スペイン語の表記がよくわからず、一緒の飛行機に乗っていた人々の群れにぴったりついていくかたちでBaggage Claimまでたどり着いた。ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる荷物たち。僕ななかなか出てこないバックパックを想いながら「このままバック出てこなかったらどうしよ…」と、冗談半分、不安半分でボソボソ独り言を言っていた。
そう。バックパックは本当に出てこなかったんだ!
一人、また一人と、自分のスーツケースや大きなバックをピックアップしてはどこかへ消えて行き、僕はとうとう最後の一人になったが、どう見てももうベルトの上にバックは運ばれてこない感じだった。むしろ「はい、みんな取り終わったねー」と言わんばかりにベルトコンベアーは動きを止めた。
「ちょ!!!!!」っと思いながら変な汗がおでこと脇から吹き出る僕。そう、真夏のペルー気温は40度。急いでLAN航空のカウンターへ。
英語話せそうな、ひときわ優しそうな40歳くらいの男性スタッフを感覚0.1秒で判断し話しかける。「Excuse me, I came from JFK Right now, but I couldn’t find my backpack out on that baggage claim.」もう必死である。
でもこのときは「別のコンベアーから君のを既にピックアップ済みだぜ!Dont Worry!」とか「ごめんね、君の荷物だけ先に届いたので向こうに置いてあるよ!I’m sorry!」とは言われると思っていた。あんなたくさんいた人ごみの中から、僕の荷物だけ届かないなんて絶対におかしいと思っていた。
英語話せそうな、ひときわ優しそうな40歳くらいの男性スタッフは僕はいかにも陽気な笑顔で言った。「おー!まじか!実はクリスマスで帰ってくる人が多かったから、荷物が全部乗り切らなかったんだよね!テヘペロ!明日の便に追加で送られてくるから心配すんなベイビー!」
このときの僕は不安で不安で不安で冷静な判断ができていなかったんだろう。
「明日来るのか…よかった」と200%の安堵でその言葉を信じ込み、明日また来る約束をして、近くの日本人が経営する「沖縄」という宿に向かった。このときの荷物は飛行機に持ち込んでいた以下の荷物。
・20Lくらいのリュックサック
・一眼レフ(充電器はバックパック)
・地球の歩き方(ペルー)
・歯ブラシ
・パスポート、財布
明日くることを祈り、沖縄の独房みたいな部屋で僕はぐっすり眠りについた。
❐「荷物を待ち続ける地獄の日々と再出発」僕がリュックサッカーになった話:後編