「正社員と旅を両立するって、ハードル高くない?憧れではあるけど」と悩んでいる方向けに、正社員としてバリバリ働き、有給や休暇を利用して旅に出ている11名の「リーマントラベラー」にこれまでの旅について聞いてきました!
質問:リーマントラベルで最も印象に残っている海外旅行先とその理由を教えてください!
正社員と旅人を両立するって本当に大変そう…。上手に時間を使って旅をしているリーマントラベラーの人たちならではのトラブルや、印象に残っている海外旅行先ってあるのかな?
そこで実際に、これまで最も印象に残っている海外旅行先とその理由を詳しく聞いてきました!
リーマントラベラー東松
平日は激務の広告代理店に勤務するかたわら、週末で世界中を旅するサラリーマン。2016年、3か月で5大陸18か国を制覇し、「働きながら世界一周」を達成。地球の歩き方から旅のプロに選出される。現在、東洋経済オンライン、CLASSY.等で連載中。著書に『サラリーマン2.0 週末だけで世界一周』(河出書房新社)。
社会人3年目で初めて海外一人旅に行った、ロサンゼルスです。旅に目覚める前、まだ僕が社畜寸前生活をしている中、無理言って1日だけ有休をもらって、NBAを見に行きました。そこで、海外旅行の魅力に気がついてしまったのです。
1つ目は短い休みでも十分楽しめること。3泊5日という日程でしたが、想像以上に楽しめてしまいました。2つ目は英語が話せなくても旅できること。単語だけでも勇気を出して話しかければ、なんとかなるということがわかりました。
3つ目は平日なのにも関わらず、人生を楽しむ大人たちをたくさん見たこと。それまでは平日は「会社のため」と思い、朝から晩までずっと働き続けて、自分の時間はありませんでしたが、LAでは平日なのに自分の人生を楽しむ大人をたくさん見ました。
それらの理由から、もっと知らない世界が見たい!そして、行かないのはもったいない!と思い、僕のリーマントラベル人生がスタートしました。
あっこ
1982年生まれ。福岡県出身&在住。アメリカの大学を卒業後、日本のテレビ局でAD、留学カウンセラー、派遣社員などを経験した後、1年間アメリカに再度留学。帰国後は、福岡の業務用家具メーカーで海外業務担当として勤務、現在に至る。初めての暦どおりの会社でうれしくて、3連休、ゴールデンウイーク、年末年始で旅に行きはじめ、はまりました。
ラオスのヴィエンチャンです。ブッダパークに行きたくて、バス乗り場に行ったけど、どこから乗っていいか分からず、おろおろしていると、「トゥクトゥク?」と聞かれたので、「NO! Bus.」と答えたら、行き先を聞かれたので、ブッダパークと伝えるとバス乗り場を教えてくれました。
他の東南アジアでは、意地でもトゥクトゥクに乗せようとするのに、バス乗り場を教えてくれたこの優しさに感激です!また、バスの中でも隣に座ったおばちゃんが、タイとの国境のバス停で「Thailand」と必死に言ってくれました。
ブッダパークまで行くからここで降りないけど、国境はここだからあなたのバス停はここよ、と教えてくれたこの優しさにも感激しました。
Shin Morita
1988年、埼玉県生まれ。2011年9月、立教大学観光学部卒業。2012年4月、富士重工業(現・SUBARU)入社。当時、就職氷河期で、2011年3月卒業を見送り就職留年。2011年5月に就活を終了し、7月から(途中、卒業式と内定式のためのトランジットを経て)世界を1週していました。
2016年11月に、会社の同期6人で上海に2泊3日で行ったときの話です。日本各地に散らばっている同期に声をかけて、各自で上海に集合しました。
上海では各々が自分勝手にやりたいことをし、上海雑技団を見に行く者、SNH48(AKB48の姉妹グループ)の公演を見に行く者、上海にいる親戚(たまたま同じ時期に上海に来ていた)に会いに行く者、彼女(日本に住んでいる中国人の彼女)の生まれ故郷に行く者、団体行動の苦手な人間ばかりが集まった旅行でした。
朝晩のご飯とホテルが一緒だったことくらいしか団体行動の記憶がありませんが、限られた時間で自分の好きなことを最大限やる、まさにリーマントラベラー集団でした。
yoshi-
