今回は、JICA海外協力隊としてグアテマラに派遣された経験を持つ広瀬太智さんと、エシカルファッションプランナーとして活動している鎌田安里紗さんによる対談。

協力隊としてどんな活動をして、何を学んで、それをどう次のステップに繋げているのか。「旅」から一歩踏み込んだ、海外体験の魅力や醍醐味を語っていただきました。

鎌田安里紗 / エシカルファッションプランナー
衣服の生産から廃棄の過程で、自然環境や社会への影響を意識する”エシカルファッション”に関する情報発信を積極的に行い、ファッションブランドとのコラボレーションでの製品企画、衣服の生産地を訪ねるスタディ・ツアーの企画などを行っている。暮らしのちいさな実験室Little Life Labを主宰。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程なども務める。
広瀬太智 / JICA 海外協力隊経験者
横浜国立大学を卒業後、JICA海外協力隊の小学校教育の職種で、グアテマラに派遣。帰国後は小学校教員として働き、その後、認定NPO法人「フリー・ザ・チルドレン・ジャパン」の職員になる。

JICA海外協力隊について


Photo by 長沼茂希

今日はよろしくお願いします。広瀬さんは、グアテマラにJICA海外協力隊の小学校教育の職種で派遣されたんですよね。

鎌田

広瀬

よろしくお願いします。そうです、2016年から2年間活動していました。
そもそもJICA海外協力隊とはどんな事業なのですか?

鎌田

広瀬

1ヶ月から参加できる短期派遣制度もありますが、原則2年間、開発途上国に行って、自分が持っている技術・知識や経験を生かして、現地のニーズに合わせた活動を行います。僕は小学校教育の職種でしたが、同じ教育でも幼児教育や中学高校の数学などの分野を担当する人もいます。スポーツ分野や、栄養士、美容師など、本当にさまざまな職種があるんですよ。
なるほど。

鎌田

広瀬

それぞれの国から「こんな人を派遣して欲しいです」と要請があるのですが、求められるものがそれぞれ異なります。なかには、専門の資格を持っていない人でも応募できる案件もあります。例えば、僕は中学・高校の社会科の教員免許を大学でとりましたが、小学校教育の経験はありませんでした。


Photo by 長沼茂希

JICA海外協力隊に参加したきっかけ​

大学卒業後すぐに協力隊に参加されたそうですが、もともと海外や国際協力に興味があったのですか?

鎌田

広瀬

はい。大学の時に、ある教授に出会ったことがきっかけです。JICA海外協力隊の経歴をお持ちで、パラグアイの農村開発などを研究されていました。ゼミを決めるために説明を聞きに行ったら、すごく面白くて。「国際協力って何するんですか?」と聞いたら、「何だと思う?」と逆に質問されて(笑)
あはは!何と答えたんですか?

鎌田

広瀬

その頃、大学生が開発途上国に小学校を建設しようとする映画『僕たちは世界を変えることができない。』が話題になっている時期だったので、「学校建設ですかね?」と半ば冗談で言ったら、「いいね!やりましょうよ!」と言われて(笑)
素敵な教授ですね!

鎌田

広瀬

その教授のゼミに入ってから、フィールドワークのため、パラグアイに2回行きました。本当に学校建設ができるのか、現地のニーズを調査し、議論を重ねました。最終的には、残念ながら「学校建設はしない」という判断を下すことになったのですが、貴重な経験でしたね。
そうした経験から、JICA海外協力隊という存在を知り、大学卒業後の選択肢にも入ってきたわけですね。

鎌田


Photo by 長沼茂希

広瀬

そうですね。鎌田さんも海外によく行かれるそうですが、どんなきっかけがありましたか?

私は高校生の時に、渋谷のアパレルショップで働いていたんです。雑誌モデルのお仕事をしていたこともあり、とにかく服が好きで。

でも、自分が売っている服や着ている服がどういう風に作られているのか、全く知らないなと思ったんです。それで海外の生産現場を見にいくようになったら、すごく面白くて。ネパールやバングラデシュの工場に寝泊りさせてもらったこともありますよ(笑)

鎌田

広瀬

バイタリティがすごいなぁ。


Photo by 長沼茂希

JICA海外協力隊での活動​

ここからは、広瀬さんの協力隊時代のお話を伺っていきたいのですが、どんな活動をされていましたか?

鎌田

広瀬

僕は教育事務所、日本で言うと、市の教育委員会のような部署に配属されました。小学校の算数教育における質の向上と、JICAの協力で作成された国定教科書の普及がミッションです。学校を訪問して、教員向け研修や勉強会を開いたり、教師用指導書の使い方や板書の仕方を教えたりしました。
結構やることが多いですね。

鎌田

広瀬

配属先によるとは思いますが、僕の配属先は、仕事に関しては本当に自由でした。ある程度の要望はあるものの、具体的にどう計画を立てるかは、自分の裁量で決めていました。
新卒でグアテマラの小学校の先生ということですよね。不安はありませんでしたか?

