ラダックを訪れたきっかけは、学生の時にテレビ番組で観た「世界秘境大全集傑作選 ヒマラヤ天空の秘境 ラダック」。そこには今まで見たこともない壮大な風景と人々の暮らしがありました。標高3500mを超え、冬には-20度や-30度にもなる厳しい土地で生きる人々。
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれたラダックの土地は極度に乾燥し、冬季は積雪で村の外に出るのが極めて難しい地域もあります。
こんな美しくも厳しい環境で人々は、どんな暮らしをしているのか気になりませんか?3ヵ月間ホームステイで働きながら滞在してきたので簡単にお伝えさせてください。
ラダックってどんな場所?
ラダックに着いた瞬間、その風景に驚かされました。日本では見たこともない壮大な山々と青く広い空、その青色とは対照的に極度に乾燥した茶色の土地。乾燥した岩山が延々と連なる光景はまるで山砂漠です。
しかし、その中にも氷河から溶けでてきた水が流れる川があり、その恵みを受けた流域のみ緑が広がり人々の暮らしがあります。そんな景色に馴染むように建てられた伝統的な建物とゴンパ(僧院)の数々。
photo by Tomoya Yamauchi
ラダックはインドの最北部にある乾燥した山岳地帯で、平均標高は3500メートルもあります。雨雲は巨大なヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に遮られ、この地まで届く雨の恵みはわずか。
年間降水量はたったの80ミリ程度で、ほとんど雨は降りません。ちなみに日本の年間平均降水量は1800ミリなので、その差は歴然です。標高が高く日差しが強いこともあり、夏は気温が30度くらいまで上がりますが、逆に冬はマイナス30度まで下がることもあります。
ちなみにラダックと呼ばれる地域はこちら。私のホームステイしたリッキル村(Likir)は赤点の場所にあります。
天空の秘境ラダックを訪れる方法は、主に3つあります。
1つ目はデリーからレーまで飛行機を利用する方法。レーはラダックで一番大きな町です。
2つ目はマナリとレーを陸路で結ぶマナリ・レー・ハイウェイ。マナリから標高4000m級の峠を越えて行き、最後に標高5328mの峠を越えレーに辿り着きます。
3つ目は私が利用したカシミール側からラダックに行く方法です。カシミールのソナマルグ(Sonamarg)とカーギル(Kargil)を結ぶ、標高3500mと4100m程の峠を越えて行きます。
photo by Tomoya Yamauchi
飛行機を利用すると通年ラダックに行けるのですが、他2つの道路は12月から5月まで積雪のため峠道が閉ざされ、陸の孤島のようになります。
パキスタンと中国に挟まれ未だにはっきりとした国境線が決まっていない地域もあり、外国人が立ち入ることはできないエリアが今でも存在します。そんな状況でもあるので、インド軍の基地が至る所にあり重要な軍事拠点にもなっています。
どんな暮らしをしているんだろう? リッキル村の様子
photo by Tomoya Yamauchi
リッキル村は、首都のレーから西に50kmほど西に位置する小さな村です。村の標高は3650m。11世紀に創建されたリッキルゴンパ(僧院)と、高さ20mある黄金の仏像が村のシンボルです。僧院は18世紀の半ばに火事があり、大部分が焼失されたので再建されました。
リッキル僧院には、100人ぐらいのお坊さんと30人程の小坊主さんが滞在しています。僧院があることから想像できる通り、人々の生活はチベット仏教と共にあります。
村の至る所に仏塔があり、五色の祈祷旗がたなびいており、日々修行に励むお坊さん達は人々から尊敬される存在です。
学校も僧院の中にあり、子どもたちが元気に勉強しています。レストランと日用品が買えるお店は、僧院の1軒ずつ。リッキルからレーまでは1日1便早朝にバスがあるだけの田舎です。そんな村からはヒマラヤの山々がきれいに見えます。
photo by Tomoya Yamauchi
