ライター
西嶋 結 ライター・編集者

出版社出身のライター・編集者。本の仕事をしています。これまで訪れた国は70か国ほどで、自分を驚かせてくれる街や国が好みです。有給休暇をフル活用して弾丸旅に繰り出すべく、筋トレに励んでいます。

アタカマ砂漠マラソン、イカ砂漠マラソン、ゴビ砂漠マラソン、サハラ砂漠マラソンを走破し、2018年末には南極マラソンにて250kmを走りぬいたMaSaToさん。移動する学校「世界一周学校」の取り組みでも有名な旅人です。

今回は、TABIPPO.NET編集長・前田塁との対談という形で、MaSaToさんのドMっぷりや旅に出たきっかけ、夢が見つからない人に伝えたいことなどをお聞きしました。

MaSaToさん

こんにちは!世界一周学校の校長MaSaToです! 2年半の世界一周、100カ国の旅を終え帰って来ました。 世界を旅する時、人それぞれ目的やテーマを描いていると思います。 その中で僕が描いたテーマは「世界一周ドMチャレンジ」。世界で自分の限界を超えて、人生の可能性を広げていく旅をしたい!そこから僕は「世界一過酷なサハラマラソン」を走ったり、「10日間言葉を発してはいけない瞑想」をしたり、自分にとって「未知の世界」へチャレンジし続けました。 ドMだからこそ、得られる感動や快感をお伝えできたらと思います(笑)当日は、世界の絶景を超える感動を、攻略本にない冒険を、自分だけができる世界一周を一緒に創造できたら嬉しいです。

 

前田塁

1987年、大阪府生まれの三重県育ち。株式会社TABIPPOでWebメディア「TABIPPO.NET」の運用と開発が得意な編集長やってます。慶應義塾大学卒、ニューヨーク交換留学、大阪ガス、オプト勤務を経てTABIPPOを創業しました。

52ヶ国訪問、世界二周して、ワークライフカオスに生きてます。最近はWebメディアの仕事以外にも、コンサルやったり、ラジオのパーソナリティーしてますが、次の夢は宇宙飛行士です。

Twitter:@NY_ruisu
ブログ:Work Life Chaos

 

自分の限界を広げると、限界が限界じゃなくなる

前田 塁(以下、前田):旅のテーマ「世界一周ドMチャレンジ」が印象的なMaSaToさん。とっておきのドMエピソードを教えてください!

MaSaToさん(以下、MaSaTo):そうですね。サハラ砂漠マラソンは、自分の食糧などが入った荷物を背負って約230kmを走らなければなりません。だから誰しもが、少しでも荷物を軽くしようとあれこれ手を尽くしていました。

前田:荷物が重ければ重いほど体力を消耗しますから、当然のことですよね。何キロくらいの荷物なんですか?

MaSaTo:10キロくらいですね。歯ブラシは先端だけ、食糧もパッケージから出して持って行くなど、みなさん工夫されていました。

一方、僕の荷物は15キロ。15キロまでは背負いながら走れたので、じゃあ15キロ持って行こうと(笑)。

前田:全然意味がわからない(笑)。

MaSaTo:しかもサハラ砂漠マラソンの1週間後に寄ったドイツで、その日にフルマラソンが開催されることを知ったんです。じゃあ、と参加しました。

前田:(笑)。サハラ砂漠マラソンで250キロ走った後ですよね?

MaSaTo:そうです。でもドイツのマラソンでは、スタート地点に立ったとき、「もうすぐゴールだ!」と思ったんです。200km以上を走ったサハラ砂漠マラソンに比べると、その距離は4分の1ほど。そう思うと気が楽で。

自分が決めつけていた‟限界“を広げていくと、今まで大変だったことも大変じゃなくなるということを学びました。

 

 

死んでるみたいな自分を変えたくて、旅に出た

前田:そもそも、MaSaToさんが旅に出たきっかけはなんだったんですか?

MaSaTo:きっかけは、サッカーだったんです。高校生になるまで、プロをめざしてサッカーに打ち込んでいました。でも高校生になったとき、サッカー部には入部しなかったんですよね。

前田:なぜですか?

MaSaTo:「勉強したほうがいいかな」とか、「友だちと遊ぶほうが楽しいよね」って思ってしまって。

実際に勉強を頑張って、いい成績を取っていました。けれど大学進学を考えはじめたとき、どこの大学・学部を選ぶべきなのかさっぱり見当がつかなかったんです。「難関大学をめざせばいいのかな」「とりあえず経営学部や経済学部かな」などと考えるうち、「本当に自分がやりたいことってなんだろう」と悩みはじめました。

そして考え抜いた結果、自分が本当にやりたかったのはサッカーだったんだと気づいて呆然としました。その日から、なぜサッカーを続けなかったんだろうと後悔し、泣き続ける日々。その後悔から、東洋大学のスポーツ学科に進学しました。

前田:リベンジすることにしたんですね。

MaSaTo:だけど、今さらプロをめざせるわけではなくて。結局、大学でもサッカー部には入りませんでした。

楽しい学生生活を送ることはできましたが、進学の次は就職が待っています。大企業に入って結婚して子どもを持って……と考えたとき、「この人生、自分じゃなくていいんじゃない?」「死んでるような状態だな」と気づかされました。

そこで、とことん将来について考え抜きました。自分がやりたいことを紙に書き出すと、世界を見たい、留学したい、世界中に友だちをつくりたいといった言葉が並びました。そして20歳のとき、フィジーへの留学を決めたんです。

前田:フィジー留学ですか!当時はまだまだ珍しかったのでは?

MaSaTo:そうなんです。でも、メジャーな国はなんとなく想像がつくし、つまらないかなと思ってしまって。留学できる国の中で、自分にとって一番未知の国だったのがフィジーだったんです。

ライター
西嶋 結 ライター・編集者

出版社出身のライター・編集者。本の仕事をしています。これまで訪れた国は70か国ほどで、自分を驚かせてくれる街や国が好みです。有給休暇をフル活用して弾丸旅に繰り出すべく、筋トレに励んでいます。

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