鎌田

広瀬

もちろんありましたよ。僕に何が伝えられるだろうと悩んだこともありましたが、活動しているうちに、教師としての経験はなくとも、生徒として高校まで日本の教育を受けてきた自分の経験から伝えられることもあるということが分かってきました。


Photo by 広瀬太智

例えば?

鎌田

広瀬

日本だと、黒板の使い方は基本的に左から右へ使いますよね。でも、グアテマラだとそれが「当たり前」ではない。黒板のど真ん中にスペイン語で「算数」と書いてから授業を始めたり、あちこちに書いてまとまりがなかったり。
ライブ感はありますね(笑)

鎌田

広瀬

でも、それだと子どもにはノートに残しづらいし、授業が終わった後で内容の振り返りをすることも難しい。
日本では板書を写したノートを見返すだけで復習になります。さらにそれが、全国各地どこでも行われていて、同じ学年だったら基本的に同じ内容を教わっているというのはすごいことなんです。
え、グアテマラは違うんですか?

鎌田

広瀬

ばらばらです。学校によって教えていることが違うこともあります。
今までJICA海外協力隊はすごく特殊な活動をしているイメージでした。

鎌田

広瀬

もちろん職種によっては特殊な技術が必要になるのですが、日本人が行くだけでも、現地では新しい風が吹くと思います。
逆に言うと、全く違う環境に行くことによって、自分の当たり前を見直すというか、価値を再確認するというか。そういう時間でもありますね。

鎌田

広瀬

そうですね、それが一番の収穫かもしれないです。グアテマラですごく感じたのは、グアテマラの人々は人とのつながりを大切にしているということ。

グアテマラで2年間活動して得た「人とのつながり」の大切さ


Photo by 広瀬太智

広瀬

例えば、道を歩いているだけでも、誰かが声をかけてくれて挨拶をするというコミュニケーションが頻繁にあります。僕も街に知り合いがいっぱいできて、自分から挨拶するようになりました。家からオフィスまで徒歩10分ぐらいなんですが、気づいたら何十人という人と挨拶しているんです。
元気でる!

鎌田

広瀬

そう、それが嬉しくて。自分の存在意義を感じたし、皆に認められている感じがしました。
そんな温かい人に囲まれた生活を送っていて、帰国されてから「逆カルチャーショック」はなかったですか?

鎌田

広瀬

ありました。例えば、日本の電車の乗客はみんなスマホをいじっていて、誰も話さなくて静か。それがすごく不気味に感じました。グアテマラだと、路線バスの車内にはスピーカーがあって音楽が流れているし、知らない人同士でも喋っていましたから。
2年間も住んでいると、感じ方も違いますよね。私も海外には行っている方だと思いますが、最長滞在期間は2週間ぐらいなので、全然違う体験なのだろうなと思います。

鎌田


Photo by 長沼茂希

広瀬

旅をしていても、もちろん出会いはあるし、ある程度現地の人とのコミュニケーションはとることができると思います。ただ、2年間現地に住んで活動するJICA海外協力隊という立場だと、コミュニティの一員として迎えてくれる瞬間があるんですよ。誕生日のパーティーに招かれたり、お祭りの準備を一緒にしたり。
その感覚、分かるかも。ネパールに行った時に、泊まっていた家の人は、まず朝起きたら、玄関に水で花の絵を描いて、お香をたくんですね。現地の人の生活を垣間見れて、面白い経験だったなと思いました。

鎌田

広瀬

バックパッカーとしてグアテマラを旅することもできたと思います。でも、振り返ってみると、2年間住んで、活動したからこそ見えてきたものがあったし、より深い経験ができたと思っています。

活動中の印象的な出来事​

任期中に一番印象に残っていることは?

鎌田

広瀬

グアテマラに赴任して半年ほど経ったときのことです。モデル校5校を選出して、それぞれの学校の先生たちに、僕が各学校を訪れる週1日だけ、板書計画を提出してくださいとお願いしていました。ほとんどの先生は提出してくれましたが、ある1校だけ、非協力的な学校がありました。
提出してくれなかったんだ。

鎌田

広瀬

僕もだんだんその学校に行くのが憂鬱になってきて、気づかないうちに厳しい態度になってしまっていたようで。現場の先生たちの不満を見聞きしていた校長先生が、一度先生たちと僕が話し合う場を設けてくれました。

僕は大学の恩師からも言われていたように、言葉の使い方には十分気をつけていて、そこだけは自信を持っていました。「ダメだ」という言葉は絶対使わず、まず良いポイントを伝えてから改善点を伝えていたつもりでした。

なのに、現場の先生たちの声を改めて聞くと、僕は「ダメだ」とばかり言っているという。単語としてはダメという言葉は使っていなかったけれど、雰囲気や口調で伝わってしまっていたんですね。相手の立場に立っているつもりで、傲慢な態度で接していた。そのことに気づかされました。

