「旅に出ると、価値観が良い意味で崩れる。」
これは、旅を重ねる人なら誰もが一度は感じたことのある感覚ではないでしょうか。
私自身、これまでの旅で思い通りにいかないことの連続を経験し、あえてマイルールや過度な期待を持たないようにしてきました。
しかし、ある旅をきっかけに、「この姿勢だけは手放してはいけない」と思えるひとつのマイルールが生まれたのです。
見出し
旅の始まりは、緊急手術から
2023年の夏。
「いよいよ明日から2週間のベトナム旅行!」と荷造りもほとんど終え、最終日の仕事へ向かう準備をしていたころ。早朝からどんどん増していく腹痛に耐えられなくなり病院へ向かいました。診断は急性盲腸。もちろん即手術。
旅程は全て白紙になり、夏休みの幕開けはまさかの病院のベッドでした。
それでも「せっかくのヨーロッパの夏休みを、このまま終わらせたくない」という想いから、術後に夫と相談を重ねた結果、飛行機移動の負担が少なく、かつ夫のルーツでもあるギリシャ・ケファロニア島を新たな目的地に選びました。
まずは理解しようという姿勢から。〜言葉を超えたあたたかさに包まれて〜
アルゴストリ市
ケファロニア島では、夫の伯父夫婦とその母(夫の祖母)が暮らす家に滞在しました。夫にとっては15年ぶりの再会、私にとっては初めての顔合わせ。
空港での対面から、全身で歓迎してくれるあたたかさが伝わってきました。
英語を少し話す伯父を介しつつ、夫は幼少期に覚えたギリシャ語を断片的に交えながら会話します。伯母は英語を話しませんが、笑顔で食卓を華やかにしていき、「どんどん食べて」と身振りで勧めてくれます。
最初から最後まで言葉は十分に通じていないはずなのに、意思の疎通は不思議なほど滑らかでした。
このとき感じたのは、「言葉よりも、“相手を理解しようとする姿勢”こそが、対話の本質である」ということ。
バルカンの人々が持つ、相手を自然に受け入れる寛容さに、心から包まれるような時間でした。
価値は交換で生まれる。〜村に残る“物々交換”の感覚〜
もらった豚肉をオーブンで丸焼き
ある日、おじさんが知り合いの肉屋から豚肉を一頭もらってきました。代わりに差し出したのは庭で育てた野菜。数字で換算すれば釣り合わないのに、それで成立してしまう。
ここで大切なのは「損得」ではなく「やりとり」。
彼らの日常の一部を見たことが、私の生活や旅中のことを振り返るきっかけとなりました。
写真を撮らせてもらったら笑顔で返す。おすすめを教えてもらったら「行ってよかったよ」と伝える。
その物の価値の大小ではなく、小さな“交換″が積み重なることで、その土地や人との関わり・繋がりがより深く豊かなものになっていくのだとあらためて気付かされました。
「NO」にも文化がある。〜異文化理解には自分の価値観を一度横に置く〜
ギリシャの食卓で印象に残るのは「断り方の文化」。
お腹いっぱいで「もう食べられない」と伝えても、一度では通じない。二度、三度と繰り返して、ようやく本気だと理解してもらえます。
日本の“遠慮”とは違い、ここでは“NO”を言い切る根気がいる。
さらに印象的なのは、「与えること」を純粋な喜びとしている文化であること。
夕食に出かける前ですら「これ食べて行きなさい!」と食べ物を渡されたり、決して裕福ではなくても、あれもこれもとわたしたちのために惜しみなく分け与えてくれる。
そのうえ、ゲストにお金を出させることを好まない。最後に感謝の気持ちを込めて少し現金を置こうと夫の父(おじさんの弟)に相談したところ、「絶対にやめなさい」ときっぱり言われたほど。
おもてなしをすること自体が喜びであり、誇り。そこにお金を差し挟むことは、ある意味その誇りを奪うことになる。
異国に身を置いても、つい慣れ親しんだ自分の文化の感覚を基準にしていまいがちだと思います。けれど本当の意味で異文化に触れるとは、単に違いを観察することではなく、「相手の誇りと価値観を理解し、尊重すること」なのだと、ここにきてハッとしたのです。
ケファロニアが教えてくれたマイルール
ケファロニア島での一週間を振り返ると、印象に残っているのは名所や風景よりも彼らにとっての“普通”に心を動かされたことでした。
それらは、わたしなりの“普通″の感覚へ新しいエッセンスとして加わり、視野の広がりを感じさせてくれました。そして、それこそが旅の本質なのだと思います。
旅とは、単に土地を訪れる行為ではなく、「その文化というレンズを通して、自分を見つめ直す行為」です。
自分の価値観を持ち込みすぎず、ただその土地の“当たり前”に身を委ねてみる。そのとき初めて、世界は少し違った姿を見せてくれます。
それが、ケファロニア島が教えてくれた、私の新しい旅のマイルールです。
All photos by Saeno