リッキル村は車も数台しかないような田舎の村なので、空気がおいしい。とても静かで羊、山羊、牛が鳴く声が「モォ~、メェ~」と聞こえて、とてものどかな雰囲気。一番うるさいなと思うことが、村人Aが離れた場所で農作業している村人Bに、叫ぶように話している声……というほどのんびりしています。
リッキルに滞在して本当にいいなあと思ったのは、そんなのんびりした景色ももちろんですが、人々が自然と共生し環境に良い昔ながらの暮らし方をしていること。
厳しい環境のなか、自分たちの周りにあるもので自給自足に近い生活をしていることです。
人糞は肥料に牛糞は燃料に 昔ながらのラダック式農業
photo by Tomoya Yamauchi
厳しい冬が終わり、5月初旬の頃でした。村ではヤクと牛の混血種であるゾーと共に畑を耕し、種まきが始まります。ここでは一緒に大麦とマスタードの種をまきました。
ゾーが耕した後にできた溝に種をまいて、T字型の棒で土をならしながら埋めていきます。これ見た目は簡単そうですが、やってみるとかなり体力が必要です。ですがみなさん歌いながら楽しそうに作業してます。
家の目の前にある私たちの畑でも準備が始まりました。まずは畑を小さな部屋に分けていきます。すると以下の写真のようになります。そして部屋ごとに異なる野菜を育てます。
photo by Tomoya Yamauchi
村中には、上流から張り巡らされた灌漑ルートがありました。畑に水が必要な時は、この供給ルートから細かく分けた部屋に水を流し込み、洪水させるよう水やりをします。部屋を洪水させると、その入り口に土をかぶせてブロックし、次の部屋に水を流し入れるという作業を繰り返し。
きっと極度に乾燥した土地ならではのやり方で、水をしっかり土地にしみ込ませるためだと思います。
この水は氷河が溶け出してできた水です。上流に川の流れを変える場所があり、そこの水門を開いたり閉じたりすることで水の供給ルートを変えることができます。一度に全村人が水を使用することはできず、畑の位置によって順番とグループがあります。
村に長く滞在していると、村人同士で順番をめぐって小さな喧嘩があったり、夜中にこっそり水路のルートを変えちゃったり、なんてこともありました。それを防ぐために、「今日は友人と一緒に水門の見張りに行ってくる」なんて日も。
photo by Tomoya Yamauchi
家族で農作業するときは、チャイ(ミルクティー)や食べ物を準備してきて、みんなでピクニックです。こうやって一緒に過ごしていると、家族っていいなあと思います。こうやって昔々から先祖代々同じ土地で農業をしてきたんだろうなあ。
ここで植えた作物はキャベツ、カリフラワー、ジャガイモ、タマネギ、カブ、ニンジン、豆、ホウレンソウなどの野菜でした。思ったより様々な種類を栽培することができるようでびっくりしました。
6月半ば頃になると、土色だった畑が美しい緑に変わります。私が去って数か月後、収穫できた野菜の写真を送ってくれたのですが、にんじんやじゃがいもが大きなサックにたくさん。私も手伝ったぶんだけ嬉しかったです。今度は収穫の時期にも滞在してみたいなあ。
photo by Tomoya Yamauchi
また私たちにはもう2匹、大切な家族がいました。 牛や家畜は昔ながらのラダックでの生活にとって必要不可欠な存在。毎日早朝と夕方に乳しぼりをして、ミルクをいただきます。そのまま飲むだけじゃなくバターを作ったりヨーグルトやチーズを作ったり。
それだけでなく、牛の糞は乾燥させて料理するときのかまどの燃料にして使います。カッチカチになるまで乾燥させた牛の糞がどこの屋根にも積んであります。もし残飯が出ても牛が残さず食べてくれるので無駄になりません。
牛の糞は燃料として使用し肥料として使わないので、その代わりに人糞が畑のために主な肥料となります。トイレは大きな穴が開いたぼっとん便所式コンポストトイレで、毎回糞尿をした後に上から砂をかけます。
photo by Tomoya Yamauchi
乾燥しているので匂いはあまり気になりませんし、簡単に肥料になります。こんな風に昔ながらの生活はゴミが出ない生活で、循環型のすごく環境に優しいライフスタイルです。
このようにラダックの人々は農業と牧畜を営みながら、ほぼ自給自足で暮らしているんです。