日本にとって2019年は元号が変わった歴史的な年として記憶されることでしょう。一方、世界に目を向けてみますと、国名や首都名が変わったところがあります。元号の変更よりも大きな変化ですよね。
今回はここ数年で変わった国名や首都名を取り上げます。
隣国ギリシャと国名でもめた北マケドニア共和国
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最初に紹介するのは、バルカン半島にある北マケドニア共和国です。北マケドニア共和国という国名になったのは2019年2月のこと。変更前は「マケドニア共和国」を名乗っていましたが、日本は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という国名で国家承認をしていました。
複雑な国名の背景には隣国ギリシャとの「マケドニア呼称問題」が挙げられます。北マケドニアは1991年に旧ユーゴスラビアから独立。独立時に国名を「マケドニア共和国」に、国旗は古代マケドニア王朝のシンボルである「ヴェルギナの星」を採用しました。
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ところが、この動きに不満を示したのがギリシャです。ギリシャが反発した理由は2つ挙げられます。1点目はギリシャにも「マケドニア」と呼ばれる地域が含まれていることです。ギリシャからすると国内のマケドニア地方への「マケドニア共和国」からの干渉を恐れたのでしょう。
2点目は、北マケドニア共和国に住んでいるマケドニア人がスラヴ民族であることです。「マケドニア」と聞くと、アレクサンダー大王をイメージするでしょう。アレクサンダー大王はスラヴ民族ではなくギリシャ系です。
スラヴ民族がバルカン半島に移住したのは中世の頃。ギリシャからすると現在のマケドニア人は「よそ者でアレクサンダー大王とは関係のない存在」という認識です。
したがって、ギリシャは「マケドニア」という国名や「ヴェルギナの星」を採用した国旗を認めませんでした。そのため「マケドニア共和国」は国際呼称として暫定的に「旧ユーゴスラビアマケドニア共和国」を用いることに。国旗も変更を余儀なくされました。
それでも「スッキリ解決」とはならず、両国間の懸案事項となっていました。2018年、両国は「マケドニア共和国」を北マケドニア共和国に変更することで合意。2019年に正式に国名が変更され「マケドニア呼称問題」に終止符が打たれました。
ちなみに「北」がつく国名としては北キプロス・トルコ共和国(未承認国家)が挙げられます。しかも北マケドニア共和国から近いです。
カザフスタンの首都がヌルスルタンに
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突然ですが、もしニュースで「東京の名前が変わります」と報じられたらどう思いますか。最初は「ドッキリかな」と思うかもしれませんね。そんな「ドッキリ」を本当にやった国が中央アジアにあるカザフスタン共和国です。
カザフスタンは1991年にソビエト連邦から独立。当初の首都は南部のアルマトイ(アルマ・アタ)でしたが、1997年に故黒川紀章氏が設計したアスタナに遷都しました。そして2019年3月に、アスタナがヌルスルタンに変わりました。
ヌルスルタンの由来は、初代カザフスタン共和国大統領のヌルスルタン=ナザルバエフ氏です。そうです「ヌルスルタン」は初代大統領の名前です。
ナザルバエフ氏はソビエト時代から30年にわたってカザフスタンの指導者を務め、同国だけでなく中央アジア諸国のリーダーとして君臨しました。2019年に入り、突然の辞任を発表。その後、ナザルバエフ氏の功績を称えるために首都名が「ヌルスルタン」に変更されることが決まりました。
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日本の外務省によりますと、トカヘフ大統領が首都名に関する大統領令に署名したのは3月23日のこと。私は4月下旬にモスクワ・シェレメチェボ国際空港を利用した際は、電光掲示板の表記が「ヌルスルタン」になっていました。「アスタナ」が記されたEチケットを持っていた人はどうなったのでしょうか。
なおカザフスタンの航空会社「エア・アスタナ」の会社名は変わっていません。少し複雑ですが、カザフスタンを訪れる際にはご注意を。