小学生時代の読書は時刻表。高校では自転車輪行で日本各地を回り、大学では列車・徒歩・ヒッチハイクで日本放浪。卒業後7年間、東北上越新幹線開発など鉄道関連システムの開発に従事。その後自動車会社に転職し、ナビや自動運転の研究や人型ロボットの研究、5年の海外駐在(アメリカ、ドイツ)を経て日本に戻り、現在は日本とアメリカ半々の生活。アメリカ駐在時は北米の自然を楽しみ、ドイツ駐在時は毎週末ヨーロッパ各地2泊旅行。日本に戻ってからは年に数回、プライベートで海外旅行へ。
約30年前のハワイです。バスの運賃が足りず老夫婦が貸してくれ、降車後撮った写真を相手へ送りました。以来クリスマスカードのやり取りを重ね、15年前息子が小学5年の時に再会。ご婦人はその時84歳でした。
2008年を最後にクリスマスカードが途絶えたのです。気には掛けていましたが、昨年ハワイへ行った時に、パールハーバーの住所を頼りに住んでいた家を訪ねるも、違う住人でした。
近隣を回るも人が出てこず、社会保険事務所や市役所をGoogleで探しながら、もう一度家に戻ったら隣の方と話しができました。ご婦人は3年前に他界。旦那さんはその前の2年前に亡くなられ、遺灰は太平洋に撒かれたそうです。
第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の経験者の墓地に眠っているご婦人に献花をしました。日本との戦争の始まりを経験しているのにも関わらず、近況を報せる手紙を毎年欠かさず送ってくれていたのです。
関東あかね
1983年生まれ。大学時代は徹ゲーをするようなインドア人間が就職し、月曜に家を出て金曜に帰ってくる生活を機に『人生は旅だ』と悟り国内旅行を開始。47都道府県制覇とほぼ同時に男に振られ、結婚をあきらめる代わりに好きなことをしようと海外旅行に精を出し、土日や三連休、まとまった休みはほぼ旅に出る生活。結果、世界は果てしなく広がり、ついでにモンゴルで出会った日本人と結婚もでき、めでたしめでたし。
ここ最近では、ギリシャのアテネです。久々の一人旅、3連休に勢いでチケットを取ったのですが、『アテネは治安が悪い』と周りに散々脅かされ完全にビビってしまいました。
最悪ホテルにずっといようと思っていたのですが、丘の上にパルテノン神殿が見えた瞬間から一気に私の中のロマンが溢れ出し、そこからは楽しい記憶しかありません。パルテノン神殿は当然素晴らしかったし、日帰り強行日程で行ったメテオラも圧倒的されました。
下手くそな片言英語の私にギリシャ語を教え、デザートまでおごってくれた気の良いレストランのおじさんも忘れられません。
営業先から直接羽田に向かったため、荷物は普通のリュックサック1つ。おいしいと評判のワインやオリーブオイルを全く買うことができず、真剣にトランクを買おうか迷ったことも含め、今では楽しい思い出です。
ねもぱい
名古屋生まれ名古屋育ち、2013年に転勤で大阪にやってきた広告会社勤務。関西地区の渋い居酒屋めぐりをライフワークにする一方で、関西空港に就航しているLCC各社の魅力にドハマりしており、格安航空券を見つけては週末を中心に国内・海外を飛び回っている「LCC激安トラベラー」として毎月国内外のどこかに出没中。
2015年10月の香港旅行です。楽しく旅行する予定が一転、出国ができなくなってしまったからです。
金曜深夜発~日曜夕方戻りという、まさに週末リーマントラベルを楽しもうと午前2時台に大阪関西を出発するLCCを予約していたのですが、出発日の夜は仕事関係の飲み会が入っていました。
大阪市内での飲み会は何とか無事にこなして、そのまま終電+タクシーで関西空港に到着して無事にチェックイン~出国手続きが完了したのですが、搭乗口の前のベンチで少しウトウトしているうちに搭乗終了に。飛行機が動き出してしまい、「お客様、もう飛行機動いてしまいましたが…」という声掛けで起きる始末。(当然、乗れませんでした…)
なんで搭乗終了前に起こしてくれないんだ…と思いつつも、そもそも寝てしまってた自分が悪いことを反省。誰も歩いていないショップも閉まったコンコースを延々と歩き、特別な通路を使って再入国手続きをしたことは今となっては良い思い出です。
(ちなみに、出国後に何らかの理由で出発できなかった際には「出国中止 – NOT DEPARTED」というスタンプが押されます!)
捨てた往復航空券の運賃15000円(とはいえ、安いですが)は、いい勉強代になりました。