ライター
コージー 世界遺産ライター

1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターに。大学時代のタイ留学で旅にハマり、バックパッカーデビューを果たす。世界遺産検定マイスターで、1000件以上登録されている世界遺産全制覇が夢。

こんにちは、世界遺産ライターのコージーです。

今回訪れたのは、岐阜県の白川郷。1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(岐阜、富山)として、文化遺産に登録されました。

外国人観光客からも大人気の観光地ですが、じつは世界遺産登録の60年前から、白川郷に注目していた外国人建築家がいました。

真冬の白川郷探検記をどうぞお楽しみください。

登録基準(ⅴ)を満たすレアな世界遺産

白川郷
金沢駅前から高速バスで1時間15分。真冬の白川郷にやってきた。

小雨が降る金沢でバスに乗り込むと、平日にもかかわらず満席だった。バスが進むにつれて雨が強まっていき、白川郷に着くとこの景色。

気温は1℃。寒さが苦手な僕は、震えていた。

白川郷
1995年に世界文化遺産に登録された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。構成資産は岐阜県・白川郷の萩町集落、富山県・五箇山の相倉集落と菅沼集落の3集落にまたがっている。

ここで注目したいのが登録基準だ。文化遺産に登録されるためには「人類の創造的資質」「文化・価値観の交流」など6項目の評価基準の中から1つ以上を満たさなければならない。本遺産は、建築様式の発展を示す登録基準(ⅳ)と独自の伝統的集落を示す登録基準(ⅴ)の2つが認められている。

特筆すべきは、登録基準(ⅴ)が認められていること。登録基準(ⅴ)は非常にレアな基準。日本の文化遺産では「石見銀山遺跡とその文化的景観」と「北海道・北東北の縄文遺跡群」含めて3つの遺産にしか認められていないのだ(2023年2月時点)。

白川郷
登録基準(ⅴ)が認められたポイントは、合掌造り集落。3つの集落で伝統的な合掌造り家屋が残されており、計88棟が世界遺産に登録された。

この地域は急傾斜の山と谷に囲まれ、日本有数の豪雪地帯でもあるため、かつては周辺地域と隔絶されていた。そのため、家屋の建築様式から家族制度まで独自の生活文化が育まれたのだという。

合掌造り家屋の最大の特徴は、急傾斜の茅葺き屋根。屋根に雪が積もりにくいように45〜60度の傾斜となっている。

さらに、雪の重みと風の強さに耐えるため、釘などの金属物は一切使用せず縄で縛って固定する工法が用いられている。厳しい自然環境から家屋を守る工夫が施されているのだ。

白川郷
白川郷の全体像を把握するため、まずは展望台へ向かう。一面の雪景色を見ながら、坂を上っていく。

足を滑らせるのが怖いので、歩くペースがとてもゆっくりになる。手も顔も冷たい。冬の白川郷に来るというのは、こういうことだ。

寒さに耐えてでも見たい絶景

白川郷
雪景色の白川郷。言葉はいらない。

写真を撮る手はかじかんでいるが、そんなことは関係ない。

冬嫌いの僕は、この光景を見るために白川郷へ来た。

白川郷
後ろを振り返ると、この景色。スキーができそうだ。

日本有数の豪雪地帯だからこそ、ぜひとも冬に訪れることをおすすめしたい。一方で、夏や秋も絶景が楽しめる。白川郷は日本の世界遺産の中で最も四季を楽しめる遺産だと思う。

白川郷
白川郷の萩町では、3集落のうち最多の59棟が世界遺産に登録されている。一つひとつの家屋を見ることももちろん楽しいが、白川郷を象徴するのはやはり全体を見渡せるこの景色だろう。

世界遺産の登録基準(ⅴ)が評価されている点からも、集落全体を見ることに価値があると言える。

主要産業は塩硝

白川郷
展望台から降りて、集落の中を歩いていく。白川郷で唯一、国の重要文化財に指定されている和田家にやってきた。

白川郷
和田家はその名の通り、和田さん一家が現在も暮らしている住居。自宅として使い続けながら、1階の半分と屋根裏が公開されている。

和田家は火薬の原料となる塩硝(えんしょう)の生産で栄えた家。

この地域は標高2702mの白山を中心とした山岳地帯にあり、平坦な土地が少ないため農業が盛んではなかった。その代わりに栄えた産業が塩硝だった。

白川郷
1階には和室があり、漆器類や古文書なども展示されている。

白川郷
合掌造り集落では、明治時代まで大家族制度が採られていた。農地の分散を避けるため、20〜30人の一族が同じ家屋で暮らしていたという。

そのため家屋が大きくなり、広い屋内空間と労働力を生かした養蚕や紙漉(かみすき)、塩硝などの家内制手工業が貴重な収入源となった。

白川郷
階段を上がると、屋根裏も見学できる。

合掌造り家屋は一般的な家屋と比べて、床面積が広い点が特徴。大家族制度で広い居住スペースが必要なことに加え、塩硝が主要産業であったことが要因だ。

塩硝は床下の穴に雑草と蚕糞、土を混ぜ合わせたものを入れて3〜4年間、土壌分解させてつくるため、広い床面積が必要になるのだという。

こうした地域特有の社会環境や経済事情が、白川郷の独特で美しい景観をつくり出している。

建築物や景観、自然環境、文化、経済……。世界遺産を訪れると、これら全てがつながっていることが分かる。だから世界遺産巡りはやめられない。

ブルーノ・タウトが称賛した合掌造り

白川郷
白川郷の合掌造りは1995年に世界遺産に登録され、世界に広く知られるようになった。

だが世界遺産に登録されるよりもずっと前から、白川郷の魅力に気付いた人物がいた。

1933年〜1936年まで日本に滞在し、日本の建築に関する著作を多く残しているドイツの建築家ブルーノ・タウトだ。

白川郷
1935年に白川村を訪れたブルーノ・タウトは、合掌造りについて「日本のゴシック建築といってもよい」と称賛し「これらの家屋は、その構造が合理的であり、論理的であるという点においては、日本全国でまったく独特の存在である」と語った。

ゴシック建築は12世紀以降、パリを中心に発展した建築様式で、ステンドグラスや高い天井が特徴。パリのノートル・ダム大聖堂、ケルンの大聖堂などが代表的な建築物だ。

ゴシック建築と合掌造りに共通点があるというよりも、西洋で発展したゴシック様式に匹敵するほど合掌造りが普遍的な建築様式であるという点を指摘したとみられる。

ちなみに、ブルーノ・タウトが設計した「ベルリンのモダニズム公共住宅」(ドイツ)は2008年に世界文化遺産に登録されている。世界遺産を学習していると、このように思わぬところでつながりが見えるから、面白い。

白川郷
また、ブルーノ・タウトは白川村の風景をこのように称している。

「この辺の景色は、もう日本的ではない。(中略)これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ」

やや西洋中心主義的な思想が感じられるのは気になるが、ブルーノ・タウトが白川村の景色と合掌造りを肯定的に捉えていたことは間違いない。

たしかに言われてみると、アルプスの大自然が広がるスイスのように見えてくる。

気温1℃、雪が降りしきる中、集落内を練り歩いた白川郷。ブルーノ・タウトは「日本的でない」と評したが、僕の目にはとても「日本的」に映った。

独特でありながら、どこか普遍的で日本らしい風景だった。今度は夏に行ってみたい。

All photos by Koji Okamura

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コージー 世界遺産ライター

1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターに。大学時代のタイ留学で旅にハマり、バックパッカーデビューを果たす。世界遺産検定マイスターで、1000件以上登録されている世界遺産全制覇が夢。

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