ライター
ほっさ 株式会社サーキュレーション東海支社長

28歳の時に、新婚旅行で世界一周していました。 1年2ヶ月かけて約40ヶ国。 帰国した現在は、株式会社サーキュレーションという人材系ベンチャー企業で東海支社長をしています!世界一周でたっぷりと自分と向き合えたので、本当にやりたいことが見つかりました!^ ^

ヒンバ族の暮らしに迫る

ヒンバ族は、一族単位で村を形成しています。その村に住む人たちはみんな家族ということですね。牛の糞と土で塗り固められた家に住んでいます。

収入は、ヤギや牛などの家畜がメインだと言っていました。しかし、野生保護や観光による収入が最近は増えているそうです。

ちなみに、ヒンバ族は一夫多妻制。牛をたくさん持っている男性には、複数の奥さんがいると話していました。

ヒンバ族の歴史を振り返る

そんなヒンバ族は、どんな歴史をたどってきたのでしょうか?ヒンバ族はとても悲しい過去を背負っており、話は1904年まで遡ります。

1904年、ドイツ軍が南西アフリカ(ナミビア)に住む民族の大量殺りくを行い、9割の先住民が殺害されたと言われています。目的は、民族の消滅です。

ドイツが敗戦した第一次世界大戦以降は、南アフリカによる委任統治の期間が続きました。その間も南アフリカによる人種隔離政策がとられ、ヒンバ族は苦しい時代を過ごします。

 

1990年のナミビア独立まで、ヒンバ族はずっと苦しい時代を過ごしていたのです。

平和な日本で暮らす僕にとっては、大量殺りくも人種差別もあまりピンと来ませんが、想像するだけでゾッとします……。

伝統を守り続けるヒンバ族の魅力

photo by hossakuraworld

ヒンバ族はもともとヘレロ族と同一部族でした。ドイツの植民地時代にヨーロッパの文化を取り入れたのがヘレロ族、伝統的な暮らしを選んだのがヒンバ族です。

ちなみに、ヘレロ族はこんな感じでした。たしかにヨーロッパ感が漂っていますね!

パッと見た印象では、ヒンバ族とヘレロ族が同じ民族だったとは思えません。

ヒンバ族から学んだこと

僕は旅に出るまで、繊維商社で洋服を売る仕事をしていました。来年の流行を予測し、アパレルブランドのデザイナーさんに対して、来年流行りそうな生地やデザインを提案するといったお仕事です。

大量殺りくや人種差別など、多くの困難に出会っても、自分たちのスタイルを貫き続けているヒンバ族に出会い、そんな仕事をしていた自分に少し疑問がわいてしまいました。

 

流行を作る仕事をしてたけど、流行ってなんだろう?なんで流行を追いかけていたんだろう?って。

流行に振り回されて、身にまとうファッションが毎年コロコロ変わってしまう自分を少し恥ずかしく感じてしまったと同時に、彼女たちがまぶしく見えました。

世界が、流行がどう変わろうとも、自分たちの姿勢を貫く姿勢がすごくかっこよく感じました。伝統や歴史って、素敵ですね。

洋服を売っていた僕にとっては、なんだか考えさせられることが多かったナミビア旅。やっぱり旅はいろんなことを教えてくれますね。

旅してよかった。世界一周してよかった。

ライター
ほっさ 株式会社サーキュレーション東海支社長

28歳の時に、新婚旅行で世界一周していました。 1年2ヶ月かけて約40ヶ国。 帰国した現在は、株式会社サーキュレーションという人材系ベンチャー企業で東海支社長をしています!世界一周でたっぷりと自分と向き合えたので、本当にやりたいことが見つかりました!^ ^

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