真っ直ぐ突撃は無理です・菱の門
大手門を入るとあっちへ曲がったり、こっちへ曲がったり敵を翻弄するように作られていますが、この菱の門も二の丸の入口を守る要です。安土桃山時代の様式を残した城内で一番大きな門です。
壁や塀に小さい穴が並んでいます
塀に開けた小さい穴は鉄砲狭間や矢狭間といい、攻めてくる敵を待ち伏せてここから攻撃するためのものです。
自然の石をそのままの形で積んだ石垣
一見乱雑に見えますが野面積みという積み方でとても丈夫な石垣です。
千姫も住んでいました
大阪城が滅んだ時、豊臣秀頼の妻だった千姫は祖父徳川家康の手で救い出され、その後本多忠刻に再嫁します。本多家では悲劇の姫を思い、遣わされた化粧料10万石を使って千姫のための新しい御殿を作ったりして慰めました。
千姫が29歳の時に本多忠刻が亡くなり、姫は江戸に戻りますが姫路城での生活は束の間の幸せの時だったと伝えられています。
西の丸は千姫の住まいで、化粧櫓は休息所として好んで使った部屋だそうです。長局のたくさんの部屋にはお付きの侍女たちが住みました。
まとめ
城内には「播州皿屋敷」で有名なお菊井戸もあります。1枚、2枚・・・9枚、10枚目がなくて身を投げたと言われる井戸です。戦争はなくても悲劇の歴史はあったようですね。
❐【平家の栄華を伝える世界遺産】海に浮かぶ赤い鳥居が美しい厳島神社の魅力
❐【世界遺産登録へ!】明治日本の産業革命遺産 近代化を支えた長崎の歴史
❐縄文時代から存在する神秘の島、世界遺産屋久島の自然はこんなに凄い!