隠岐
ライター
みかん TABIPPO CARAVAN

1997年、島根県生まれ。好きな食べ物はみかん。オオサンショウウオの間抜けた顔が好き。泳いでいる魚を観察することと散歩(深夜徘徊)が趣味。「人生そのものが旅みたいなものだよなぁ」と思いながら、今日も近所の土手を歩いている。

「なんとなくおもしろそうだし、セルフ島流ししてみるか」と思い、島根県にある隠岐へ流れてみた。

ちょうど仕事を辞めて暇を持て余していたし、隠岐といえば後醍醐天皇や後鳥羽上皇といった貴族の流刑地としても名を馳せている島である。そこに流れていくのも、我ながら「いとをかし」と思ったのもある。

この旅が人生で忘れられない旅となったのはなにゆえか。

隠岐隠岐はジオパークに認定されている
島を案内してもらいながら、印象に残った言葉がある。

「本土(本州のこと)では自分ができることの『縦』の積み上げで評価されるが、島では『横』のつながり、つまりどんな人間なのかで評価される」と。

びっくりした。

本土で営業をしていたころは、何ができるか?どんなスキルがあるか?数字をどれだけあげているか?がすべてであった。ところが、島では逆らしい。スキルよりも、どんな人柄か?どんな特性や人間性を持っているか?ということの方が重要視されるため、何が出来るのかは二の次のようだ。

そして、実際にそうだった。

出会い

島では回覧板や地域行事によって知り合い、地区イベントによって関わりを深め、差し入れや自宅へのお呼ばれによって交流が行われるのが日常茶飯事だった。

人が常に真ん中にある生活において、たしかに自分が出来ることよりも、素直で自然体でいるという人間性のほうが重要だった。

島で様々な人に出会った。

とつぜん軽トラに乗せられて、一緒に橙を採りに行った初対面のおじちゃんがいた。山椒がよく採れるポイントを教えてくれたおばちゃんがいた。「カエルのいる畑は良い畑だよ。餌になる虫がいるほど良い土だってことだからね」と語ってくれたおばちゃんがいた。

手料理心が温まる手料理
「遊ぼうぜ」とトゥトゥクに乗って現れた、陽気な同年代がいた。会話はほぼどんなカブトムシが好きか?だった。「お腹すいてるだろうから」と、お弁当やサザエご飯を持たせてくれたおばちゃんがいた。温かくて涙が出るほどうれしかった。

島の人からたくさんの愛情をもらった。

トゥクトゥク陽気な乗り物トゥクトゥク
あるとき、島の人から「みかん自身がやりたいことって何?」と問いかけられた。そう問われると、なぜだか答えられなかった。改めて自分の人生を問うきっかけとなった。

波は揺れていた。

揺れる波海に問うてみる

再出発

海をぼんやり眺めていた。ふと、「今しかできないことをやってやろう」という気持ちが浮かんできた。心のどこかで、自分の気持ちに素直になっても良いのだという許しを得た気がした。

やりたいことはわかんないけど、今しかできないことはある。新しいことを始めた。新しい出会いがあった。この記事を書くことにもなった。

再出発もっと自分に素直になっていい
僕に「やりたいことは何?」と問うた人は、仕事で成果をださなくては!と窮屈そうにしている僕のことを見抜いていたんだと思う。

「お前は今を楽しんでるか?」

「やりたいことや楽しいことに制限はないぞ」

「お前の人生だぞ」と。

見つけたもの

島には信号機がない。コンビニも娯楽施設もない。居酒屋や集う場所もなかった。なんなら島でたった一人の駐在さんのパトカーが港に停まっている時は、島外にいるということなので法律もない日もあった(そんなことはないけど)。

道ないものはないが、あるものはある
本土にはたくさん溢れているものが島にはない。ないからこそ、あるものに気付く。

ないものだらけの島で、僕はあるものに目を向けることができた。

忘れられないあの旅

人間はできることだけでは決まらない。能力でも決まらない。役割や役職によっても決まらない。何を持っていて何を持っていないかも関係ない。

最後の最後のところはやっぱり自分自身なのだということを、この島から教わった。「自分で自分を楽しませる」という景色を再確認することができた。まさに僕の人生をつくった旅だった。

島流し最後の夜も、波は揺れていた。

旅立ち人生が始まる

All photos by mikan

ライター
みかん TABIPPO CARAVAN

1997年、島根県生まれ。好きな食べ物はみかん。オオサンショウウオの間抜けた顔が好き。泳いでいる魚を観察することと散歩(深夜徘徊)が趣味。「人生そのものが旅みたいなものだよなぁ」と思いながら、今日も近所の土手を歩いている。

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