編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。

今回の主人公は、喜多桜子(当時24歳)です。

「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。

 

\この記事は、書籍化もされています/

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・喜多桜子(当時 24 歳) / 看護師 2010.7 〜 2011.7 / 365日間 / 23ヵ国

・世界一周の旅ルート

中国→香港→ベトナム→カンボジア→タイ →ラオス→インド→ヨルダン→イスラエル→ヨ ルダン→エジプト→スペイン→イタリア→スイ ス→フランス→ベルギー→オランダ→ドイツ→ モロッコ→イギリス→アイスランド→アメリカ →チリ→ボリビア→イースター島

 

「一度きりの人生だ。大事に生きなさい」

私が看護学生だった時、あるおじいちゃんと出会った。そのおじいちゃんは、ガンだった。おじいちゃんの術後から、担当は私になった。おとなしい感じの奥さんが、毎日おじいちゃんの側にいた。

リハビリを兼ねておじいちゃんと車椅子で散歩にいった時、こんな話をしてくれた。

 

「私は、長年ずっと仕事ばかりで生きてきた。妻のこともないがしろにしてきた。でも、こうして病気になって。死を身近に感じて初めて、当たり前のものがいかにありがたいことだったのか、心から感じている。だから私は、この病気に感謝している部分もあるんだよ」

「私はこうして病気になってからでしか気づけなかったが、君はまだ若い。人生は限りあるもの。大事に生きなさい。当たり前のものに感謝しなさい」

 

ありふれた言葉かもしれない。でも、おじいちゃんの言葉は、あまりにも説得力があった。

人生、一度きり。だったら、したいことをやらずに死ぬより、やって死にたい。どう転がっても、人生はこの一回で終わるんだ。

 

(誰にだって最期があるなら。私は最期の瞬間、最高の人生だったと胸を張って言える人生にしよう!)

 

その時から、私の夢は世界一周になった。

 

世界の国の幸福度ランキング

看護学校を卒業して1年。いつかの世界一周を夢見ながら働いていた日々の中で、あるテレビ番組の特集を見た。

 

「世界の国の幸福度ランキング!日本はいったい何位?」

 

テレビと一緒になって考えた。無知な私は迷うことなく、ベスト 10 には入ると思った。でも、実際には 90 位。日本よりも発展途上の国が断然上位にランクインしていた。

 

平和な国、日本。自殺大国、日本。

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photo by Vinoth Chandar

ショックだった。平和な国、日本。自殺大国、日本。年間自殺者は3万人。幸せって、何なのか。考えれば考えるほど、逆に分からなくなってしまった。こんなにも豊かな日本で、幸せを実感できていない人がいる。

 

(貧しくても幸せって、どういうこと?)

 

その理由を知りたくて、私は世界一周の旅に出た。

幸せって、何なのか?その答えは、電気もガスも水道もないような、村に住む人たちが教えてくれた。

私は、カンボジアのある村で学校建設のお手伝いをしていた。

 

夜中は電気がないから、基本ろうそくか月明かり。水は、井戸か川からくみ上げる。子どもたちが毎日遊び回る茶色の大きな水たまり、私たちが入ると、高確率でデング熱に冒される。もちろんガスなんてないから、火は起こさなきゃなんない。食料調達は、なんとも原始的。

 

いつかの日も、ものすごいスコールが降ってきて、旅人たちはビビって、一目散に避難!なのに、現地の人はありえないテンションで騒ぎ出した!何事かと思いきや、木の上にイタチ?を発見したらしい。 大工さんたちは、仕事そっちのけで、イタチを威嚇!手作りのパチンコで石を放って狙い撃ち!!

日本では、考えられないことばっかりだった。

学校の完成が近づいたある日、その村にお泊まりで BBQ パーティーをすることになった。みんなで「チョルモーイ(乾杯)!!」と思ったら、まさかのスコール。キャンプファイアーの火をスコールから守るべく、村人も旅人も一緒になって、一つの火を灯し続けた。

 

旅に出る前、私はこう思っていた。

 

(もし、発展途上国に住む人たちが日本にきたら?)

(きっともう、日本の便利さに感動して、自分の国に帰れなくなってしまうんじゃないか)って。

 

「日本に住みたい?」答えは「NO」

それはとんだ勘違いだった。日本に来たことのある現地の人には必ず聞いてみた。「日本に、ずっといたいと思った?」

みんなの答えは「NO」だった。

「日本も好きだけど、住みたいとは思わない。僕は自分の国が大好きだから、母国に帰りたくなった」と。

 

それから、ラオスという国に行った。田んぼと空、緑と青しかない日本の昔話のような村で、ある男の子がこんなことを言っていた。

「ラオスは便利です」

 

はじめ、私は「不便」と聞き間違えたのかと思った。でも違った。ラオスは農業国。食べるものは、自給自足できる豊かな自然がある。そういう意味。普通に見れば、日本の方が便利なのは明らか。でも、そういうことじゃないんだ。

 

貧しくても、自分自身が幸せだと感じる心があれば、豊かなのである。貧しくても、みんな自分の国が大好きで、自分の国に誇りを持っていた。

 

私はふと自分に置き換えて、考えてみた。

「日本人であることに誇りを持ったことってあったかな?」

そんなことを感じながら、私は旅を続けていた。

 

ハエのたかった、おじいちゃんの死体

東南アジアを抜け、次に向かうはインド。1日目。インド最大の商業都市ムンバイに降り立った私が 最初に見たものは、しわくちゃになって横たわったまま、動かずにハエのたかった、おじいちゃんの死体だった。

しわくちゃな手足はやせこけて、目は開いたまま。

 

(死後、どれだけ経っているんだろう?)

 

死体にはハエが群がって、腐敗の進んだお腹には、ぽっかり穴があいていた。その死体をよそに、真横でお金持ちそうな人が靴を磨いてもらっていた。

衝撃的すぎて、言葉が出なかった。

 

「天国にいけますように」

 

おじいちゃんがどんな人生だったかは分からないけど、私は手を合わせて、そう唱えることしかできなかった。

このおじいちゃんだって。今は一人だけど、誰かの特別なおじいちゃんのはずなんだ。でも、誰にも気に留められない。

 

(インドでは、これが普通なの?)

 

分からなかった。日本では絶対にありえない光景に、私はついていけなかった。

 

生きること、死ぬこと、お好きなように

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photo by pixta.jp

インドの洗礼を受けた後、いろんな町をまわって、バラナシにたどり着いた。聖なる河、ガンガーの流れる町。死体は、家族の目の前で焼かれ、遺灰はガンガーに流す。子どもの死体は、そのまま河に。そのガンガーで人々は、歯を磨き、体を洗い、洗濯をする。

 

この街には、人間の魂がたくさんつまっている感じがして、生きるってこと、死ぬってこと、どっちもめちゃくちゃ大胆だった。生と死がすごく近かった。

 

編集部

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