「なんとなくおもしろそうだし、セルフ島流ししてみるか」と思い、島根県にある隠岐へ流れてみた。
ちょうど仕事を辞めて暇を持て余していたし、隠岐といえば後醍醐天皇や後鳥羽上皇といった貴族の流刑地としても名を馳せている島である。そこに流れていくのも、我ながら「いとをかし」と思ったのもある。
この旅が人生で忘れられない旅となったのはなにゆえか。
隠岐はジオパークに認定されている
島を案内してもらいながら、とても印象に残った言葉がある。
「本土では出来ることの『縦』の積み上げで評価されるが、島では『横』のつながり、つまりどんな人間なのかで評価される」と。
衝撃を受けた。
大阪で営業をしていたころは、何が出来るか?どんなスキルがあるか?数字をどれだけ挙げているか?が全てであった。スキルや技術の習得を積み重ねていくことが優先されるため、自分の内面に目が向くこともなかった。
でも島では逆らしい。どんな人柄か?どんな特性や人間性を持っているか?ということの方が重要視されるため、何が出来るのかは二の次のようだ。
そして、実際にそうだった。
出会い
島では回覧板や地域行事によって知り合い、地区イベントによって関わりを深め、差し入れや自宅へのお呼ばれによって交流が行われるのが日常茶飯事だった。
人が常に真ん中にある生活においてでは、たしかに自分が出来ることよりも、素直な自然体の自分でいるという人間性のほうが重要だった。
島で様々な人に出会った。
突然軽トラに乗せられて一緒に橙を採りに行った初対面のおじちゃんがいた。山椒がよく採れるポイントを教えてくれたおばちゃんがいた。「カエルのいる畑は良い畑だよ。餌になる虫がいるほど良い土だってことだからね」と語ってくれたおばちゃんがいた。
心が温まる手料理
島の人からたくさんの愛情をもらった。
「お前最近やつれて見えるから遊ぼうぜ」とトゥトゥクに乗って現れた陽気な同年代がいた。会話はほとんどムシキングでどの虫が好きか?だった。
「どうせお腹すいてるだろうから」と、お弁当やサザエご飯を持たせてくれたおばちゃんがいた。温かくて涙が出るほどうれしかった。
陽気な乗り物トゥクトゥク
あるとき島の人から問いかけられた。
「仕事の延長でのやりたいことじゃなくて、みかん自身がやりたいことって何?」
わからなくて答えられなかった。
仕事上での僕のやりたいことや実現したいことはある。想いを形にしたいという使命感もある。でもそれはあくまでも組織のミッションにおいて、という枠組みの中でだった。責任感の上にあるやりたいことだった。
「何をしていきたいんだっけ?」「何のために生きてるんだっけ?」
今まで確かに足元にあったはずの土台が、一気に崩れていくような気がした。今までの頑張りは一体なんだったのかと自分を見失った感覚があった。
波は揺れていた。
島では海に問うてみることが多かった
再出発
海をぼんやり眺めていた。
ふと、「今しかできないことをやってやろう」という気持ちが浮かんできた。
心のどこかで、自分の気持ちに素直になっても良いのだという許しを得た気がした。
新しいことを始め、新しい出会いがあった。この記事を書くことにもなった。
正直やりたいことは?なんて漠然と言われてもわかんないけど、今しかないというこの感覚に気づいたことで僕の人生が新たに動き出したように思う。
自分に素直になっていい
今振り返ってみると、僕に問うた人は窮屈そうにしている僕のことを見抜いていたんだと思う。
「お前は今を楽しんでるか?」
「やりたいことや楽しいことに制限はないぞ」
「お前の人生だぞ」
見つけたもの
島には信号機がない。
コンビニも娯楽施設もない。
居酒屋や集う場所もなかった。
なんなら島でたった一人の駐在さんのパトカーが港に停まっている時は、島外にいるということなので法律もない日もあった(そんなことはない)。
ないものはないが、あるものはある
本土にはたくさん溢れているものが、島にはない。
ないからこそ、あるものに気付く。
ないものだらけの島で、僕はあるものに目を向けて歩き出した。
忘れられないあの旅
人間はできることだけでは決まらない。能力でも決まらない。役割や役職によっても決まらない。何を持っていて何を持っていないかも関係ない。
最後の最後のところはやっぱり自分自身なのだということを、この島から教わった。痛みの先に「自分で自分を楽しませる」という新しい景色をみつけられた。
まさに僕の人生をつくった旅だった。
島流し最後の夜も、浅瀬では魚が躍っていた。
人生が始まる
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