この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。
今回の主人公は、生駒美希(当時27歳) です。
「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。
\この記事は、書籍化もされています/
・生駒美希(当時27歳)/ 派遣OL 2009.6 〜 2010.10 / 482日間 / 48ヵ国
・世界一周の旅ルート
オーストラリア→ニュージーランド →チリ→ボリビ ア→ペルー→エクアドル→ベネズエラ→イースター島→ア ルゼンチン→ウルグアイ→パラグアイ→ブラジル→パナマ →コスタリカ→ニカラグア→ホンジュラス→エルサルバド ル→グアテマラ→ベリーズ→メキシコ→アメリカ→スペイ ン→アンドラ→ポルトガル→モロッコ→フランス →ベル ギー→ルクセンブルク→オランダ→ドイツ→チェコ→ポー ランド→ハンガリー→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴ ビナ→セルビア→ブルガリア →トルコ→イラン→ UAE → スリランカ→マレーシア→シンガポール→タイ→ラオス→ カンボジア→ベトナム→中国→韓国
私は娘に教えてあげられる
「いつか世界一周に行きたいね」
大学時代に出逢った主人とその頃から話していました。お互い月に1万円ずつ、銀行の口座に振り込んで。そして、世界一周の夢は、私たちの新婚旅行で叶いました。
期間は決めないで、お金がなくなるまで。
好きな人と行った482日間は、本当に楽しくて、貴重な、とても贅沢な時間でした。こんな贅沢な時間とお金の使い方、私たちにとっては、このタイミングでしかなかったなと思います。
嬉しいことに、世界一周から帰ってきた後、 かわいい娘も授かりました。 改めて、世界一周に行ってよかったと思うこの頃です。
世界中で見たきれいな景色や思い出を話してあげられるし、世界には、子どもが子どもを抱っこしながら路上で暮らすという現実があることを教えてあげられる。
だから、私たちが、娘が、日本に生まれてきたことが どれだけ幸せなことかを語ってあげられる。娘は生まれる国も家庭も選べない中で、私たちのところへ生まれてきてくれたことに感謝しているし、そして、絶対に幸せにしなきゃいけないと思っている。
(もちろん、旅をしていなかったとしても、 子どもの幸せを願うことは当たり前にしていたと思うけど、 世界を見てきたからこそ願う幸せと、 感謝の気持ちがあるんじゃないかな)
季節は夏から冬になった
不安より、楽しみな気持ちの方が大きかったと思う。昔、主人と大学の卒業旅行で海外へ行く前日に熱を出し、最初の数日辛い思いをした私は、体調万全で出発できることばかり気にかけていた。
成田空港に行くと、友達がたくさん見送りに来てくれていてびっくりした。「いってらっしゃい」の手作りうちわ。私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。パスポートに出国のスタンプが押されると急に寂しくなって 泣きそうになったけど、いよいよだ!とワクワクもした。
6月、雨の出発だった。1ヵ国目、オーストラリア。街はメルボルン。道のりは、ケアンズを経由してとても長く感じた。
季節は、一気に夏から冬になった。宿がものすごく寒かったことを今でも鮮明に覚えている。これから自分の足で地球を一周した時、何を思うのか、とても楽しみだと思った。
(主人と無事に帰国できますように)と願った。
戦争、テロ、危険=イラン?
いろんな国に実際に行って、見て、聞いて、体験して初めて、今まで、極々一部の情報から抱いたイメージにいかに自分が踊らされていたのか思い知る機会が多かった。
今でもはっきりと覚えているのは、私たちが行った 48 ヵ国中の 40 ヵ国目、イランでのこと。戦争やテロ、危険、何となく恐い人種の人、閉ざされた感じ。自分が抱いていたイメージと現実があまりにも異なっていた。すべてを覆されたようだった。
イランの人たちは訪れた 48 ヵ国の中で一番親切な国だった。
小さな家族と夜のピクニック
photo by pixta.jp
町中を歩いているだけでたくさんの親切を受けました。道を訪ねれば、目的地まで一緒に歩いて連れて行ってくれたり、突然アイスをおごってくれたり、ケーキ屋さんでシュークリームを2つ買おうとしたら「お金はいらないよ」って言われたり。
エスファファーンという、世界遺産の街があります。そこで私たちは、3人兄妹の家族に出会い、夜のピクニックに招待されました。
「どうぞどうぞ」 兄妹に連れられてお父さんとお母さんが待つ公園へ行くと、見知らぬ外国人にもかかわらず、まるで知り合いのように喜んで迎え入れてくれました。
イランでは、陽が沈んで辺りがすっかり暗くなった頃、昼間は見かけなかった女性や子どもも出てきて、家族でピクニックに出かける習慣があるそうです。家族みんなで集まって、悩みはみんなで解決し勇気づけ、喜びはみんなで共有するのだそうです。
イランの人の家族の絆を大切にする心にとても感動したし、「それって日本も一緒だよね」と改めて思ったりもしました。その時一緒にいたポーランド人の旅人も、「僕の国もそうだよ」と言っていました。
(どの国の人もみんなそうやって幸せを願っているのに、どうして戦争や差別が起きるのだろう?)少し肌寒い空気の中、小さなイラン人家族の会話を聞きながら思いました。
「うちに泊まっていったら?」
またある時は、ヤスドという町からマシュハドという町へ 向かうバスの中で、若い夫婦に声をかけられました。
「どこから来たの?」「どうしてイランへ来たの?」「あなたたち、これからどこへ行くの?」彼らも新婚の夫婦で、これから旦那さんとその妹たちを連れて、奥さんの実家に帰るところでした。休憩でバスが停まるたびに、言葉が分からない私たちに停車時間を教えてくれたり、トイレの場所を教えてくれたり、そして、持参していた晩ごはんまで分けてくれました。
どうしても、お礼とさようならを言いたい。
早朝、ターミナルに到着して声をかけようとしたら、「どこに泊まるの?」「うちに泊まっていったら?」と彼女たちの方から声をかけてくれました。
思いがけない言葉にとても驚いたけど、宿を決めていなかったし、もっと彼らと話してみたかったし、 1泊だけ泊めてもらうことにしました。
親戚みんなでごはんとおしゃべり
奥さんの実家に着くと、すでに外国人を連れて行くと電話をしていたらしく、また何のためらいもなく、「ようこそ!」と、両親と妹がまるで友達が来たかのように迎えてくれました。
シャワーを浴びさせてもらい、昼寝までさせてもらい、起きるとお昼ごはんまで用意されていました。 そしてなんと、たくさんの親戚が集まっていたのです。珍しい外国人を見に来たのかなと思ったら、イランでは金曜日が週に一度の休日にあたるそうで、親戚が集まってみんなでごはんを食べる日だったのです。