに先ほど書いた支倉常長の銅像があるからです。
私は仙台生まれ仙台育ちで、仙台には「支倉焼」という和菓子があったり、また慶長遣欧使節が出発した石巻には、使節の船だったサン・フアン・バウティスタ号を復元したものがあったりと、他の地域よりも支倉常長の知名度が高いと思います。
実際に町に着くと自分の他に観光客はいなく、ごく普通の小さな田舎町という感じでした。しかし、街を散策していると日本語で書かれた看板や、日本語が店名のお店を何軒か目にしました。
そして大河グアダルキビール川に沿ったカルロス・デ・メサ公園に立てられている支倉常長の銅像にたどり着きました。400年も前に、宮城県を出発した使節が乗った船がこの川を通ったのだと思うと、感慨深いものがあります。
私はスペインに来る前にヨーロッパを周遊していて、ローマ時代の遺跡や、中世の街並みがそのまま残っている場所などを何ヶ所も訪れていました。確かにこれらの場所でも歴史を感じることはありましたが、今回の方がずっと深く歴史を感じたように思います。
これは何故なのかと考えると、ローマ時代の遺跡やヨーロッパの歴史のことは子供の頃に歴史の授業で習ってはいますが、やはりどこか自分には関係ない遠い場所での出来事であり、他人事という意識があるからだと思います。
ハポン村は日本からかなり遠くにあるにも関わらず、日本人でしかも私の地元の宮城県の人達が直接関わっており、更に彼らの子孫が今も住んでいるので、“自分事”に近いからだと思いました。