この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。
今回の主人公は、大家崇里(当時28歳)です。
「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。
\この記事は、書籍化もされています/
・大家崇里(当時28歳) / 会社員 2009.11〜2010.4 / 164日間 / 15ヵ国
・世界一周の旅ルート
オーストラリア→アメリカ→チリ→ボリビア→ペルー→ブラジル→アルゼンチン→ブラジル→ペルー→エクアドル→スペイン→イタリア→チェコ→ドイツ→ベルギー→フランス→イギリス
家族をつれて、世界一周しよう
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27 歳の時、僕は二つのものを天秤にかけた。それは、「家族の幸せ」と「仕事での生きがい」。
23 歳で結婚し、24 歳の時に娘(ゆりな)が生まれた。4年の間、家族との時間も顧みずに仕事に没頭していた。休みなんてなくても、仕事が楽しくて仕方なかった。(自分の人生って、ホンマにこんな感じでいいのかな?)
そして僕は、すべてをリセットしようと決めたんだ。(家族をつれて、世界一周しよう)
バカげた発想だったのかもしれない。看護師の妻と保育園に通う4歳の娘(ゆりな)。二人とも海外に行ったことすらない。妻に「どう?」って聞いてみた。意外にも「いいね!」だって。「何とかなるでしょ !?」って、深く考えない彼女に救われた。
社会に出てから、生きている時間のほとんどを仕事に費やしてきたからこそ、家族には何か特別なモノを残したいと思った。
4歳の娘へ、タイムカプセルのように
4歳になった娘に、今まで何も残せなかった父親のギフト。子どもの記憶に何が残るかなんて分からないけど、タイムカプセルのように、いつか花開くことを願って。
ゆりな「外国に行ってどうすんの?」
僕「たくさん飛行機乗って、電車に乗って、毎日一緒にいて、
いろんなものを見にいこうよ。絶対楽しいからさ」
ゆりな「ふ〜ん」
僕「ちょっと長い遠足みたいなもんだからさ」
そして、家族3人の世界一周の旅が始まった…となるはずが、出発の8日前にもう一つのギフトがあった。
違和感を持った二人が見たものは、「+」という小さな記号。新しい命の陽性反応だった。すぐに病院に行って、ドクターに相談した。
嬉しかったのは、旅を否定されなかったこと。「帰国したらすぐに来てください。旅の報告にもね」
ドクターは、そう言ってくれた。僕は改めて、4人での旅を決心した。
そして、妻は言った。「Baby は私が守らないといけないなぁ。たくましく育ってくれるといいなぁ」
(たぶん、世間から見たらあんたが一番たくましいよ)僕は心の中で呟いていた。
子ども連れで、さらに妊婦のバックパッカーなんてそういない。でも、そんな家族だからこそできた、ちょっと変わった世界一周。
娘曰く、モアイは「へんなおきもの」
4歳の娘からしたら、イースター島のモアイだって、「へんなおきもの」だったし、5歳の誕生日にってプレゼントしたガラパゴスの大自然も、まだ何も比べるものがなかった彼女には、当然のようなものだったようで…。
彼女が自分の意思で、一つだけ目的地を理解していたのは、「ふらんすのでぃずにーらんど!」反応が良かったのは、砂漠のてっぺんから急降下する「イカのサンドバギー」。「遊園地よりおもしろい!」って…。
ある戦後移民の夫婦との出逢い
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家族4人の世界一周だからこそ、たくさんの人の有り難みに触れた時間もあった。娘には「へんなおきもの」の島でしかなかったイースター島。そこで、二度と忘れることができない出逢いがあった。
クリスマスを控えた 12 月 18 日。僕らはイースター島に向かう、チリの空港にいた。空港で、同じくイースター島行きのカウンターを探していた一組の日本人夫婦に声をかけられ、その場所を伝えた。
イースター島に着いて家族で散歩をしていると、さっきの夫婦が前から歩いてきた。すれ違いざま、お互い「あぁ〜、さっきの…」と声をかけた。日本の普通の観光客とは、少し違う雰囲気を出していた二人。聞くと、戦後移民としてブラジルに渡ったご夫婦だった。
妻のおなかの話を伝えると、「息子がサンパウロで産婦人科医をしているから、よかったらおいで。お金も泊まる場所も気にしなくていいから」そう言ってくれた。
「旅をしていても、ちゃんと生きてる」
それから 57 日後、サンパウロに向かうことに。ご夫婦はすでに空港まで迎えにきてくれていて、すぐに息子さんを紹介してくれて、妊婦検診を受けた。新しい命を確認した。子どもは、女の子。正直、二人でホッとした。「旅をしていても、ちゃんと生きている」
その後、ホームステイもさせてもらって、動物園に美術館、サーキット場、そして毎日の日本食。ご夫婦に、心の底から感謝の言葉がこみ上げてきた。「本当にありがとうございました」
夫婦で旅をしながら話していたことがある。「家族だからできなかった旅もある。でも、家族だからできた旅だってあるよな。それを知ることができただけでも、幸せなんじゃないかな」
その後に行ったガラパゴス諸島で、僕らはこれから生まれてくる娘の名前を砂浜に刻んだ。「青空(せいら)」そう、世界の空は青く、美しかったからだ。
響いた銃声、想像した死
カーニバルの熱気も冷めやらぬ2月のブラジル。サンパウロからバスで 10 数時間かけて、イグアスの滝へ。世界有数の滝の水浴びをして、気分上々。娘も「水遊びしたぁーい」って言ってたし、ちょうど良かった。
ホテルへの帰りのバス。妻「なんか臭くない?」 僕「確かに…」そしたら、モクモクとバスの後ろから煙が出てきて…、バスは急停車。脱出。炎上。「ブラジルのバスって危険だよなぁー」そう話していたうちは、まだ余裕があった。