なるほど。

鎌田

広瀬

この気持ちを現場の先生に全部話そうと思って、最初に「ごめんなさい」と言った時に涙があふれてきて。小学校教員未経験の僕はどこかで怖さがあり、経験者の皆さんに押し付けがましいことを言ってしまった。本当にごめんなさい、と思いを洗いざらいお話しました。そうしたらみんな理解してくれて。それ以来、一番の協力校となりました。
そういう経験があると自信になるし、そのあとの人生にも生かせそうですね。

鎌田

広瀬

そうですね。協力関係を築くには、建前だけの上っ面だけで接していたらいけない。自分の中に少しでも傲慢な気持ちがあったら、異文化理解、他者理解はできないんだと思い知りました。

JICA海外協力隊を経て、今挑戦していること


Photo by 長沼茂希

帰国されてからは小学校の教員を約2年されて、今はNPO法人の「フリー・ザ・チルドレン・ジャパン」に転職されたんですよね。そのきっかけを教えてください。

鎌田

広瀬

国際協力のキャリアに進みたかったというのが一番の理由です。

帰国後、教師をしていたとき、協力隊での体験を子どもたちに還元したいと思って、授業中に自分の経験を話すように心がけていました。そこでふと、自分はこの話をしているときが、一番ワクワクして、楽しいと感じるなと思って。国際協力に関わることをしているときに、すごく自分の心がときめく。だからもっとそこに時間を使いたいと思い始めました。

どうですか、今。

鎌田

広瀬

本当に楽しいです。全国の小学生から大学生までを対象に出前授業を行っているのですが、将来の夢がなかった中学高校時代の自分を思い起こすと、もっと早くJICA海外協力隊経験者の話を聞きたかった、もっと早くJICA海外協力隊に出会いたかったと思います。

過去の自分のように、夢がなくて不安だと思っている子どもたちには「君たちにも必ずできることがある」ということをいつも伝えています。そこにやりがいを感じています。

5年後か10年後ぐらいに「昔、学校に来たあの人の話、面白かったな」と思い出す子どもがいるでしょうね。

鎌田


Photo by 広瀬太智

広瀬さんは今、夢がありますか?

鎌田

広瀬

自分の学校をつくりたいと思っています。
すごい!
「学校建設」と教授に言った夢に戻ってきたんですね。

鎌田

広瀬

そうですね。新型コロナウィルス感染症の拡大でオンライン授業が珍しくなくなった今、わざわざ学校にいく意味はなんだろうと思った時に、勉強ももちろん大事ですが、やっぱり他者理解なんですね。学校に集う他者(先生や友達)と一緒に生きて、互いを受け止めて。時にはみんなで意見を出し合って、より良いものを作ったり、合意形成を図ったり。そういうことは、学校でしかできないと思うのです。
何だかJICA海外協力隊の活動にも通ずるものがあるような。

鎌田

広瀬

まさに。だからこそ僕は、JICA海外協力隊の経験を生かしながら、これからもっと国際協力の知見を蓄えて、夢を実現させたいと思っています。


Photo by 広瀬太智

協力隊としての経験があったからこそ、見つけることができた素敵な夢ですね! …でも、実は私は、夢や目標があるタイプではないんですね。その瞬間瞬間でやりたいことや面白いなと思うことはあるけれど、大きな夢があるわけではない。私のようなタイプの人でも、JICA海外協力隊に参加できますか?

鎌田

広瀬

もちろんです!学校を建てたいというのは昨年から掲げている夢なのですが、僕自身も、夢がないことがずっとコンプレックスでした。でも、大学で教授と出会い、JICA海外協力隊として活動する中で、自分がときめくものを見つけることができました。夢というより、何か自分がときめくもの。それを知ることが一番大切なことだと思います。
それなら分かるかも。私も、自分の心が今何に反応しているのかを常にキャッチしようと大切に思っています。夢を持つこと=「ビジョンを掲げて、それに向かって行動する」というイメージがあるけれど、ときめきを大切にするスタイルでもいいんですね。

鎌田

広瀬

はい。ぜひときめきを知る一つのきっかけとして、JICA海外協力隊という選択肢があることを知ってほしいです。

編集後記

大学時代の恩師との出会いから、新卒でJICA海外協力隊に参加するという道を選んだ広瀬さん。対談を聞きながら、現地で滞在しながら活動していたグアテマラでの2年間は、彼の人生にとってかけがえのない、そしてときめきあふれる、まさにオンリーワンの海外体験だったのだろうなと思います。

この記事を読んで、ほかのJICA海外協力隊の活動も知りたいと思った人は、ぜひ、下記のリンクから公式サイトを見てみてくださいね。

JICA海外協力隊 公式サイトへ

ライター
五月女 菜穂 ライター/株式会社kimama代表取締役

1988年、東京都生まれ。横浜市在住。1児の母。 大学卒業後、朝日新聞社に入社。新聞記者として幅広く取材経験を積む。2016年に独立し、ウェブや紙問わず、取材・執筆・編集・撮影を行う。22年4月、合同会社アットワールドを起業し、旅好きのフリーランスが集まるコミュニティ「@world」を運営。23年5月、編集プロダクションの株式会社kimamaを創業。世界一周経験者で、渡航歴は45カ国超。

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