こんにちは、世界遺産ライターのコージーです。
今回は世界遺産探検記初の海外進出!タイ中部のアユタヤへ行ってきました。
アユタヤは1351年に開かれたアユタヤ朝の都として、約400年間にわたり繁栄した古都。最盛期を迎えた17世紀には、ヨーロッパ諸国とも外交関係を結ぶ国際都市にまで発展しました。
当時の仏教寺院や仏像の一部が現在も残っており、1991年には「アユタヤと周辺の歴史地区」として世界文化遺産に登録されました。
首都・バンコクに近く気軽に行けるので、タイ旅行に行かれる際はぜひ立ち寄ってみてくださいね。
バンコクから鉄道でアユタヤへ
首都・バンコクから北へ約80キロ。タイにある6つの世界遺産の中でもっとも有名なのがアユタヤだ。バンコクから日帰り観光が可能なので、旅人にも人気が高い。
アユタヤへの交通手段はバスやロットゥー(ミニバス)、タクシーなどがあるが、今回は鉄道で行くことにした。鉄道が最も安くて、旅気分を味わえるからだ。
バンコクの鉄道旅の起点となるのは、地下鉄(MRT)フアラムポーン駅に隣接するクルンテープ駅。特徴的なドーム型の駅舎は、ドイツのフランクフルト駅をモデルにデザインされたらしい。
いよいよバンコクを発つ。僕は少し緊張していた。
というのも、タイは首都バンコクとそれ以外の町で雰囲気が大きく変わるからだ。
バンコクは全てがそろっている大都会。英語はもちろん、あちこちで日本語が聞こえる。日本食レストランも豊富にあり、一瞬「あれ、ここ東京?」と勘違いするほどだ。
しかし、地方都市に行くと状況は一変。日本語はおろか英語の看板も一気に少なくなり、異国の地に来たのだと実感する。
だから声を大にして言いたい。タイを訪れる旅人よ、バンコクだけで帰らないで、他の町もぜひ訪れてみてほしい。ちなみに大学時代タイに留学していた僕のおすすめは、北部のチェンマイやチェンラーイ、南部のホアヒンだ。
電車は時刻通りに出発。海外の電車は遅れることも多いが、今回はクルンテープ駅始発なこともあり、問題なく出発した(始発でも大幅に遅れることもあるが)。
アユタヤへの鉄道旅は、幸先の良いスタート。順調なら1時間26分でアユタヤに到着する。
安さと旅気分を求めて選んだ鉄道。当然のように最安値の3等席に座る。3等席はエアコンなしの自由席で、運賃は15バーツ(約59円)。バンコク内を移動するよりも、アユタヤへ行く方が安いという不思議。
僕は威勢よく3等に決めたのだが正直、万人にはおすすめできない。エアコンがないと、かなり暑い。
窓が開いているため心地よい風を期待したが、無駄だった。列車のスピードが遅すぎて、全く風が入ってこないのだ。
暑さ対策に、車内でタイティーを購入。値段は運賃と同じ15バーツ(約59円)。冷たさ、甘さともに◎のタイティーを流し込み、生き返った。
しばらく暑さと格闘していると、あっという間に到着予定時間になった。しかし、まだアユタヤに到着する気配はない。
15分が経過したところで、車掌さんが「Next station is Ayutthaya!」と教えてくれた。
17分遅れの1時間43分でアユタヤ駅へ到着。許容範囲内だ。
個人でアユタヤを観光する場合、おすすめはレンタサイクルもしくはレンタバイク。ところが、レンタサイクルがなかなか見つからない。
いくつか自転車屋を回るも「Bycicle, finish!」と言われ、撃沈。
しかたなく歩き続けていると、お目当ての遺跡が近づいてきた。
ビルマ軍に破壊された遺跡
14世紀に建造されたワット・マハータート。「ワット」はタイ語で「寺」の意味。仏教国であるタイの観光にワットは欠かせない。どの町でも、歩けばすぐにワットへ行き着く。
入場料50バーツ(約195円)を支払い、いざ遺跡内へ。
なんと、木の中に仏像の頭部が埋まっている!
