もっともっと人と違う(=アウトローな)生き方がしたい。そう思っていても、日本社会の枠組みの中ではやりづらいでしょう?だって、周りと同じことをやって高い成果をあげた人が評価されますから。
今回は、旅人界のレジェンドであり名著を生み出す作家でもあるロバート・ハリスさん、美容師として髪を切りながら世界一周をした藤川英樹さん、社会とLGBTの溝を埋める面白くさりげない活動を続ける太田尚樹さんをお呼びしました。
この3人から、人と違うアウトローな生き方ってなんだろう?ということを感じ取っていただき、悩んでいるあなたの助け舟となれば幸いです。
*こちらは旅大学の講座「アウトローな生き方について考える」新しい時代のライフスタイル学のイベントレポートです
”アウトローな生き方について考える”新しい時代のライフスタイル学の講師
ロバート・ハリス/Robert Harris 横浜生まれ。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅する。大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島で1年を過ごしたのち、オーストラリアに渡り、88年まで16年滞在。シドニーで書店兼画廊「エグザイルス」を経営する。また、映画、TVなどの製作スタッフとしても活躍。帰国後、92年よりJ-WAVEのナビゲーターに。 現在、作家としても活躍。その独自の生き方や世界観が若者やアーティストから熱く支持されている。著書に『エグザイルス』『ワイルドサイドを歩け』『黒く塗れ!』『人生100のリスト』『アフォリズム』などがある。
20歳から美容一筋でもがくも、25歳~28歳までオーストラリア、世界一周と海外でハサミを持って遊び呆け、貯金も職も家もなく再び東京へ。がむしゃらに3年過ごし、運良く30歳で恵比寿、代官山に接客はしない、お客様はいない美容室 Broccoli(ブロッコリー) playhair を立ち上げれた。32歳で(株)モテルを設立するも、愛犬からあげに溺れる。一生髪を切り続けたい美容師としての藤川英樹、ハサミを持たない藤川英樹をこれからどうプロデュースしていくのか。ただいま奮闘中。
1988年大阪府生まれのゲイ。大学在学中の旅が転機となり、セクシュアリティをオープンにすることを決意。卒業後、新卒で(株)リクルートホールディングスに入社。ブライダル事業本部にて、大手結婚式場の集客・出店戦略のコンサルティグを担当。仕事に熱中する一方で、セクシュアルマイノリティとして社会で生きることの難しさを痛感し『やる気あり美』を発足。『人の意識を最も変え得るのはエンターテイメントだ』というポリシーのもと、「ちゃんと面白いけど、さりげなく多様なセクシュアリティへの理解が深まる」コンテンツをWEBサイトにて配信する。2015年3月にリクルートを退職し、現在はLGBT関連新規事業開発に従事。
どうしてこの3人なの?「レール外れて楽しそうに生きてるな」って感じるから
TABIPPOの社長「今回の講義にあたって、アウトローって誰かなあと考えてポンポンポーン!と上から浮かんだ3人をお呼びしました」。
3人「なにが上から3人だよ!」
そう言いつつも嬉しそうな顔を見せるハリスさん、英樹さん、太田さん。会場も一気にやわらかい空気に包まれます。
アウトローってなんですか?
「社会秩序からはみだした者という意味だよね。でも、今回は心のアウトローっていうかアウトサイダーっていうことだと思う」
旅大学の生徒さんには、授業開始前にあなたにとってアウトローとはなんですか?という問いに答えてもらいました。その後グループを作って話し合ったこともあり、これから始まる講師陣の話に熱が入ります。
旅と自分について<ロバート・ハリス>
高校を卒業後すぐ世界一周に出たハリスさん。今でこそ海外に行くのは普通になりましたが、1967年という日本が海外渡航自由化してまだ数年の頃の話です。
旅の原点はというと、もともと歩いてどこかに行くのが好きだったのが高じてヒッチハイクで行った北海道。崖から80m近く滑り落ちるという九死に一生の経験をしたことだとか。(詳しくはコチラ)
「覚えてるのは、帰りに迎えに来てくれた母親と松葉杖つきながら乗った飛行機で見た北海道の大自然。そこで旅っていいなあ…って思ったんだよね」
3人「そこで思っちゃったんですか。」
高校生の間に大体日本のあちこちへ行ってしまい、卒業から大学入学までの期間に初めての世界一周へ旅立ちます。
帰ってきてから就職しようと思わなかったんですか?
ハリスさん「思わなかったね」(ハッキリ)
世界一周中のインドで人生のやりたいこと100を書き出したところ、定住したりサラリーマンをすることが自分には無理だという内容が書いてあったそう。
さらに1年間のアメリカ留学を経て、ベトナム戦争で理不尽に人殺しが行われたり、また良い学校に行って良い会社に入って良い車を持ってといったことが正しいレールとして敷かれる中で、「これってなにかおかしいんじゃないかな?」と思い、ヒッピーになります。
ヒッピーとは1960年代後半にアメリカのヴェトナム反戦運動や公民権運動を中心とする反体制運動から生まれた、「ラブ&ピース」を提唱し自然回帰を目指す若者の総称およびそのムーヴメント(引用:artscape)
そこで色々な経験を経て帰国。しかし東京の大学に通いながらも何か窮屈な気分が続き、早く東京を出たい!と思った末に当時の奥さんと300万円(今の1,000万円相当)を貯めて卒業直後に海外へ渡航したそう。
「当時はギリシャのエーゲ海あたりに家を借りて作家になろうと思ったんだけど、作家になるにもネタが足りないと思ったからまずは旅に出たんだよね。」
みんな「はははは」
旅と自分について<藤川英樹>
初めて海外へ行ったのは25歳やねん、と話す英樹さん。それまでは六本木や表参道で美容師として働き、練習しては寝ての繰り返し。カリスマ美容師になったこともあり、夢は自分のお店として高級店を開くことだったそう。そんな時、オーストラリアにお店を持っている先輩に誘われて遊びに行ったことが転機になります。(詳しくはコチラ)
ハリスさん「カリスマ美容師の時はモテたでしょ?」
藤川さん「あの時はモテましたねえ。モテ防止でこの髪型にしたのが5年くらい前なんですけど、それから彼女ができたことない」
それから世界一周へ
半年間お店で働いたものの、技術力を上げることに限界を感じて辞職。美容師以外の世界として真珠の養殖をすると同時に、「僕が髪を切ります」というチラシを街中に貼って美容師も続けます。
3,4ヶ月経つと髪を切ることでお金も稼げるようになり、はさみと張り紙があればどこでも生きていけるんちゃうかなと思ったそう。それから1年半に及ぶ世界一周に飛び出します。
日本に帰ってきてから窮屈じゃなかったですか?
藤川さん「いやあ、僕海外にそんな興味ないんですよね」(ハッキリ)
世界一周から帰ってきてからもなんとなく家に足が向かず、実はそのまま韓国へ行った英樹さん。3ヶ月後には仕事がしたくて帰国しますが、それが良いリハビリになったといいます。