サン・ジミニャーノ歴史地区
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聖フランチェスコが通った道とされているフランチジェナ街道があることでサン・ジミニャーノは、ローマ巡礼をする旅人にとって重要な中継地となっていました。
中世封建時代、支配階級の人々は権威の誇示のために72におよぶ塔を住居として建て、それより美しい塔の街として知られるようになりました。現在は14の塔が残り、さらにルネサンス期の名画も多数保存された情緒溢れる街となっています。
チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群
紀元前9世紀から紀元前1世紀にかけて、イタリア半島に君臨していたエトルリア民族が文明を気づいた都市、それがチェルヴェテリです。ネクロポリと呼ばれる墓地群が遺跡となって残っており、古代ローマ帝国の基礎となった文明を築いたと言われています。また、タルキニアにある約200に及ぶ古墳に残る壁画も重要な文化遺産として保存されています。
クレスピ・ダッダ
産業革命期の19世紀から20世紀初頭にかけて、工場労働者と家族のために造られた村です。企業家クレスピによって、アッダ川のほとりに労働者の住居、学校、教会などが建設され、当時の労働者の理想郷のような環境が整えられました。現在も工場跡や建築物がそのまま残っており、住居には当時の労働者の子孫が住んでいるところもあります。
エトナ山
地中海の島の中で最も高く、さらに世界で最も活発とされている成層火山がエトナ山です。見た目は富士山のようで、その標高は3323m。50万年前から噴火活動を続けており、火山学や地球物理学の研究に影響を及ぼしています。一帯はエトナ公園となっており、標高2920mの噴火口区域まで観光客も行くことが出来ます。
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
メディチ家が所有していた12の別荘と2つの庭園は、トスカーナ州のあちこちに散らばっており、それらはまとめて構成遺産とされています。
14世紀から17世紀にかけてトスカーナ州で最も権力があったメディチ家は、芸術を擁護する立場として、造った建造物に積極的に様々な建築様式を取り入れ、それらの建築物は後のヨーロッパ文化に大きく影響を与えました。
ピエンツァ市街の歴史地区
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かつてのローマ法王ピウス2世によって、改造された彼の生まれ故郷がピエンツァです。ピウス2世の理想郷となるべく、建築物はルネサンス様式の外観、内部は南ドイツ風のゴシック様式がとりいれられ、美しい景観を生み出しています。
またピエンツァの歴史地区は、透視図法などが採用された街造りが実現された貴重な例とされています。
モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場
モデナの大聖堂は、12世紀に偉大な芸術家と評されるヴィリゲルモとランフランコ二人によって造られた、初期ロマネスク芸術の最高傑作の例です。
大聖堂の隣りに聳え立つ高さ88mの白大理石で出来た鐘楼、トッレ・チヴィカはロマネスク様式とゴシック様式を併せ持ち、「市民の塔」の意味を持つ名前の通り、旧市街の中心で街に華を添えています。
スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ
サルディーニャ島では、紀元前2000年前から青銅器時代の間に先住民族によって建てられた石造要塞が多数発見されています。
巨石を円筒状に積み上げられたこれらの石造要塞はヌラーゲと呼ばれ、独特の景観から不思議な雰囲気を漂わせています。バルーミニ村には15世紀頃から建てられたヌラーゲの集合体があり、先史時代の貴重な建築例として世界遺産に指定されました。
ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ
「聖なる山」を意味するサクリ・モンティは、16世紀から17世紀にかけて建てられた、北イタリアにある9箇所のキリスト教参拝地です。オスマントルコの脅威のためエルサレムに巡礼に行けない信者達のために、礼拝堂や聖堂が建てられました。
壮大な自然の中に立てられた宗教建築物は、周りの湖、丘、森林とも見事に調和しており、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
マントヴァとサッビオネータ
マントヴァは古代ローマ時代からの古い歴史を持ち、バロック期やルネサンス期を通して拡張されながら発展を遂げた街です。ドゥカーレ宮殿、サンタンドレア大聖堂、そして11世紀に建てられたサン・ロレンツォのロトンダが見所です。
サッビオネータはゴンザガ公によって建設された「理想の街」で、星型の城壁の中に古代劇場を初めとする美しい記念建造物が並んでいます。