貿易港として繁栄したアユタヤだが、実は隣国ビルマとの戦いの歴史を抱えている。
ビルマとの激闘を繰り返す中で1767年、ビルマ軍に包囲されついにアユタヤは陥落。416年続いたアユタヤ朝は滅亡した。
アユタヤの建造物の多くがビルマ軍によって破壊された。かつては高さ44mの仏塔があり、黄金に輝いていたワット・マハータートもビルマ軍によって壊されてしまった。
ビルマ軍の徹底的な破壊や略奪を受けたため、アユタヤの遺跡は完全な状態で残っていない。残念ではあるが、負の側面も含めて歴史を見つめることに意義があると思う。
木の根に取り込まれた仏像の頭部は、栄枯盛衰を感じさせるアユタヤの象徴だ。
ここで記念写真を撮る観光客が多いのだが、注意点がひとつ。仏像と一緒に自分も映る場合、仏像よりも自分の顔の位置が下になるように意識しよう。
タイでは仏像は聖なる存在。敬意を示すため、人間が仏像よりも高い位置にいてはいけない。
世界遺産巡りでは、その国の文化を尊重することも大切だ。
強い日差しに要注意
アユタヤには、かつて栄華を極めた王朝をしのぶ寺院が数えきれないほどある。多くの遺跡を一気に回る楽しみ方もあるが、一つひとつもなかなか見応えがある。
駆け足で数を稼ぐのか、数をあきらめてじっくりと見学するのか。いずれも正解であり、どちらを選ぶかはあなた次第だ。
ワット・マハータートの敷地内を歩きながら、僕は後者でいこうと決めた。たくさんの遺跡を回るのではなく、一つひとつを丁寧に見よう。
頭部が完全に切り落とされた仏像。ビルマとの戦いの悲惨さを伝えるため、修復せずにあえてそのままの状態で残されている。
ところで、僕は今、汗だくだ。アユタヤは直射日光がすさまじく、バンコクよりも気温が高い。
特に日本から訪れる場合は熱帯の気候に体が慣れていないため、飲み物やサングラスなど暑さ対策を万全にしておこう。
じっくり丁寧に見学すると決めたものの、強い日差しが容赦なく僕を襲う。
自転車を借りられず、徒歩だけで回っている疲れも出てきた。「お金の節約にもなるし、歩いちゃおう!」などと旅先の謎のテンションで徒歩観光を強行した自分をぶん殴りたくなった。
旅で大切なのは、冷静な判断だ。遺跡観光には、レンタサイクルかトゥクトゥクを強くおすすめする。
・名称:ワット・マハータート(Wat Mahathat)
・住所:Tha Wasukri Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000 タイ
・地図:
・アクセス:アユタヤ駅からトゥクトゥクで5分
・営業時間:8:00〜17:00
・定休日:なし
・料金:50バーツ(約195円)
仏像が破壊された理由
続いてやってきたのがワット・プラ・シー・サンペット。アユタヤ王朝の王室専用寺院で、宮中儀式もここで行われていた。
3基並んだ仏塔には、3人の王の遺骨が納められている。
かつては高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像があったが、やはりビルマに侵略された際に破壊されたのだという。
それにしても、ここまで壊さなくていいのに。ビルマもアユタヤと同じ仏教国なのに、なぜここまで寺院や仏像をはちゃめちゃに壊したのだろうか。
アユタヤ王朝の歴代の王たちは仏教を篤く信仰し、黄金や宝石を豪華に用いた仏像や仏塔、寺院を築いた。純粋な信仰心もあっただろうが、国王は仏の化身とされ、王を神格化するための手段として仏教が利用されていた側面もある。
だからこそ、ビルマは仏塔や寺院を徹底的に壊し、アユタヤ王家の権威を失墜させようと考えたのだろう。
宗教や文化が政治的思惑と無縁でいることは、いつの時代も難しいのだと思う。
山田長政も活躍した国際都市
国際色豊かな町として栄えたアユタヤ。最盛期の17世紀には人口19万人を超え、タイ人よりも外国人の方が多かったと言われている。
さまざまな国から商人が集まり、外国人町を形成。当時、アユタヤと日本は朱印船貿易を行っており、日本人町には1500人程度の日本人が暮らしていた。
なかでも有名なのが、山田長政。朱印船に乗ってアユタヤへ来た長政は23代ソンタム王に重用され、アユタヤの役人として活躍する。
なぜ、外国人の長政が出世できたのか。
外国人町では自治が認められており、義勇隊が設置されていた。長政は日本人義勇隊の隊長を務め、戦力を保持していたのだ。
日本の義勇隊は元武士が多く参加していて、アユタヤの中でも一目置かれる存在だった。
当時のアユタヤでは国王の直接配下の兵がそれほど多くなく、外国人の傭兵を利用することも珍しくなかった。そのため、義勇隊隊長の長政が重用されたのだという。
その後、長政は王位継承争いに巻き込まれて毒殺されてしまう。ただ、長政の活躍から、アユタヤ王朝の強さがうかがえる。
自国の民だけでなく、長政のような実力のある外国人をうまく取り立てて活用することに長けていたからこそ、アユタヤは400年もの長きにわたって繁栄したのだと思う。
タイ中部の古都アユタヤ。バンコクから日帰りで行けて、見どころが集まっていて、気軽に観光できる町だ。
だからこそ、一人ひとりの味が出る旅になる。
僕はエアコンのない3等席でアユタヤへ向かい、ひたすら歩いた。汗だくになりながら、遺跡を一つひとつじっくりと見学した。
個人的には3年ぶりの海外。外国に来ると、外部からの刺激が強くなる。すると自然と、自分の中のアンテナも敏感になっていく。
もちろん国内旅行も楽しいが、自分の人生にやっぱり海外旅は欠かせない。そんなことを再確認する旅だった。
・名称:ワット・プラ・シー・サンペット(Wat Phra Si Sanphet)
・住所:Phra Nakhon Si Ayutthaya District, Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000 タイ
・地図:
・アクセス:アユタヤ駅からトゥクトゥクで9分
・営業時間:8:00〜17:00
・定休日:なし
・料金:50バーツ(約195円)
All photos by Koji Okamura
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